10 / 13

僕とユウジ その2

 ホテルに戻って、ぼんやりとベッドに腰掛ける。  自分が立てる物音以外、何も聞こえない部屋。  広いベッドの上にも僕一人。 (ユウジも居ないなんて……いつ振りだろう)  短い間だけ一人ぼっちなのは何度もあった。  でも、こんなにユウジとも裕司とも離れているのは初めてかもしれない。  今、裕司はどこにいるのかもわからない。  無事でいて欲しい。せめて生きていてほしい。  生きて僕のところへ返って来てくれるなら、僕はどんなことをしても裕司を支えて一緒に生きて行くから。  そんなことをずっと祈るように考えているうちに僕は眠ってしまったらしい。  目が覚めそうで覚めない、酷く体が重たい状態でうっすらと意識を取り戻した。  部屋の明かりをいつの間に消したのだろう、何だか辺りが薄暗い。 (何か……音がする)  遠くに電車の音、何故か虫の声、ジジジッと何かが震えてる音。 (何で虫の声……? これじゃまるで……)  昔、裕司と暮らしてた古いアパートの部屋みたいだ。  そう思った瞬間、ハッと目が覚めた。 「……夢?」  洋服のまま、半分座った姿勢のまま寝ていた所為か、頭が酷く重い。  こっちに出てきてすぐ、裕司と一緒に住んでいたアパートの夢。  裕司のことを考えていた所為だろう、懐かしい二人の思い出がある場所の夢を見たようだ。 (でも……)  何か引っかかる。  確かに虫の声とあの古い電化製品の動いている音は覚えがあるが、あんな風に電車の音は聞こえなかった。  二人が住んでいた安アパートは安いだけに駅から遠く、車の音は聞こえても電車の音が届く様な場所ではなかったはず。  どうしてそんなことが気になるのかわからないが、何だかそれが酷く心に引っ掛かった。 (夢の続きが見れるなら、もう一度眠って確かめたい)  しかし、そんな都合よくはいかない。  所詮は夢だ。もう一度寝た所で続きが見れるはずもない。  でも、それでも、僕の頭の中にあの懐かしい部屋の夢のことがこびり付いて消えなかった。  そんな風に気にしていた所為か、シャワーを浴びてベッドに入って再び見た夢は、住宅地の公園の夢だった。 (知らない場所だ……)  でも、全く知らないわけでもない。  遠くに見える高層ビルは見覚えがあるし、そこからそんなに遠くもなさそうだ。  電柱を見ると住所が書かれている。僕の記憶に間違いが無ければ、今の自宅からそう遠い場所ではない。 (こんな公園、あったっけ?)  夢だというのに、妙に生々しい感じのこれを楽しむように僕は公園に足を踏み入れる。  こういう公園にありがちなブルーシートのテントもない、静かな住宅地の公園。  静まり返った公園の中でボンヤリ立ち尽くしていると、遠くで電車の走る音が聞こえた。 (また、電車の音……)  そう思った瞬間。公園の外に人の気配を感じて、咄嗟に僕は近くの植え込みに隠れた。  どうしてそうしたのかはわからないけど、僕は間一髪公園に入ってきた人物には見つからずに済んだようだ。  公園に入ってきたのは男の二人組。  コンビニの袋を下げ、咥え煙草で歩いてくる。 『……でよ、……だな』 『ああ、……か。仕方ねェ……だ』  二人の会話が聞こえてくる。  何を話しているのかはよくわからない。何だか水中で音を聞いているように、ぼわんぼわんと揺らいで聞こえる。 『……の、北条が……』  え?  裕司の名前が不意に聞こえた。 『靖南組には……』  それは裕司が所属してる組の名前。椎葉会系靖南組、若頭の北条裕司。 (裕司の話? なんで?)  僕は息を詰めて男たちの会話に耳を澄ますが、どうしてもうまく聞き取れない。  このままでは男たちは公園を抜けて出て行ってしまう。  僕は意を決してその後をつけることにした。  少しだけ距離を取るために少し男たちの声が遠くなるまで待って、僕は植え込みから出る。  公園の周りを囲うフェンスの向こうに男たちの姿が見えた。  足音が大きくならないようにそっとその後をつけ始める。  付けている間も何か会話しているようだったが、やはり水の中の声の様で聞き取ることはできなかった。  男たちは僕に気が付かず歩いて行く。  やがて小さな廃工場のような建物の前で立ち止まった。  入口を塞ぐ車止めのチェーンを跨いで男たちはその建物の中へ入る。 (ここは……?)  男たちの後について行こうとしたが、ドアはすでに閉まってしまい、そのドアに耳をつけても中の様子は探れない。  ドアの横には錆びた看板がかかっているが、ガムテープのようなものが貼られて文字を消されている。  それを剥がして、此処が何処か知りたかったが、テープをはがすと下の看板の塗料まで禿てしまう。 『しの、ぶ……』  不意に声が聞こえた。僕の名前を呼ぶ声。 「っ!?」  辺りを見回すが人の気配はない。  でも、確かに聞こえた。 (ユウジ……)  やっぱりここにいるの?  僕はどうすればいいの?  声を出して、裕司を呼ぼうとした瞬間。  僕は目を覚ました。 「あ……」  今度は急激に意識が覚醒した。  ばちっと音を立ててスイッチが入るように、僕は現実世界に引き戻される。 「夢……」  あれは夢だってはっきりわかった。  僕はホテルのベッドの上に居て、眠る前と同じ薄暗い部屋のままだ。 (でも)  今、見た夢がすごく気になった。  少し土地勘のある見知らぬ場所。リアルな情景。聞こえた声。  あの声は確かにユウジのものだった。  微かだったけど確かに聞こえた。まるで頭の中で響いたように。  聞いたと思ったのは夢の中だったけど、現実に聞こえていたかのようにリアルだった。  そう思うと僕は居ても立ってもいられず、ベッドから抜け出すと服を着替えた。  時間は深夜3時を回っている。  もう電車もない。  出かけるなら、隣の部屋に控えているだろう小柳に声をかけなくちゃいけない。  僕一人で出かけるのはリスクが大きすぎる。 (でも……)  夢で見た場所に行きたいからと言っても、今そんなことで外出が許されるとは思えない。  このホテルに居るのは護衛の意味も大きいが、安全の為の軟禁のようなものなのだから。  それに逆らって抜け出すことは、何も良い事はない。  万が一、何かあった時に、一番迷惑をかけるのは裕司だ。  僕が行方不明になったら、多分、裕司を捜索する手を分けて僕を探さなきゃならない。  そんなのは絶対ダメだ。裕司が生きていてこその僕なのに。  僕は着替えるとポケットにスマホと財布だけ入れて、隣の部屋のドアを叩く。  コンビニに行きたいとか適当な事を言って出かけようと思ったけど、流石に小柳には通用しなかった。 「あんな事があったばかりで、外出されるのは本当は止めて欲しいんですが……」  でも、僕の嘘が通用しなかったように、小柳は一緒に暮らしていて僕の性格がよく分かってたみたいだ。 「自分もすぐ着替えてきますから、ここで待っててください」  そう言って僕を自分の部屋の中に招き入れてくれた。 「ごめん、でも、どうしても行きたい所があって……」 「近くなんですか?」  着替えながら聞いてくる小柳に、僕は夢で見た地名を告げた。 「ここからだとちょっとあるな……タクシーよりは車出した方が良さそうですね」 「ありがとう」 「……今、大変なのは志信さんもですから」 「僕は……」  僕は曖昧な笑みを浮かべて言葉を詰まらせた。  ヤクザの恋人なんかをしている以上、どこかで僕は覚悟しなくちゃならなかった。  ずっと裕司とユウジが僕の側に居て、小柳や飯島や他の部屋住みのみんなが居て、それが当たり前になってた僕はどれだけ甘えていたんだろうか。 「行きましょう。近くまで運転するんで、そこから道案内を頼んます」  小柳はそう言って、僕の前を歩き始めた。  車で途中まで移動し、目的の公園を見つけた頃にはうっすらと空が明るくなり始めていた。 「本当にあった……」 「え?」  僕の呟きに小柳が目を瞠る。 「知ってる場所だったんじゃないんですか?」 「あっ……実は、夢で見た場所だったんだ」 「夢!?」  流石に小柳も怪訝な顔になる。  この厳戒態勢の最中に、夢で見た場所に行きたがったとは、思ってもなかったんだろう。 「ごめん。でも、どうしても気になって……」 「……まあ、実際気になってきたら本当にあったわけですよね……本当に初めてなんですか?」 「うん。さっき夢で見たのが初めて」  僕はそのまま公園に入り、身を隠した茂みの横を通り、反対側の出口へと向かう。 (夢で見たのと同じ……)  夢で見た時より周りは明るいけれど、茂みの茂り具合とか周囲の家の感じはほぼ夢で見たままと変わりない。 「志信さん?」 「確か、こっち」  僕はそのまま足を進めて、夢で見た廃工場を目指す。  男たちの背を追って通った道を思い出しながら、幾度目かの角を曲がった時にあの廃工場の前に出た。 「あれ?」  しかし、その光景は少し夢と違った。  車止めのチェーンは外され、廃工場の前には不似合いな黒塗りの車が止められている。 「こんな車はなかったけど……」  それでも、奥の扉も確かめたくて中へ入ろうとして、小柳に腕を掴まれて止められた。 「志信さん!」  小柳は強く僕の腕を引っ張り、通りの影へと引き戻す。 「ダメです!」 「ど、どうして?」  小柳は小声だけれど、きっぱりと言った。 「あの車は同業の奴ですよ」 「え?」  では、あそこは組関係者の出入りがあるという事か? 「あそこに……裕司がいるかもしれない……」 「ええっ!?」 「夢で見ただけなんだけど、でも、あのドアの……錆びた看板があるところなんだけど、そこで裕司の声を聞いたんだ。それで、すごく気になって……」  黙って僕の話を聞いていた小柳は、僕にここに残る様にと言うと、そっと足を忍ばせて入り口に向かう。  そして、その周囲をきょろきょろと見まわし、ドアに耳をつけて様子を探ったりしていたが、すぐに僕の元へ戻ってきた。 「人がいる気配はありますが、さすがに話までは聞こえませんでした」 「そう……」 「でも、本当に入口に錆びた看板がありましたよ」 「ガムテープでべったりの?」 「……はい。本当に志信さん、ここ初めてなんですか?」 「初めてだよ。自分でも驚いてるんだ」  その言葉に間違いはない、ほんの数時間前に見た夢が気になって来てみたら、実在してる場所だったなんて。  そうなると、俄然、あの時に聞いた声が気になる。 「ちょっと待ってください、車のナンバー、本部に問い合わせてみます」  それでもしあの車が関係者の車だと確定したら……。 『志信……』 「!?」  再び声が聞こえた。  ハッと顔を上げるが、辺りに人影はない。 (やっぱり、あの中だ……)  僕はフラッと立ち上がると、入口へ向かう。  後ろで小柳が必死に呼び止める声が聞こえるけど、僕はそれを振り切ってドアの前に立った。

ともだちにシェアしよう!