5 / 13
裕司と僕 その2
裕司が田舎の話なんかするからか、裕司の出発する前日の昼間に珍しい来客があった。
『嫌なのが来たな』
夕飯の買い物の話を小柳としているときに、不意にユウジが言った。
インターフォンが来客を告げたのは揃えとほぼ同時。
「誰か来た見たいっすね」
小柳が真っ先に来客の対応をするためにモニターに出る。
「志信さん、若頭の客だって仰ってるんですが……」
「え?」
小柳の知らない裕司の客なんて僕はもっとわからない。
でも、困った顔の小柳を放って置けずに、僕はモニターを見た。
「あ、おばさんっ!?」
モニターを見てぎょっとする。これは僕か裕司しかわからない客だ。
「なんでっ……」
少し老けてはいたが、裕司のお母さんだった。しかもその後ろには僕の母親もいる。
こちらの呟きはマイクを切っているので向こうに聞こえないが、向こうの声ははっきりと聞こえる。
『北条裕司の母親です。こちらに鼎志信さんがいらっしゃると伺って参りました』
しかも、僕を名指し。
どうしますか? と困り顔の小柳がこっちを見る。
正直、関わりたくないというか、嫌な予感しかしないので断りたかったが、そうもいかない。
『出なくていい』
ユウジが怖い顔で僕の肩を掴んでいたけど、そう言う訳にもいかない。
「通して差し上げて」
僕は小柳にそう言った。
「お久しぶりね、志信さん」
ソファセットの向かい側に裕司のお母さんと僕の母が座っている。
僕の隣にはユウジがすわっているけど、当然二人にそれは見えない。
妙な緊張感漂う中、喋ってるのは裕司のお母さんばっかり。
「裕司がごめんなさいね。あの子ったら、志信さんにまでご迷惑かけて」
「いいえ。迷惑だなんて、そんな」
「いいのよ、無理しないで。あの子乱暴でしょ? 志信さんとは会わないと思うのよね。どう? 今からでも地元へ戻らない? ほら、お母さんもこうして心配していらしてるし」
「あの……」
「お仕事もうちの会社に来てくれたらいいのよ? 高卒でもちゃんと生活できますからね」
「あ……」
「お嫁さん貰って、ご両親を安心させてあげなくちゃ。志信さん、一人息子なんだから」
『うるせぇっ! 黙れクソババァ!』
僕が言葉を発する前に、ユウジが唸るような怒鳴り声を上げた。
獣が咆哮するような剣幕だった。
しかし、二人にはそれも聞こえない。
「どうなさったの? 志信さん」
「いえ」
僕は二人の方へ向き直り、ソファを降りてその前に正座した。
『志信っ!?』
がばっと床に頭をつけて土下座すると、はっきりと言った。
「北条さんのお母様、大変申し訳ございません。僕は裕司と別れて地元に戻るつもりはありません」
いきなり土下座した僕に動揺する二人の気配が伝わってくる。
彼女たちは曖昧なことを言っても都合よくしか受け取らない。
ならば、はっきりと断るしか術はないのだ。
「し、志信さ」
「僕は、裕司と添い遂げる覚悟で一緒に来ました。彼が懲役に行って、一人で留守を守っていた時もその覚悟は揺らぎませんでした。ご厚意を無下にして申し訳ございませんが、僕は地元へ戻るつもりは全くありません。この地で裕司と共にいます」
僕は頭を下げたまま、声を張って言い切った。
今度は顔を上げて、母親の目をじっと見て静かに切り出す。
「母さん、一人息子が男と一緒に駆け落ちしたことは本当に申し訳ない。親不孝だと思ってる。でも、僕は親不孝をしてまで決めたことを容易に覆すつもりもないんだ」
母親はじとっと暗い目で僕を見ている。
いつもそうだ。自分の思い通りにならない、自分の自慢にならない息子を見る目。
幼い頃は可愛い事が自慢で、大きくなってからは大人しくて良い子が自慢。
でも、だんだん自分の思い通りにならなくなってきた上に、男と駆け落ちした恥知らず。
母親の僕を見える目はいつもそうやって僕を罵っている。
裕司のお母さんが何か言えと肘を突いたが、母親はじとっと睨んだまま何も言わなかった。
「し、志信さん、急に来てこんなことを言ったのできっと驚かれたのね。ごめんなさいね。でも、私たち、あなたのことをとても心配しているの。それは忘れないで頂戴ね」
何も言わない母親に呆れたのか、裕司のお母さんは何とか取り繕おうと慌てている。
「これ、私の連絡先よ。何かあったら連絡下さらない? こんな状況でも私と裕司は親子ですし、貴方も困った時は頼ってくださいね」
そう言ってテーブルの上に名刺を置く。
良く知った、地元ではちょっと名の知れた会社の専務という肩書のついた名刺。
(自宅の電話番号じゃないんだ……)
そんなことを考えながら、僕はそれを手には取らず、小柳を呼んで「お客様がお帰りになるそうです。お見送りを頼みます」とだけ告げた。
「あの女が来たのか」
裕司は帰宅して出迎えに出た僕を見るなり言った。
「すごいね。どうしてわかったの?」
僕がそう言うと「そんな気がした」とだけ言う。
(ああ、ユウジか)
裕司とつながっているユウジなら、そこまではっきりと詳細は伝わらなくても、それなりにユウジの記憶が伝わってしまうらしい。
「でも、裕司に会いに来たんじゃなくて、僕に用事みたいだったよ」
「はぁ? なんだ、そりゃ」
「裕司と別れて地元に戻って結婚しなさい~って。裕司のご両親の会社で就職もできるってさ。うちの母さんも一緒に……」
来たんだよと言い切る前に裕司に思いっきり抱きしめられた。
「すまん」
「……なんで裕司が謝るの?」
「もう二度と来させない」
「大丈夫だよ」
裕司の背に手を回し、僕もギュッと抱きついて言う。
「僕のことははっきり言った。裕司と添い遂げる覚悟できてるから絶対に戻らないって。裕司が懲役に行った時も、支えたのは僕だ。今更、裕司が惜しくなっても絶対返してやらない」
「……志信」
「うちの母さんが僕に帰って来てほしいわけがないからね。裕司のお母さんが僕と裕司を別れさせたくて来たんだよ。裕司は僕のものなんだからっ……絶対やだ……」
涙があふれてくるのを堪えるように、裕司の胸に顔をぎゅっと押し当てる。
裕司はそのまま黙って抱きしめて、僕の頭を優しく撫でてくれた。
『嫌な思いさせてごめんな……』
ユウジが裕司の胸の内を明かすように囁く。
僕はどっちの気持ちも嬉しくて「大丈夫」と言って、裕司を抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。
はっきりと断ったので、多少は通じるかと思っていたが、そんなに甘い相手でない事を僕は翌日思い知らされた。
旅行に出る裕司を見送って、小柳も一緒に事務所へと向かった後、一人でお茶でも飲もうかと一息ついていたらインターフォンが鳴った。
『出るな』
腰を上げかけた僕をユウジが止める。
「……もしかして、また?」
『あの女だ』
それを聞いて僕はモニターに出るのを止めた。
ソファに深く座ってため息を吐く。
「なんで今更、向こうを出てから10年以上音沙汰なかったのに……」
『どうせ金だろう』
ユウジが僕の隣に座って、自分の方へ抱き寄せるように肩に腕を回す。
「お金? 裕司のお父さんの会社って結構大きな会社だったよね?」
裕司は地元では有名な企業の創業者の息子だ。相当な資産家の家だったはずだ。
そんな金持ちの家が、何故ヤクザの息子に頼る?
『金なんてのは持ってる奴ほど欲しがんだ』
ユウジは吐き捨てるように言う。
『ヤクザの金でも、手に届きそうなところにありゃ欲しくなんのが亡者ってもんなんだよ』
「……」
僕もだけど、裕司もあまり家族と仲が良いわけじゃない。
裕司は中学まですごい優等生だった。
多分、上に二人いるお兄さんたちよりも。
親の期待の重圧、兄との諍い、裕司はそんな家の中に疲れ果て高校に入ってから荒れ始めた。
それでも家族が裕司にしがみつき続けたので、裕司は何もかも捨てて出て行った。
『とりあえず、あの女が家に来ても無視しろよ』
「わかった。僕も関わりたくないから」
ユウジにはそう言ったものの、これで終る気がしなくて嫌な感じが胸に残る。
裕司のお母さんは裕司には言わずに僕に言ってきた。
裕司と別れさせたいのだろうけど、僕と不仲の母を連れてくることは逆効果だと思うけど。
そんなことをモヤモヤと考えていたら、親の襲撃第二弾が待ち構えているのにはまってしまった。
「父さんっ!?」
買い物に出ようとマンションを出たところで、僕を待ち構えていたのは僕の父親だった。
「どうして……」
「お前が北条さんの説得にも応じず、北条さんの息子さんのところに入り浸ってると言われて来たんだ」
父親は母親より僕を嫌っている。
息子が男と出来て出て行ったことで、彼は理想の息子像を完全に打ち砕かれた。
裕司が迎えに来て、地元から出て行った僕に唯一連絡をしてきたのは父だけだったが、それはホモの息子を持ってどれだけ自分が体裁の悪い思いをしているかの呪詛でしかなかった。
「いつまでもそんなみっともない事をしていないで家に帰ってこい。北条さんがお前の就職まで面倒見てやると言ってくださっているんだ。わがままもいい加減にしろ」
「……昨日、母さんにも言ったけど、僕は帰る気はないよ」
「志信っ!」
「やめてよ、こんな所でみっともない」
僕は肩を掴む父親の手を振り払う。
「みっともないのはお前だ。裕司君には婚約の話が出ているというのに、お前が入り浸っているせいでご迷惑をおかけしているんだ。お前がどんなに男が良くて男の尻を追いかけようが知らんが、人様にご迷惑をかけるんじゃない!」
「は?」
青天の霹靂というか、この人は何を言っているのか? というか。
「裕司に婚約?」
「ああ、そうだ。先方は裕司君が過去に色々あったことも承知で結婚しても良いと仰ってるそうだ。裕司君が折角更生する道が開けているというのに、お前が足を引っ張るつもりか?」
ああ、なるほど、そう言うこと。
僕は目的がわからず気持ち悪いと思ってたけど、わかってみれば単純な事。
裕司の兄二人はとっくに結婚している。
その二人は銀行頭取の娘、大手ゼネコン企業の娘を妻にしている所からして、裕司にもそれなりに会社の役に立つ結婚を見つけてきたのだろう。
『相手にするな、志信』
ユウジが僕の肩をしっかりと抱いている。
僕は裕司を諦めたりしない。
(大丈夫だよ、裕司)
僕は心の中でそう言うと、父親に向かってもう一度はっきり言った。
「僕は絶対に裕司から離れない」
「……恥知らずめ」
父親は顔をしかめてそう言うと、踵を返して去って行った。
何と言われても気持ちは変わらない。
裕司は僕のものなんだから。
ともだちにシェアしよう!