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裕司と僕 その3

『俺を政略結婚に使おうとはふざけた馬鹿どもだ』  ユウジは外出中は姿を見せていないことが多かったけど、今日は珍しく僕にぴったりついてきていた。  さっきの結婚話が余程腹に据えかねるらしく、ずっとその文句を言っている。  ユウジ曰く裕司に結婚の意志は全くないのだと言うけれど、でも、僕はそうでないこともわかってる。  そりゃ、親の政略結婚にのる気はないかもしれないけど、この先そうも言ってられない日がきっと来る。  裕司にとっての親は会長や組長のことだ。彼らが結婚を望んだときに裕司は断れないだろう。  高校を辞めて飛び出したときから、ずっと裕司の面倒を見てくれた人に義理を欠くわけにはいかない。  僕はその日をずっと覚悟している。 (そのために、ユウジが現れたのかな……)  そんな事を思うことがある。  いつか結婚して妻と暮らす裕司が、残される僕の為に……。 『……志信』  名を呼ばれてハッと我に返る。  顔を上げるとユウジが怖い顔をして僕を見ていた。 「なに?」 『つまんないこと、考えてるんじゃないだろうな』 「……つまんない事ってなんだよ」  僕は他の人に気づかれないように俯いて買い物をしながら、小声でそっとユウジと話す。 『俺が結婚するなら別れようとか』 「つまんない話じゃないよね、それ」 『つまんねぇよ』 「……だって、それっていつか来る日の話だよ」 『!?』  辺りに人気が無いのを確認して、顔を上げてユウジの顔を見る。 「裕司にとっての本当の親から言われたら、裕司は断れないだろう?」  だからいいんだよ。  僕は裕司の足を引っ張るつもりはないんだ。 『……ふざけんなよ』  なのに裕司は怒りを堪えるような唸り声で言う。 『そんな甘い覚悟でお前を連れ出したんじゃねぇ!』  そう言うと、ユウジの姿がかき消すように消えた。 「僕だって嫌だよ……」  残された僕は、ユウジのいない空間を見つめて呟くことしかできなかった。  その後、ユウジはすっかりへそを曲げたのか僕の前には戻ってこなかった。  予定の買い物を済ませて、マンションへ戻るまでの帰り道、僕はいつか来るだろう日のことをずっと鬱々と考えていた。  僕は絶対に裕司のことを諦めることはできない。  例え、裕司が結婚したとしても僕は彼を支えたい。  今の様に甘えさせてもらう生活はもうできなくなっても、どんな形になっても裕司と共にいるのは僕でありたい。 (だから、ずっと覚悟してるのに)  子供の様にワガママが通らないこともあるだろう。その時に無駄に足掻くよりも、形を変えても添い遂げることを全うしたい。  恋人であることばかりが、全てじゃないんだから。  そんなことを考えながら歩いていたせいか、僕の歩く横にライトバンが横付けされたことに気がつかなかった。 「鼎志信さん?」 「えっ?」  不意に名を呼ばれて、呼ばれた方を見るとバンのドアが開いて中から手が伸びてきた。 「っ!?」  あっという間に僕は車の中に引きずりこまれる。 「なにをっ」  声を上げようとしたら口の中にタオルを突っ込まれた。  ライトバンのリアシートはフラットにされており、そこに乗っていた男二人に仰向けに抑え込まれる。  必死にもがいたけど、ガタイのいい男二人にはまるで敵わず、どうすることもできないまま車のドアが閉められ発信する。  頭を押さえこまれているので車の天井しか見えないが、声を聞くと僕を抑える二人以外に運転席と助手席に1人ずつ、合計4人の男が車に乗っている様だ。 (僕の名前を知っていた……)  名前を知っていても、狙いは僕ではないだろう。  目的は間違いなく裕司だ。 (まずいな……)  今まで危険な目に会ったことが無いわけじゃない。  いつもなら、僕の危険を知ったユウジを通じて裕司が助けに駆けつけてくれたけど、今、裕司は北海道だ。  僕が暴れたところで体格差がありすぎて、無駄に相手を煽るだけになってしまう。  途方に暮れてもう一度天井を見上げると、ユウジが不安そうな顔で覗き込んでいた。 『何とかしてやる、少しだけ耐えてくれ』  僕はこくんと微かに肯く。 「大人しくしろ。抵抗しても無駄だからなっ」 「んっ、ぐっ!」  肯いた僕を抵抗したとみなしたのか、男はそう言うと僕の顔を殴った。 「おいっあんまり傷つけんな、興ざめすんだろ」 「どうせこの後ボロボロにすんだから、今殴ったってどうってことねーよっ」 「ぐぅっ!」  口を押えつけられたまま、ガッともう一発顔を殴られ、頬骨のあたりがカァッと熱く痛む。  これ、痣になっちゃうかもと思ったが、男たちの会話から察するにこの後もっとひどい目に会わされるようだ。  僕が何故こんな他人事で居られるのかというと、目の前で僕を覗き込んでいるユウジが怒りに身を震わせているからだ。  今にも怒りで爆発しそうというか……すでに爆発してるんだろうけど、生霊のユウジでは男たちに何もできない。  それをわかってユウジはグッと堪えている。 (大丈夫。大丈夫だから)  僕はユウジのことだけを見つめている。  他の何も視界に入らない。  怒りに震えているユウジを見ていると不思議なことに安心する。  ユウジが何とかしてくれるとかそう言う安心ではなく、ユウジがまだ僕のことを大事に思ってくれていると感じられるから。 (僕も随分疲れちゃってたんだな……)  政略結婚を突きつけられて悩ましさが浮上する前から、心のどこかでずっと考えていた「いつか」の事。  東京に来た時の様に、ただ好きで一緒に居たいと言うだけで居られるほど若くも無くなってしまった。  裕司がずっと僕をヤクザ者にしないように気遣い続けていたように、そう気遣われる度に僕は裕司から引き離されるいつかを想定し続けていた。 (このまま、いっそ……)  僕が殺されたら、裕司の心の中にずっと残れるだろう。  裕司が結婚しても、裕司に子供が産まれても、きっとどこかで僕のことが心に引っ掛かりながら生きて行く。 (でも、裕司が幸せになれないのは嫌だな)  思わず涙が溺れた僕を見て、男たちは卑下た顔でニヤニヤしている。  その背後でユウジが怖い顔で僕を見ている。 『つまんねぇこと、絶対に考えんなよ』  お見通しなのはユウジだけだった。  しばらく車で走った後、下された場所はどこか倉庫のような場所だった。  車ごと倉庫の中に入ってから降ろされたので、場所は全く何処だかわからない。  良くないな、と思ったのは、コンクリートがむき出しの倉庫の中にはすでにブルーシートが敷かれていたからだ。  血液は洗浄してもルミノール反応が残る。  だから、彼らは床に血液が残らないようにこうやってシートを敷いて、汚れたらそれをそのまま焼き捨てるのだ。  なんで、そんなヤクザあるあるなんか思い出してるんだろうと思いながら、男たちに引きずられるままにブルーシートの上に放り出された。  どこかに監禁されて、裕司に何か要求するための人質にでもされるんだと思っていたが、監禁するより処分する雰囲気の方が強いこの場所で、どうしたものかと思案する。  落ち着いてるように見えるのは、こうしている今も隣にはぴったりユウジがいるからだ。 『絶対、俺が何とかしてやるから、お前は俺を信じろ』  ユウジはこう言ってくれるけど、多分今回はちょっと無理じゃないかな。  少しでも監禁でもされて時間が稼げれば、裕司が東京へ戻ってきたかもしれないけど、それを待ってもらえるような雰囲気でもない。 (でも、ユウジが側に居て死ねるならそれでもいいかな)  僕が落ち着いているのはそれだけのことだ。  しかし、ユウジは全然諦めていない。  僕は口の中にタオルを突っ込まれたまま、後ろ手に縛られていたが、ユウジはそれを解いてくれた。  不思議なことに、他の人には見えない触れられないユウジだけど、僕には見えて触れられるように、僕の身体に触れているものには触ることができる。僕の服を脱がすことができるように、僕の手を縛っていたロープを解くことができた。 『口ん中のタオルはちょっと苦しいかもしれねぇがそのまま噛んでろ。舌噛むとヤバいからな』  そう言って僕の頬を撫でる。  僕は小さく肯いて、そっとその手に擦り寄った。  それから僕をブルーシートに置いたままの男たちの方を見ると、何やらこそこそとこっちに聞こえないように話し合っている。 『おい、志信。そのままで聞け』  ユウジが僕の肩に手をかけて顔を寄せて囁く。 『奴らと反対の方に鉄パイプが落ちてんの見えるか?』  言われた方を見ると、50センチほどの棒のようなものが落ちているのが見えた。 『俺が合図したら、あれを拾いに行け。手に持ったらすぐに、男たちの中の真ん中にいるあのサングラスの奴を殴れ』 「!?」  ユウジは驚く僕に有無を言わせぬ力強さで続ける。 『お前もわかったろうが、裕司が来るまで待ってられねぇ。俺が絶対何とかしてやるから俺を信じろ』  僕は一瞬迷ったけど、再び小さく肯いた。  いっそこのままと思ったりもしたけど、助かるなら助かりたい。できることがあるならしたい。黙ってやられるのは嫌だ。  ユウジは用心深く男たちの様子を見て、全員が僕から視線の外れた瞬間を狙って僕の肩をぐっと押した。 『行けっ!』  僕は夢中で立ちあがり、落ちている鉄パイプに飛び付く。 「この野郎っ! なにをっ!」  そして、裕司に言われた通りサングラスの男に殴り掛かろうとして、腕を振り上げた瞬間異変は起こった。 「うわっ」  僕の手は自分でも信じられないくらい力いっぱいサングラスの男を殴りつけたのだ。 『次、右っ』  サングラスの男が昏倒するのを確かめるまでもなく、右から僕に手を伸ばす男の頭を鉄パイプで横殴りにする。 「あっ!」  僕の手にはユウジの手が添えられている。  二人で一本の鉄パイプを握って戦っている。 『もう一発!』  ユウジの声に導かれて、返す刀でもう一人も殴り倒した。  残るはひとり、しかし、三人を殴る間に少し距離を取られて構えられてしまった。  手にはナイフが光っている。 『リーチはこっちの方が上だ。怖くねぇ!』  ユウジにそう言われるとそんな気がしてしまう。  僕は鉄パイプをぎゅっと握りしめると、その上からユウジの手が重なる。  後はもうユウジに任せるままに、僕は男の方へ一歩を踏み出した。

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