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裕司と僕 その4
「志信さんっ!」
息も絶え絶えで僕が冷たいコンクリートの上に身を投げ出していると、ガガガッと重いシャッターの開く音がした。
僕は重くて動かない身体を無理やり捻ってそっちを見ると、鉄パイプを持った小柳が僕の方へ走ってくるのが見える。
「小柳……」
「お怪我はありませんかっ!?」
小柳の後ろからはぞろぞろと10人ほどの男たちが、同じように手に手に武器を持って倉庫の中に入ってきた。
「大丈夫……どうしてここがわかったの?」
最後の男を殴り倒すのに少し手間取って、倒したときには体力の限界が来ていた。
ユウジのアシストのおかげで怪我は全くないが、自分の限界以上に体が動いたようで息が切れたまま中々整わない。
「若頭から電話で。何も言わずにここへ行けと」
「おー……すごい、愛の力かね……」
小柳の手を借りて起き上がり、埃だらけの服を払う。
「……これ、全部、志信さんが?」
「うん。なんか人質って感じじゃなくて、一刻を争いそうだったから」
そう言うと、小柳の顔色がさっと変わる。
敷かれたブルーシートに、殴り掛かった時は気がつかなかったけど僕を拉致した男たちが用意してた凶器は刃物ばかり。中には鋸刃のものもあった。
それを見たら、どういう意味かなんて、部屋住み1年生の小柳だってわかる。
「お怪我が無くて何よりでした」
「小柳もありがとう、来てくれて本当に助かった」
そして、僕は表に車が待たせてありますと倉庫から連れ出された。
僕が殴り倒した男たちはどうなるんだろうと思ったけど、それも裕司から小柳たちに指示が行っているらしく、僕はとりあえずマンションへ帰りましょうと言われる。
しかし、僕はそれを断って、元居た倉庫の方へと踵を返した。
「志信さんっ」
『志信っ!』
小柳だけでなく、ユウジも僕を呼び止める。
椎葉会系靖南組若頭・北条裕司の関係者を拉致したのだ。4人の男たちは無事では済まされない。彼らはもっとも面子を重んじ、それを汚す者は許されない。
裕司は僕にできるだけヤクザの裕司を見せないようにしている。
僕を抱くときにシャツを脱がないことが多いのは無意識に刺青を隠すからだ。
僕にはとっくに裕司と同じ色に染まる覚悟がついているのに、裕司はいつも僕を遠ざける。
大事にされているとは思う。染まって良い事なんか何もないのもわかる。
それでも、僕が裕司のものだというのなら、僕は同じ場所に立ちたいんだ。
「止めてください。俺が若頭に怒られます」
僕の腕を引いて小柳が止める。
『志信、止めろ。お前が見るもんじゃねぇ』
ユウジも僕を止めようとした。
僕の前に立ちふさがったユウジをまっすぐ見つめる。
裕司は仁王立ちで、怖い顔で僕を見ている。
「小柳、裕司に電話して」
「あ、は? はいっ」
小柳は慌てて裕司に電話して、スマホを僕に渡した。
僕はそれを受け取り、ユウジの顔を見つめたまま話す。
一通りの無事を確かめる会話を終えて、僕は本題を切りだした。
「僕を拉致した連中の始末に僕も参加する」
「!?」
裕司もユウジも小柳も言葉を失う。
「綺麗なままで捨てられるなら、まっ黒く汚れても居場所が欲しいんだ」
「『馬鹿野郎っ!』」
裕司とユウジの声が同時に響いて、バシッとスマホが始め飛ぶ。
僕はユウジに頬をぶたれた。
「志信さん、落ち着いてくださいっ!」
僕が携帯を投げ捨てたと思ったのか、小柳は慌ててスマホを拾い僕の腕を掴んだ。
「とりあえず、とりあえず、車に戻りましょう」
小柳はぐいぐいと僕を引っ張り車の方へと連れて行く。
『家に帰れ、話はそれからだ』
ユウジもじっと僕を見つめたままついて来る。
僕はぶたれて痛む頬を押さえたまま、黙って車に乗り込んだ。
その日の夜、裕司は旅行を切り上げて最終の飛行機で東京に戻ってきた。
「志信っ!」
出迎えた僕を見るなり、裕司は手を振り上げたけど、僕の顔を見てぐっと何かを飲み込むとその手を下した。
「怪我はないか?」
「……大丈夫、顔少し殴られたけど」
僕の顔には車の中で男たちに殴られた時の痣が黒く残っている。
でも、痛むのはユウジにぶたれた逆の頬。
「そうか、無事で、よかった」
そう言って、深いため息をついてから、裕司は僕をぎゅっと抱きしめた。
玄関でまだ靴も脱いでない。
ものすごい力で抱きしめられて、裕司が震えていることに気がついた。
「無事だったんだし、旅行切り上げなくても良かったのに」
「馬鹿野郎……お前以上に大事なモンなんかあるか」
「裕司……」
「お前な、俺の覚悟舐めんなよ」
裕司が更にギュッと僕を抱きしめる。
「俺がヤクザになった時の条件は、お前と生涯共にいる事だけだ。親父より誰よりも優先する。それを許してもらうために俺は懲役にも行ったし、言われたことは何でもやったんだ」
「……」
「親父や会長もそれを認めてくれている。俺はお前と一緒に居る為だったら何でもする。懲役だって行くし、人も殺せる。だがな、お前と別れるのだけはだめだ。結婚もお前以外とはしない」
男同士じゃ結婚できないよと、いつもなら言える僕も今日は言えない。
裕司の言葉を聞いてるだけで体が胸が震えてくる。
静かに淡々と綴られる言葉は、何よりも心に響く。
普段言葉少ない裕司が、どれだけ僕のことを心配して、怒って、大事にしてくれているのかが、何よりも伝わってくる。
「僕は、裕司が……裕司が遠くにいるようで、不安だった。大事にされてるってわかってたけど、僕だけ中途半端に綺麗なままでいるのは、いつか裕司と違う世界へ押し戻されるんじゃないかって、ずっと、ずっと不安だった!」
大事にされてるからって、いつまでも一緒に居られるとは限らない。
逆に大事にされているからこそ、何かあった時は手を放されそうで怖い。
「同じ世界で黒く染まれば、裕司に捨てられても側に居ることはできるかもしれない。ずっとずっとそう考えてて……僕は……」
自分が死んで裕司に傷が残せないのならば、同じところに下りるしかない。
棚の上に乗せられたままじゃ、いつか忘れられて、下に下りれないまま、どこかへ行く裕司を見ている事しかできない。
「志信……」
「僕にも、裕司だけなのに……」
僕は裕司の背にぎゅっと爪を立てる。
僕だって放さない。裕司が何処に行っても、この背にしがみ付いてやる。
「放さねぇって言ったろ」
涙を胸に擦りつけている僕の頭を優しく撫でると、裕司は僕の額に唇をつけて言った。
「お前は俺のモンだ」
『で? お前はちゃんと納得したのか?』
翌日、裕司は用事があると朝から出かけて行き、僕はまた一人で留守番となった。
流石にちょっと出かける気にならず、事務所からマンションに戻ってきた小柳に買い物を頼み、僕は部屋でTVを観ている。
「僕の為に懲役行ったって本当?」
『ああ。俺が出頭するってなった時に、俺の家族は志信だけだから、志信の事だけを頼むって親父に言ったんだ』
「それで、僕が事務所に行った時にすぐに弁護士先生と繋いでもらえたの?」
当時を思い出すと合点が行く。
事務所に乗り込んだ僕も相当アホだったけど、それに動じず事務所に人たちはすぐに色々と手続きをしてくれた。
「今回も、小柳以外に何人もの人が助けに来てたし……」
『当り前だろう。若頭の選んだ姐だ。ここの部屋住みの面倒ずっと見て来て、お前に義理のある連中もいるんだ。留守でなければもっと集まっただろうよ』
ユウジは呆れ顔で僕の隣に座っている。
『それより、俺がこんなに大事にしてんのにそれが伝わってない方がショックだったぞ』
「あう……」
ぐっと乱暴に抱き寄せられて、ユウジの胸に抱え込まれる。
『生霊にまで分かれてお前の側に居んのに、何をまだ不安に思うんだ?』
「……僕は最初から裕司は女の人と結婚して、僕は愛人になるんだって思い込みがあったのも悪かったんだ……」
『なんでそんなことを』
「だって、裕司は早く偉くなりたいってずっと言ってたじゃないか。それを一番早く達成するには血縁作って跡目を継ぐことが……」
『馬鹿だな』
「でも……」
『お前の為に偉くなりてぇのに、偉くなるためにお前捨てるわけねぇだろ』
ユウジは僕の顔が見えるように腕を緩め、両手で僕の頬を挟む。
『俺が偉くなりたいのはお前といて文句を言わせないためだ。こんな世界でも男同士なんてのには偏見がある。女と添い遂げるようには簡単にはいかねぇ。だから、誰にも文句言わせねぇ為には俺が上に立つしかないだろ』
「ユウジ……」
『そんな、俺の気も知らずにお前はっ』
「ごめんなさいっ」
ぎゅうぎゅうと頬を挟んでくるユウジの手から逃げながら、笑い合って縺れるように二人でソファに寝そべった。
僕を押し倒すようにして倒れ込んできたユウジが、チュッとキスしてくる。
『でも、無事でよかった。それが一番何よりだ』
「……心配かけてごめん」
『お前が悪いんじゃねぇ。あいつらを放って置いた俺が悪かった』
「え?」
このままエッチに突入かと思うくらいの雰囲気だったのに、ユウジは身体を起こし、改まって姿勢を正すと僕に頭を下げた。
『お前を傷つけようとしたのは、対立が激化し始めている組の連中だったが、そいつらにお前を売った奴がいる』
「……」
ユウジの冷たい顔。きっと僕以外の人間を見る時の裕司はこんな顔をしているのかもしれない。
「もしかして……」
『北条の連中だ』
ああ、やっぱり。
どこかでそんな気はしていた。
でも、そんな愚かなことをするとは思わなかった。
親だから。そんな風に甘く考えていたのかもしれない。
『あいつらの会社が傾いてるのは知ってたんだ。奴らはそうとは知らなかったんだろうが、俺の持ってる金融会社から金を借りてるくらいひどい状況だった』
ユウジの金融会社はもちろん銀行でも何でもない。金利もブラックな闇金だ。
『俺はこのまま追い込んで会社も食い潰して奴らを蹴散らすつもりでいた。ところが、どこでどう知れたか知れないが、奴らは俺が稼いでることを嗅ぎつけたんだ』
「それで、政略結婚?」
『奴らは昔から俺がお前に執着している事を知ってる。お前さえいなくなれば何とかなると思ったんだろう。流石に奴らも殺すところまでは考えてなかったようだが、頼んだ連中が拙かった』
抗争対立中の組織に頼った結果。僕は殺されるところだった。
「実行犯もだけど……裕司はお家の人たちをどうするつもりなの?」
『お前も言ったが、俺の親は会長と組長だ。それ以外に親はいねぇ』
「ユウジ……」
冷ややかな顔のまま、ユウジははっきりと言った。
『ヤクザを利用しようとしたバカにはそれ相応の始末をつける。それだけだ』
多分、それは僕の親も含めて。
北条の家の誰に何を言われて僕に会いに来たのか知れないけど、それに乗ってしまった以上、その結果は負わされる。
でも、僕も案外薄情なんだと思った。
親の事は何とも思わない。
裕司との間に憂いが残る位なら、僕は躊躇わずに切り捨てる。
『お前は何もしなくていい。ずっと俺と共にいろ』
ユウジが再び僕を胸に抱き込む。
僕の為に手を汚す裕司。
僕はそれをずっと蚊帳の外の様に感じていたのだけど、そうではないと今はわかる。
裕司が汚す手は、ずっと僕に重ねられている。
僕の手を離さないために、その為に裕司は僕の身代わりになる。
「ずっと一緒だよ。この手は僕の手でもあるんだから」
ユウジの背に手を回し、ぎゅっと強く抱きしめ返した。
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