7 / 8
七
月曜日会社に行ったら、鍵開け当番で先に来てたちさっちに、怖い顔で詰め寄られた。
「俺は今から打ち合わせに行ってくるから、社長が来てもくだらないことを言うなよ」
くだらないことってなんだよ。
俺はちさっちの味方なんだけどな。
「先生に言ったの? ホテルで俺とえっちなこととかしてませんって」
「先生じゃない、社長だ。金曜のことは金曜にもう説明してある」
うーん、やきもち焼くヒマあったかな?
「なんか社長って呼ぶと親密度下がった気がしてイヤなんだよね。ちさっちも先生って呼んでたんでしょ?」
言うと、ちさっちはあきれたように口をポカンと開く。
千坂くんトコちさっちって呼んだからだよね。
だって、出てきちゃったんだもん仕方ない。
「一緒にホテル行って親密度上がったみたいだよ?」
ちさっち呼びはやめろって言われるかと思ったら、なにも言われなかった。
こっそり嬉しいのかな。
出かけてるあいだの指示をして、ちさっちは事務所を出ていった。
そしてほぼ入れ違いで先生が来る。
「おはよう五嶋くん。先週はゴメンね、せっかくの歓迎会だったのに」
「大丈夫、楽しかったよ。ちさっちに介抱してもらえたし」
介抱してもらった上に呼びかた変わって、先生は驚いたような悲しそうな顔色になる。
これは、いい反応。
「先生、ちさっち好きなのに、なんで恋人になってあげないの?」
先生は少し迷うふうにしてから、静かに笑った。
「千坂くんは若いんだから、僕より、もっとふさわしい人がいるんじゃないかな」
ちさっちが言ったように、若者の未来を潰すからってことなのか。
「俺とか?」
俺を入社させたときちさっちと俺がくっつけばって、少しは考えたかも。
聞いたら、先生は俺を見て苦笑する。
はいはい、ちさっち優秀だから、俺みたいな軽いのが一緒になったらもったいないよね!
「わかってるよ俺ふさわしくないの! 俺はちさっちには、先生しかいないと思うよ?」
「もしそうだとしても、僕は駄目なんだ。子どももいるし」
どうしても、駄目みたい。
そうだった、恋人になるとして、それは先生だけの問題じゃないんだ。
「息子さんのこと考えて?」
「栄進ね、あの子感受性強いから」
あぁ、言ってたね。
父親が同性と付き合ったら最悪、家庭崩壊するかも知れない。
でも先生は、予想外な言葉を続けた。
「一年生のときに、僕が千坂くんを好きなことも、千坂くんが僕を好きなことも気がついて、結婚すればいいのにって言ったんだよね」
「はぁ? 息子さん賛成してて、ちさっちも先生好きで、俺もちさっちには先生がふさわしいって言ってんのに、なにが駄目なの?! 俺なんか前の会社で、関係ない人にまで反対されたんだからね?」
一緒に入社した大卒でカッコいい営業の人と付き合って、男同士だし周りには黙ってたんだけど、バレた。
俺が貴重なイケメンをたぶらかしたってことで、何人かの女の人からよくわからない意地悪をされるようになって。
俺のことが好きって人からはストーカーみたいなのされるし、もともと女の人が苦手だったから生きた心地がしなかった。
たぶらかしたつもりはないけど、べた惚れしてノーマルな人を落としたのは事実だったから、俺が悪いのかなって、その人とは別れたよ。
だから、邪魔する人がいないのに一緒にならないなんて、すごく贅沢なことで、もどかしくて、イライラする。
俺だってこういう職場だったら、もっと自由に、もっと幸せになれたのに。
言いたいこと、全部言った。
そしたら、あれ? 俺おかしいこと言ってる、って思った。
「ごめん先生、俺、私情はさんでるね」
私情で二人に口を出すなんて、前の会社にいた人たちと同じ。
でも好き勝手言って困らせてるのに、先生はおだやかな目をして首を横に振った。
「ううん、贅沢なのは間違いないよ。それでも、僕は幸せになってはいけないから」
「え、なんで?」
こんな優しい顔した先生が幸せになっちゃいけないなんて、意味がわからない。
「僕は世界で一番大切な息子に『母親がいない』っていう悲しい思いをさせてるんだ。母親になりたくない人とのあいだに子どもができて、母親にならなくていいから子どもを産んでくれって、自分本位にお願いして」
先生は自分をすごく責めてる。
そのこと、先生に責任があるのはわかるけど、幸せになっちゃいけないことはない気がするよ。
「僕のも私情だね。僕が幸せにならないことで、栄進に対してなんのつぐないにもならないんだけど、僕の気は済むから」
つぐなえないけど先生の気は済んで、それで一件落着してる?
いや、ちさっちはそのせいで、すごい悲しいことになってる。
「でもさ、先生が幸せにならないと、ちさっちが不幸になるよ。ちさっちの幸せってなんだと思う?」
聞いたら、先生はそんなに考えずに答えた。
「僕より素敵な人と、温かい家庭を持つことだって、思うけど」
いいね、温かい家庭。
でも、あの顔に温かい家庭って、俺はちょっと想像できないけどね。
「あのね、ちさっちの幸せは先生とえっちすることだよ!」
「えぇ……、そういう話じゃないよね?」
先生が考えたものとは対照的な幸せ像に、先生は困った顔をした。
「先生は彼女がいたとき、週に何回えっちなことしてたの?」
困りながらも、先生は素直に答える。
「一回か二回かな」
え、見かけによらず俺より多い……。
ちょっと、くやしいんだけど。
「俺は彼氏と週に一回するかしないか、ペロペロするレベルのやつなら高校からやってたけどさ、ちさっち、下手したら今までなんにもしたことないよ」
「聞いたの?」
先生はちょっと不安そうにたずねる。
「ちゃんと聞いたワケじゃないけどさ、こないだ俺を助けてホテルまで行った手口、あれ先生にやってやろうってシミュレーションしてたことだから。それは聞いた。先生ラブホは行ったことある?」
「あるけど」
「ちさっち自分で連れ込んでおいて、ラブホ来たことないからシステム教えろって、俺にクソ真面目に聞いてきたんだよ」
先生はその姿を想像したのか、口もとを手でおさえてふき出した。
「それは、なんかかわいいね」
うん、かわいかったよ。
面白いのほうが勝ってたけど。
「先生のせいでちさっちが一生童貞って、あり得ると思わない?」
先生は口もとをおさえたまま、目を細めてうつむいた。
俺的にはちさっちがここで働いてる限り、主人 に忠誠を誓う騎士みたいにずっと社長に寄り添ってる気がする。
騎士は主人に恋心ないか、でもそんなイメージで、ほかの人に行くことはないと思う。
ちさっち、フラれたけど今の状態から失敗したくないって言ってたから。
このままがいいって。
でも、『失敗しない』より『成功する』ほうが、何倍もいいに決まってる。
先生は顔を上げると、少し自信なさげな笑みを見せた。
「僕が一生息子に対して意味のないつぐないをするよりも、千坂くんを幸せにするほうが、重要だよね。僕にそれ、できる気がするんだけど、思い上がりかな?」
やっと先生が納得してくれた!
「そんなことない! 先生と一緒ならちさっち、一生幸せだよ。聞いてみなよ」
ちさっちが幸せになれるかもって思うと、すごい、嬉しい。
先生も嬉しそうに笑って、
「今度聞いてみるよ」
って言ってくれた。
……よかった。
これで俺も、やきもきしないでここで働けるから。
早くちさっち帰ってこないかなってワクワクしながら、ちさっちにもらった仕事の準備を始める。
そうそう、大事なこと、念を押しておかないと。
「あとさ、ラブホに連れて行ってあげて」
ここきっと大切。
ちさっち妄想してたし、先生えっちなこと嫌いじゃなさそうだし。
先生はちょっと考えてから、
「……今度の週末にね」
って言った。
はぐらかさないで具体的に言ったから、ホントに連れてってくれるんだなって、安心した。
ともだちにシェアしよう!