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僕とユウジ その1

「引っ越し?」  数日間、家を留守にしていた裕司が急に引っ越しすると言い出した。 「一時的に部屋を移るだけだ。しばらくお前はホテルで暮らせ」  裕司はそう言って、この辺りでは結構ハイクラスのホテルの名前を告げる。 「いつから?」 「早けりゃ早いほどいい」  簡潔に返される。 「……わかった。今夜のうちに出れるようにするね」  こう言う事は今までも何度かあった。  僕は裕司がお風呂に入っている間に、スーツケースを持ち出して必要な物を詰めはじめる。  とりあえず1週間分。不足があれば買い足すくらいの気持ちで荷物は小さくまとめた。  あと、僕が内職で使っているノートPCとか身の回りの物を詰める。  裕司の分は数日分のスーツと着替えのみ。  多分、僕とは別のところに移って、僕のところにはたまに泊まりに来るような生活になるだろうから、その日に着替える分を用意できていればいい。  嫌なことだけど、こんな事にも慣れた。  潜伏先のホテルがハイクラスなのは金銭的な余裕があるからではなく、人の目が絶えずあり、セキュリティがしっかりしているから。  裕司が何処に潜伏するのかは僕は聞かない。裕司も言わない。  それが僕が唯一裕司を守ることができる方法。  知らなければどんなリンチにあっても教えられない。  荷物をまとめている僕を背中からユウジがぎゅっと抱きしめてきた。 『心配すんな、いつものことだ。少しだけ我慢しろ』 「大丈夫。僕は裕司を信じて待ってる」  背後から回された手に自分の手を重ねる。  それにこの腕は絶対に僕から離れない。  だから大丈夫。  そう信じて、僕はスーツケースを閉じた。  しかし、そんな願いは移動3日目にしていきなり打ち砕かれてしまった。  夕食後ホテルの部屋でお風呂に入ろうとお湯を貯めていると、不意にユウジが頭を押さえて蹲った。 「どうしたのっ!?」 『裕司が、やられた』  そう言うと、ふわっと掻き消すように姿が消えた。  そして、ユウジが消えたのと同時に、すごい勢いでドアがノックされる。 「すみませんっ」  僕が慌ててドアスコープを確認すると小柳がいる。  小柳は僕と同じホテルの別フロアの部屋に詰めていて、僕のボディーガード兼連絡係になっていた。 「大事が起きました」  ドアを開けると、僕の顔を見るなり小柳はそう言うと、一緒に来てくれと言う。  僕はとりあえず食事の時に持って出たバッグ一つを掴んで小柳の後に続く。 (ユウジが消えたのは、裕司が倒れた所為……)  今まで、ユウジが姿を消すことは何度もあった。  僕が何かに夢中になっている時とか、裕司と一緒に居る時なんかは、ユウジはどこかしらに姿を消してることが良くあった。  でも、今回のは違う。  消えようと思って消えたというよりは、消えなくてはならなかった。  ユウジは裕司の生霊で、二人は繋がっていて、命を分け合っていて、それは……。 「志信さんっ」  小柳の声にハッと我に返る。  僕はエントランスホールの真ん中で座り込んでしまっていた。 「大丈夫ですか?」  小柳が僕の肩を支えて立たせてくれる。  ドアマンも駆けつけて、僕の背を支え、小柳が呼んでくれていたタクシーに乗り込んだ。  震えがおさまらず、力の入らない僕を後部座席に乗せ、小柳は助手席に乗り込み、ホテルからそう遠くはない病院を指定する。  自分でもわかる位、膝の上に置いている手がぶるぶると震えている。  ユウジが僕の隣に居ない。それがこんなに不安なことだとは思わなかった。  心臓がバクバクと脈打っているのに、身体はどんどん冷たくなってゆく。  気持ちの悪い汗が背中を伝って落ちるのを感じながら、僕は強く手を握り締めた。 (大丈夫。裕司は大丈夫)  繰り返し繰り返し、頭の中で唱え続ける。  僕の対が居なくなるはずがない。  病院について、タクシーから降りて小柳に肩を支えられて向かったのは手術室側の家族控室だった。  そこには見知った顔の男たちがすでに何人かいた。僕はまず裕司と一緒に居たはずの飯島に話を聞こうと見まわした。しかし、控室の中に飯島の姿がない。 「飯島は?」 「奴も手術中です。若頭の盾になって、肩と胸をやられました」  裕司を庇って同じく撃たれらたしい。  庇われたのに、裕司自体も怪我を負っているとなると、本格的に殺そうと思って襲っているのだ。脅しじゃない。 (なんで、こんな……)  裕司がこんな目に。そう思うけど口には出せない。  裕司の為に身体を張って守ってくれた人がいる。  弱音を吐いてはいられない。 「犯人は?」 「……今、全力で行方を追っています」  逃げられたという事か。  部屋にいる男たちの悲痛な面持ちに、僕はハッと嫌なことに気がついた。 「……ねえ、裕司は?」  飯島は手術中、犯人は逃走中、誰も裕司の話をしていない。 「わ、若頭は、撃たれた後、犯人の車に乗せられて……」  目の前が真っ暗になる。  殺しに来た連中に拉致られたなんて。 「奴らの目的は、若頭の暗殺ではなくて誘拐だったと思われます。事務所に連絡がありました」  裕司の命と引き換えに、今、組が手を出している公共事業から撤退しろという。  その件での談合には複数の組が関わっていて、実行したのが何処の組みか絞り込めず、現在必死に情報収集をしているらしい。 「犯人の要求を飲むの?」  答えはわかっていたけれど、敢えて僕は訊ねた。 「いいえ。今のところは」  要求を飲んだところで裕司が助かる確率は低い。  裕司1人の命と、組の収入の大部分を支える事業を秤にかけること自体ありえない。  僕は身体がすうっと冷たくなって、その場に座り込んでしまった。 「僕は裕司の側に呼ばれたんじゃないの……?」 「ホテルも危険な可能性がありましたので、我々の側に居てもらうのが今は安全と思い、お呼びしました」  裕司がいないのに、彼らは僕を気遣う。 「とにかく、犯人の行方は組を上げて追っています。若頭がみつかり次第救出にも参ります。志信さんはどうかこちらでお待ちください」  僕と話していた男は、座り込んでしまった僕を抱きかかえるようにして、僕を側にあった椅子に座らせてくれた。  他のみんなも若頭が襲撃された上に拉致られるという事態に殺気立ちつつも、僕に配慮してくれているのを感じる。  でも、それらすべてが裕司を失った僕を憐れんでいるように感じて辛い。 (僕はまだ裕司を失っていない)  裕司は生きてる。僕が浚われた時と違い、殺すつもりならその場で殺されていたはずだ。  殺さずに利用する為に誘拐されたのだから、そんなに簡単に殺されはしない。  自分自身にそう言い聞かせても、手が震え嫌な汗が背を伝う。 (裕司……ユウジ……)  せめて、声だけでも聞かせて、僕に無事を伝えて。 「志信さん」  小柳が心配そうに僕の隣に座った。 「若頭と一緒に居た飯島が意識を取り戻せば、また情報も入ります。それ以外でもみんな懸命に探してるんで、どうか、気を落とさないでください……」 「……ありがとう」  微笑み返すことはできなかったが、それでも僕は何とか返事をした。  誰もができる限りのことを必死にやってくれている。  要求を飲まなかったからと言って、裕司を見捨てているわけではない。  それは、わかっているのだけど……。  待合室の中はしんと静まり返ったまま、時間だけが過ぎて行く。  肩と胸を撃たれた飯島の手術は、摘出に随分と時間がかかっている。  手術が終わっても麻酔が切れなければ話もできない。  話ができたとしても、何もわからないかもしれない。  いきなりの襲撃で、咄嗟に盾になってくれただけでもすごいのに。 「どうか……無事でいて……」  思わず、祈るような言葉が口からこぼれた。 「銃弾は全て摘出し、傷口の手術も無事終了しました」  執刀医が部屋まで来て説明する。 「意識が戻るまでどのくらいかかりますか?」 「麻酔が切れて意識が回復次第、病室へ移ります。個人差はありますが1時間程度で戻れると思います」  それを聞いて、一人が待合室の外へ出て行く。  多分、警察に状況を説明に行ったのだろう。 「志信さん、とりあえず警察の事情聴取の前に、意識が戻り次第10分だけ話ができます。その時に聞きたいことはありますか?」  僕は首を振る。僕が話しても情報は引きだせない。 「話はおまかせします。飯島が普通に話せるようになったらお見舞いをさせてください」 「わかりました。では聴取は我々に任せてください。それと……」  待合室に来てからずっと僕に話をしてくれている男――武田はそう言ってから僕に封筒を差し出した。 「新しい宿泊場所をご用意しました。前のホテルの荷物は取りに行かせましたので、こちらでお待ちください」  封筒の中にはホテルのカードキーとクレジットカード。 「これは?」 「カードはご自由にお使いください。個人情報が漏れると面倒ですので、しばらくこちらのお名前を使っていただきます。今お持ちのご自分のカード類はご使用にならないでください」  クレジットカードを見ると名義には僕とは違う名前が書かれている。 「スマホは?」 「後程、新しいものをお部屋に届けさせます。今お使いのものはそのままお手元にお持ちください。そして、もしどこかから連絡があった時は、真っ先に私に知らせてください」  犯人からの連絡が僕にもある可能性があるという事か。 「わかった。必ず連絡する」 「あと、引き続き小柳をボディーガードに付けます。部屋は隣です。外に出る必要がある時は基本的に小柳に申し付けてください。できれば志信さんは外出を控えて頂けると助かります」 「……わかった」 「若頭の留守中に志信さんに何かあったら、俺たちは若頭に殺されてしまいます。どうか、ご辛抱を」  武田は深々と頭を下げて、小柳を呼ぶと入れ替わりに控室から出て行った。  僕は留守中という言葉を使ってくれた武田に感謝する。  そんな些細なことだけど、彼らが裕司を見捨てていないんだと思えたから。 「志信さん、行きましょう」  座ったままの僕に小柳が声をかけてきた。  僕は黙って立ち上がり、小柳に続いて部屋を出る。  先の見えない不安に、足元が昏く揺らぐようだった。

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