5 / 10

第5話

 冬休みが明ける前日、ふたりで飲みに行った帰り道。  締めにラーメンが食べたいと言い出したのは伊織だった。それまでお腹いっぱいだったのに、思い出したら食べたくなるところはまさに酔っ払いの所業。大学の友人に教えられたラーメン屋を思い出したのは偶然だった。辛いラーメンで有名な店だったのも。 「実は、辛いものを食べると出てくる」  神妙な面持ちで打ち明けられた告白に戸惑う。  見てるだけでお腹を痛くしそうな赤いラーメンを食べるのは御影だ。伊織は静かに醤油ラーメンを啜っていた。  先の告白に対して、一体何が出るのか、という疑問が湧く。もしかして、御影が密かに心配していた尻に抱えている爆弾だろうか。それとも胃が痛くなってしまうんだろうか。 「出るって何が?」  伊織は自分から告白したくせに、言いたくなさそうに眉間に皺を寄せた。そして、左手をくねくねしてみせる。  その仕草で合点がいく。 「食べた瞬間に抑えられなくなる。全部出る」  辛いものが食べられない理由が、まさか触手が制御不能になるからだと誰が思っただろうか。いや、誰も思わないに違いない。気がつくとしたら、きっと同じ星から来た人だ。つまり同郷人である。 「唐辛子もわさびもからしもだめ?」 「だめだな」 「こしょうは?」 「少しなら」 「さんしょう」 「少しなら」  もし大勢の前で辛いものを食べてしまった時のことを考える。  伊織はきっと故郷に帰るか、マッドサイエンティストに捕まってしまう。そうしたら一生会えないかもしれない。 「……絶対に辛いもの食べたらだめだからな」  御影の真剣な顔を見て、伊織が面白そうに笑う。屈託のない笑顔に思わず箸が止まる。  伊織はあまり人に気を許さない性質だと思っていた。御影がうっかり浸ってしまうことがあっても、伊織自ら見せたことはない。  自らの急所である重大な秘密を、こんなラーメン屋で告白するなんて。  正月以来、伊織の家に泊まるたびに、目が覚めると布団の中が触手まみれになっている。御影の体が絡め取られていることは日常茶飯。時々粘液が頬についている謎はまだ解けていない。低く唸りながら触手をしまっている姿も見慣れた。  歴代の彼女の前でもこんな姿を見せたことがないらしい。たしかに、寝るたびに触手をだるだるさせていたら、都市伝説どころの話ではなくなってしまう。運が悪ければ研究所行きだ。  もしや、ものすごく気を許されているのではないか。  絶対に伊織に辛いものを食べさせてはいけない。御影は胸に強く思いながら、真っ赤なラーメンを啜った。 「お前ら、距離間おかしくね?」  すれ違った友人の斎藤に指摘された時、御影は牛丼定食を平らげている真っ最中の伊織の顔を眺めていることに夢中になっていた。一拍遅れて顔をあげた御影と、興味なさそうに牛丼を食べている伊織。 「そう?」 「この前もほっぺ鷲掴みしてただろう」  斎藤の言う御影が伊織の頰を両手で挟んでいた時は、目にゴミが入ったから見てくれと言われた時だった。御影が此れ幸いと至近距離で顔をガン見していたのだ。  思い返してみれば、今までは気づかれたら足で蹴飛ばされていた。冬休み明け以降、御影は伊織の顔を見つめることを許されている気がする。ただたんに、牛丼に夢中で御影のことなど頭にないのかもしれないが。 「てか、朝倉って香坂の顔好きだよな」 「えっ、そうなの」 「めっちゃ面食いなんだよ」  斎藤が隣の知らない男に人のフェチを教えている。そういえば、この男は御影と高校が一緒だった。それにしても、どうしてその話を知っているのだろうか。 「朝倉の元カノに朝倉くんはゲイなのかもしれない……って相談されたことあるんだよな」 「なんで……?」 「朝倉の写真フォルダが男性俳優で埋め尽くされているらしい」 「……確かに家にも写真集はあった」  突然会話に入った伊織が噂を肯定すると、斎藤が目を瞠る。 「香坂、朝倉の家行ったことあるのか」 「正月に」 「歴代彼女すら行ったことがない家に……お前いったい何者だ……」  同じクラスだったぐらいなのに、親友面している斎藤こそ何者だと言いたい。  伊織は少し驚いたように香坂を見たが、また牛丼に戻っていった。 「あー、それで、確認したらただの面食いだったって話な。元カノもみんなめっちゃかわいい」  斎藤が話を戻すと、斎藤の友人はふーんと言いながら御影の顔を見ている。 「自分の顔じゃだめなわけ? 相当なお顔をお持ちだけど」 「……やっぱり好みはありますね……」  朝倉御影になるために、己が好きなパーツをふんだんに取り入れようと思った。しかし、光希や母親と血が繋がっているように見せるためにはふたりに合わせる必要があった。何も文句はない顔ではある。  伊織から顔を離さない御影に呆れた二人は去って行った。 「あんた、やっぱり友達いなかったんだな」 「ちゃんといました……」  牛丼定食を綺麗に平らげた伊織の口元に米粒がついている。そんな典型的なドジがこの世に存在するなんて。よりによってあの香坂伊織が、お弁当つけているなんて。 「伊織、お米ついてるよ」  思わず手を伸ばして米粒を攫う。ありがとう、と呟いてから香坂が少し不思議そうな顔をする。 「それ、光希にやってただろ」 「大正解」  伊織は正月以来、何度か御影の家で光希とゲームをしている。光希は母親もすっかり伊織のことを気に入ったようで、あれやこれやと世話を焼いていた。昨年より親密になったと思っていたのに、伊織は一度も御影のことを名前で呼ばない。光希の名前は呼ぶくせに、御影はいつまで経っても朝倉のままだ。 「光希がまたゲーム一緒にやりたいって」 「光希も友達いないのか?」  そんなことはないと思うが、そういえば光希の交友関係はあまり知らない。正月に遊びに行った同級生は小学校からの友人だというのは覚えている。 「今度の土曜日にでも」 「伝えておく」  伊織があまり人と深く関わりたくないことを知っている。知っていながら、こうして御影の家に遊びに来てくれることを嬉しく思ってしまうのだ。

ともだちにシェアしよう!