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 翌朝。  結局また眠れなかった俺は完徹のふらふらする頭で大学に向かった。いつもより一時間早く。まだ誰も来ない正門付近で門柱にもたれて、携帯ゲームをしながら時間をつぶす。デジタルな手段で応じてくれないならもう直に当たるしかない。あくびを噛み殺して、すっかりやりつくしてしまったリズムゲームでフルコンボを量産していれば、少しずつ学生が登校してくる。  三十分経った。授業開始三十分前。ゲームをやめて鞄につっこみ、腕組みしながらまばらに通り過ぎる人を眺める。寝そうだ。  更に十五分経った。かなり人が増えた。見逃さないように目を凝らす。まあ俺があの華憐な姿を見落とすわけがないんだけど。  更に十四分経った。あと一分で授業が始まる。おかしい。シュンはこんなギリギリには登校しない。同じ科の名前は覚えていない同期に「遅刻するぞー」と声をかけられ曖昧に返事をする。声を発したことで脳が動き出したのか、はっとひらめく。 「北門から入りやがったな!」  思わず大声で叫んでしまって、遅刻すまいと走って校内に向かっていた人たちの視線を一身に集める。うわあああどうして気づかなかったんだ俺、この大学には門がふたつあるじゃないか! 「クソ、……」  悪態をついて俺も遅刻ギリギリ勢に加勢する。シュンはいつも正門を使っていた。避けられたということは明白だった。脇腹が痛くなったのは久しぶりに走ったせいだけではなかった。 「あっれえ? 周藤ボッチじゃん」  講義が終わり、次々教室を出ていく学生に交じってリア充三銃士くんたちがニヤニヤしながら俺の前を通り過ぎていく。腹は立つが今はこいつらに構っている暇はない。シュンの次の講義は何だったろうかと考えていれば、隣の空席に置いていたはずのショルダーバッグが突然目の前を横切る。大量にくっついたマスコットやらアクリルキーホルダーをじゃらじゃら言わせながらそれをかついだのは持ち主の俺ではなく、三人組のひとり、ええと確か伊藤くんだ。 「ちょ、何」 「周藤。ちょっとツラ貸せよ」  ねっとりと粘着質な言い方で古来より使い古された誘い文句を言ったのは、三人の中心人物的な存在の山田くん(仮)だ。未だに名前が判然としない。  って冷静にふざけている場合じゃない。鞄の中には勉強道具はもちろん、財布や携帯、ゲーム類やあれやこれや……とにかく不意にはできない諸々が入っている。返してほしければついてこい、ということなのだろう。  ああ神様仏様嫁様。こんな漫画みたいな展開にこの俺が巻き込まれるなんて、一体だれが想像しえたでしょうか? 「ヴッ」  腹に思い切り膝を入れられて変な声が出た。何だこれめっちゃ痛え、内臓が押しつぶされて吐きそうだ。  体育館倉庫なんて何てベタなんだろうと思うが、体育の授業がない今は実際に人気は皆無。エロマンガだったら最高のシチュエーションだが、残念ながら俺は埃っぽく狭苦しい中でマットやバスケットボールのカゴに挟まれて、山田くん(仮性)に胸倉をつかまれ、その愉快な仲間たちに囲まれている。何がどうしてこうなったのか分からない。ただ苦しくて、痛かった。 「前からオマエのこと気に喰わなかったんだよ」  山田くん(ですか?)がくわえたままの煙草が顔に近くて熱い。いつもはへらへらとしている彼は、ひどく険しい顔をしていた。腹が痛すぎて意識が朦朧とする……。 「キモオタのくせにやたら顔だけよくてよ。オマエといると嫌でも目立つし女の子が寄ってくるから一緒にいてやったっていうのに」  ――え? 「なのにあの地味メガネくんとつるむようになりやがって。誰のおかげでおまえ大学でデカイ顔してられると思ってンだよ、アァ?」  神様。二次元の神様。これは、傲慢だった俺への罰でしょうか? 自分の容姿を鼻にかけて、友人と穏便な関係を結ぶことを怠けていた愚かな俺は、こんなにも罪深かったんでしょうか? 「なァ、美帆ちゃんって子知ってるだろ」 「……ミホちゃん?」  唐突に出てきた名前には覚えがない。山田くん(?)はチッと舌打ちすると俺の胸倉を乱暴に離す。背後のコンクリート壁にたたきつけられて、頭がクラッとした。耐え切れずにその場にへたり込む。 「前におまえに声かけてきたデザイン科の女の子だよ! 掲示板の前で!」 「……ああ」  そんなこともあった気がする。あのときは山田くん(仮)が俺のオタクっぷりを暴露してくれて、幻滅した女の子が絶叫してた記憶が……そういえば名前がミホちゃんだったかもしれない。 「あの子なぁ、デザイン科で一番かわいいんだよ! 俺がずっと狙ってたのに……おまえが、おまえなんかがぁ!」  なるほど。どうしてこんなことになっているのか、おぼろげに理解できてきた気がする。山田くんカッコカリはもう怒りマックスといった感じで顔が真っ赤だ。握り締めた拳がギリギリと震えている。 「あのあとなぁ、しばらくたって彼女に声かけたんだよ、俺。そしたら何て言ったと思う! 最近周藤くんと一緒にいないよね、周藤くんがいないと君タチってパッとしないね、なんて……!」  うわお。それは何というか、容赦がない。俺が言われたら一週間くらい引きこもるかもしれない。他ふたりも山田くん(?)を哀れみのこもった目で見ている。  ドガッと音がして、朦朧としていた意識が覚醒する。狼藉者の脚が、顔の横にあった。座り込む俺に視線を合わせて体を落とした彼が、凄むように目を細める。 「むかつくんだよ、周藤ォ」  ゴクリ、とつばを呑む。加藤くん?と伊藤くん?は恐る恐るといった様子ではありつつも、パキパキと拳を鳴らしている。 「まじでやっちゃうの? 山本」  山本くんだった! 山田じゃなかった!  ってそんなことは今どうでもいい、やっちゃうって何、やっちゃうって。 「ここ誰も来ないし大丈夫っしょ」 「へへ、俺一回だれかを思いっきり殴ってみたかったんだよね」  これだからこいつらのノリは理解できない。こんなことの何が楽しいのか微塵も分からない。やっぱり違ったんだと納得する。俺は「こっち側」の人間ではなかった。いくら顔が良かろうと、俺は地味で根暗なオタクで……、って、何かにくくろうとすることすら馬鹿らしい。単純な話だ。俺はこいつらが好きじゃなくて、こいつらは俺が嫌いなんだ。  そんな奴らの思い通りになるのなんて絶対嫌だ。逃げるが勝ち、と立ち上がろうとしたとき、足元を蹴り飛ばされて盛大に転げる。 「ぶッ」  ずざあああとコンクリートの床を滑って、あちこちを擦りむく。ヒリヒリしてひどく痛いが、今からされることはこれよりも何倍も痛いのだろうと思うと、ゾッとした。 「逃がさねェよ」 「ッ……!」  粘っこいしゃべり方で伊藤くん(こっちもそういえば伊川くんだった気がする)が、うつぶせになった俺の肩を踏む。固い靴底を容赦なく押し付けられ、あまりの痛さに声も出ない。  いくら俺に非があるとしても半分は逆恨みじゃないか。それでこんな目にあわされるなんて、いくらなんでもひどすぎる。神様、二次元の神様、仏様、嫁様! 誰でもいいから助けて! 「周藤くんっ!」  ――それは本当に漫画のようだった。

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