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 電話を五十回かけた。メッセージを二百件送っておいた。シュンから返事はない。  真っ暗な部屋で俺は座椅子を倒して寝転がった。顔をめぐらせて見回せば、部屋中そこかしこに飾られた美少女たちが微笑んでくれる。フィギュア、ポスター、カレンダー、ぬいぐるみ、クッション。俺の好みを尽くした女の子たちが、元気だして、と明るく笑いかけてくれる。  それでも俺の気は晴れない。もう深夜三時なのに眠ることもできない。  シュンを傷つけた。俺が傷つけた。  謝らなきゃ。そしてちゃんと伝えよう。俺が大事に思ってるのは、川住春という生身の人間だよって。そう思うのに、シュンに対する自分の気持ちがまとまらない。  本当に嫁の代替品として見ていないのか自信がない。それに。傷つけたかもしれないと思い悩んで眠れなかったり、自慰行為をしているときに重ねてしまったり、一緒にいると頬がぽわんと温かくなったり、シュンが笑うと胸の奥がキュウとなったり、もっといろんなシュンが知りたいと貪欲になったり。シュンと一緒にいるときの俺は同じ学科の奴らや木村たちに対するのとは、明らかに違う。  こんな気持ちをなんて呼ぶのだろう。とっくに分かっている気もしたし、全然知らないような気もした。  その晩シュンから連絡はなかった。更に翌日は水曜で、ふたりの授業がひとつもかぶらない日だった。授業も、そのあとのバイトも、全くもって上の空で過ごした。下手をしたら白目を剥いていたかもしれない。  このままでは今晩も眠れない。明日。明日は一緒に受けている授業があったはずだから、この生殺し状態も今晩だけの辛抱だ。ならばせめて何か気を紛らわせようと、俺はバイト先の書店を出た足で、ふらふらと明るい界隈に向かった。  ガコン、と気持ちのいい音がして箱が落下する。俺は小さくガッツポーズをして機体から箱を取り出した。嫁ほどではないがそれなりにハマっているアニメのヒロインのフィギュアだ。五百円でゲットできるなんて、さすが俺だぜ。  時刻は十時半。バイト帰りにたまに寄るこのゲーセンの閉店時間は深夜十二時。まだまだ時間がある。この機に取れるだけ取っておくのもいいかもしれない。獲物を探してゲーセン内を徘徊する。  フィギュアを入れたビニール袋をしっかりと抱きかかえて歩いていれば、ふ、と。メダルゲームコーナーのあたりにたむろしていた集団と目が合う。キンパツクンとかスウェットクンとか、なんだかガラが悪そうな集団だ。ああいうのを俺たちオタクは敵意と恐怖をこめて、DQNと呼ぶ。語源は忘れたが……ってこのくだり前にもやった。やったよ。そしてそんな場合じゃないよ。がっつり目が合ってるよ。  いやいやいやいや。なんでこっちに向かって歩いてきてるの? なんでそんないい笑顔していらっしゃるの? ちょっと待って、何か悪いことしましたか、俺! 「よォ兄ちゃん。何、なんかとったの? 俺らに見せてよ」  もう暑くなってきたというのになぜかパーカーをしっかり着込んでフードまで被ったイカニモな不良少年が俺をしっかり見据えて声をかけてくる。勘弁してください! 「うっわ。なんか美少女フィギュア持ってんだけどコイツ。オタクかよ、きめぇ」  ギャハハ、と笑う奴らをぶっ飛ばしてやりたいほどの怒りを覚えるが、悲しいオタク戦士にそんな力があるわけもなく。俺はじりじりと人の多いほうへ後退するしかなかった。 「オイオイ逃げるなって、一緒に遊ぼうぜぇ」 「そうそう。ついでにちょびーっとお小遣い貸してくれよぉ」  集団のうちのひとりが手を伸ばしてくる。やばい、と目をギュッと瞑ったとき、背後から低く通る声が響く。 「おいおめェら。何やってんだ」  少し離れたところ。俺の背後数メートルのところに、誰かが立っていた。暗いゲーセン内では顔がよく見えないが、このDQNたちの仲間には見えない。まっとうな恰好をした青年のようだった。正義感に溢れた一般市民かはたまた店のスタッフさんかは知らないが、この哀れなオタク戦士を助けてくれるというのなら、救世主だ。 「ンだ、おめー!」 「俺らはなァ、このイケメン兄ちゃんと仲良くお話してただけなんだけどォ」  敵とみなしたのかDQNどもが吠える。俺の真横で大きな声を出さないでくれ、まじでビビる。  救世主はチッと舌打ちをすると一歩、踏み込んでくる。まだ顔はよく見えないが、若い男のようだ。背は低いがすらっとした体躯に、長い黒髪を上半分だけ後ろで縛っている。ハーフアップ、っていうのかな。普通のオシャレな若者といった感じだ。 「お話、ねえ」  救世主の右脚が一歩前に出た、と思った瞬間、ドフッと鈍い音と衝撃がきて、俺の右前方にいたDQNが崩れ落ちる。 「……ほぇ?」  ガク、と膝をつくDQN。いつの間にか俺の真横にいる救世主。ポカンとするしかない俺とDQNその他。 「一般人を巻き込むんじゃねえよ。話なら俺が聞いてやる」  その声に聞き覚えがあると思ったのは気のせいだろうか。救世主は背が低く、俺の真横で下を見ているので顔がよく見えない。 「ッてめェ……!」  我に返ったDQNその二とその三が逆上して救世主に掴みかかろうと体をひねる。狭いところで暴れないでくれ! 間にいた俺はDQNその一と位置を入れ替わるようにして尻餅をつく。くっそ、掌をすりむいた気がする。ヒリヒリして痛い。 「この近辺で俺らにこんなフザけた真似してタダで済むと思ってんのかよォ、アァ?」  キンパツクンが汚いだみ声で吠える。うわぁ。こういう世界って、本当にあるんだ。  今のうちに逃げ出してしまえばいいのに、つい怖いもの見たさで見守ってしまう。DQNその二に胸倉を掴まれた救世主は相手を睨み返そうとしたのか、顔をあげる。  その顔を見て、ほぁ、という本日最大に間抜けな声が出た。だって、その顔は見たことがある。ありすぎる。 「知るかボケ」  低い声で啖呵を切って相手の額に頭突きを炸裂させたのは。撫でたならばしゅるりと音がしそうな艶のある黒髪をハーフアップにして。吊り目がちだが黒目部分の大きいぱっちりしたブラウンの瞳。小さくもきゅっと引き締まった唇。白い頬。どう見ても、俺の嫁だ。  え、え。春ちゃんに似てる人ってこんなにどこにでもいるの? また男なの? それともコレは俺が助けてほしいと願った電波をキャッチした二次元の嫁が、俺を助けてるために画面から飛び出してきてくれたの? いや男だし。っていうかそうじゃなくて!  よく見れば、その服も見覚えがある。その黒いポロシャツとカーキグリーンのズボン、よく着てるよね。それにいつもつけているスポーツタイプの青い腕時計。うん、見覚えがありすぎる。どう見ても色んな意味で俺の嫁です。っていうか、どう見てもシュンです! 「あんたもなァ、こんな奴らのたむろしてるとこをフラフラしてんじゃ――」 「……シュン?」 「え?」  すっかりノビたDQNたちを尻目に俺に向き合った救世主――シュンが何か言いかけたのをさえぎって、呼びかける。ぽかんとしたその顔を正面からはっきりと見て、なぜすぐに気づかなかったのか悟った。今日のシュンは髪を上げているだけではなく、眼鏡をかけていなかった。 「すッ――周藤く……!」  その顔が驚愕に染まる。ああ、確定だ。  でも、どうして? 状況が理解できない。俺の知っているシュンは内気で声が小さくて大人しくて可愛らしくて謙虚で天使で。今DQNふたりをのしてしまった目の前の人物とは、どう足掻いても結びつかない。  お互いに膠着していると、またしても新たな登場人物が通路に駆け込んでくる。 「シュンさん! いたいた!」  足元でノビているDQNたちと似たような風貌の若者が出現する。短く刈り込んだ金髪に、やたらと派手な柄のTシャツ。今日はこんなんばっかりか!  そいつは固まったままのシュンのところに駆け寄ると、足元にノビているDQN二人と、新たなチンピラ登場に恐れをなしたのか逃げ出した残党を見て、あちゃあ、と声をあげた。 「急に見当たらなくなったと思ったら何やってんすかぁ、シュンさぁん!」 シュンははっとしたように振り返ると、駆け寄ってきた若者の胸倉を掴み上げた。 「うるせえええ! 大声で人の名前を連呼してんじゃねえよゴラァ!」 「さっ、さーせん!」  シュ……シュンのそんなに大きな声を初めて聞きました。ていうか、口調違いすぎませんかシュンさん。 「あっ、ちがっ、周藤くん、これは、その、違くて、ええと……ごめんなさい!」  何が! と突っ込もうと思った矢先に、シュンは若者を引っつかんだまま駆け出していた。その速いこと速いこと。数秒後にはその場には俺とノビたDQN二匹しか残されていない。騒ぎに気づいた人たちが集まりはじめ、俺も慌ててその場から逃げ出した。  両手で戦利品を抱えて、人通りの少ない夜の街を歩く。その歩調はもはや小走りだ。歩きながら、段々冷静になってきた。しかし冷静になればなるほど、クエスチョンマークが次から次へと沸いてくる。  ……ええと。どういうことだ?  どういうことだあああああああああ!

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