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第25話 お城の姫猫

 エレベーターが開くとすぐに若草色の絨毯が敷いてあり、足を踏み出すとふわりと沈む。 「このまま進んでもよいのでしょうか」  台車を押すのをためらった実玖は立ち止まって伍塁を見る。外から押してきた台車を転がすには絨毯が柔らかく美しすぎて、靴の裏の汚れまで気になった。  伍塁も立ち止まり顎に指を当て考え、口を開こうとしたときホールの正面にあるドアが開いた。木製の重厚な両開きドアは、マンションのドアの大きさとは思えない。そして洋館の扉のような装飾が施されている。  眼鏡をかけた女性が出てきて頭を下げた。 「お疲れ様でございます。わたくしは絹川あやめの秘書をしております、杜若(とじゃく)と申します。どうぞ、足元はお気になさらずそのまま中へお進み下さい」  大きく開かれたドアから中へ入るとそこは玄関ではなく、高級ホテルのスイートのような明るい開放感のあるリビングだった。客間というのだろうか。  大きな花瓶に活けられた花、暖炉、クッションが沢山置かれたソファ、大きなテーブル。  実玖が「わぁ」と天井を見上げると天使が描かれていて、全体にパステルカラーの印象だが落ち着いた重厚な空間があった。 「どうぞ、こちらでお待ちください」とソファに案内され伍塁と実玖は飴色のソファに腰を下ろした。見た目よりしっかり硬いソファに実玖は初めての感覚を楽しんでいる。 「伍塁様、お城に来たみたいです」  前を見たまま小さな声で話す様子を見て、伍塁は優しく同意する。 「そうだね、映画や絵本の世界みたいだ」  しばらくして別の女性がワゴンに乗せてお茶を運んできた。実玖は丁寧な所作と美しく光るポットやカップに見とれている。その様子を伍塁はまた笑顔で見守っている。 「勉強熱心だね」 「もちろんです。お仕えするのには勉強が必要です」  紅茶を出された実玖は「ありがとうございます」と頭を下げてカップを見る。キラキラと光る模様を見ていると真宝野雑貨店を思い出した。  伍塁はカップに口をつけているが、実玖はもちろんまだ熱くてのめない。いい香りだけを銀のスプーンでかきまぜて楽しんで、部屋の中をそっと観察した。  部屋の中は靴を脱がなくていいこと、ここの床も絨毯が敷いてあること、窓は開かないようだが窓の枠は古い木で出来ていること、壁には小さな棚やライトがたくさん付いていることなど興味深かった。 「ようこそいらっしゃいました」  張りのある声が聞こえ、グレイヘアを低い位置で小さくお団子にまとめた小柄な女性が歩いてきた。伍塁と実玖は立ち上がりお辞儀をする。 「はじめまして。骨董屋五木源(ごきげん)堂の六條伍塁(ろくじょういつる)と申します。こちらはアシスタントの香染(こうぞめ)です」 「よろしくお願いいたします」  依頼主の腕には長毛種の猫がいた。猫は目を半分あけ、鋭い目付きで一瞬実玖と目を合わせたが、すぐにまた目を閉じた。 「背の高い人達、それにとってもかっこいいわね」  笑顔と仕草で座るよう促された。とても穏やかで優しそうな婦人だ。 「絹川様のご依頼の品をお持ちしました。お眼鏡にかなうとよいのですが。どちらでお見せしましょう」 「あちらのテーブルがいいかしらね。お茶を飲んでからでいいわ」  実玖はやっと飲み頃になったお茶を含んで鼻から抜ける香りを楽しみ「とても美味しい」と呟いた。 「気に入ってくれたのかしら。よかったわ」  にっこり微笑む婦人の手の中の猫は、不機嫌そうに実玖を見ていた。伍塁は抱かれている猫の話を婦人に聞き、猫好きの会話をして場の雰囲気を作っている。  実玖は樫の木で作られた大きなテーブルの脇でたとう紙を丁寧に開き、一枚、一枚と着物を広げていた。 「ちりめんに刺繍が入っているもの、こちらは大正、こちらはもう少し古くて明治だと思います。布の厚みとちりめんのきめが違います」  伍塁があちこちに声をかけて集めた、明治から大正時代の着物を次々と広げる実玖の手つきは手馴れているように見える。伍塁に借りた着物を何度も広げては畳む練習をしたからそれなりにさまになってきた。  刺繍がしっかりされているものはずっしりと重い。帯などこんなにしっかり硬いものをどう結ぶのか、実玖にはまだよくわかっていない。 「これはとてもいいわ。明治でもかなり古いものね」 「そうですね、これは個人の方が大切にされていたものですが、譲ってもいいと言ってくれました。同じ時に手に入れたものには江戸の年号が入った風呂敷があったそうです」  古い絹はとても薄くてデリケートで、擦れて薄くなっていたり虫食いなどもある。修復も出来なくはないが質感が壊れる恐れもあり、撮影の意図からするとそのままでもいいのかと、状態は最上でなくても古いものを探してきた。もちろん、作りも素材も良く、今はもう作れない、二度と手に入らないようなものばかりだ。  最後に由緒ある家のお姫様が結婚する時に着たと思われる、総刺繍のうちかけを広げると秘書まで大きくため息をついた。  虫眼鏡で見なくてはわからないような細かい針目、隙間なく密に、それでいて柔らかく刺された糸はとても細く引っ掛けないように細心の注意をはらう。  色は現代物と違い派手ではないが模様は豪華で、緻密で繊細なのに綺麗に保たれていて長い間大切にされてきたことがわかる品だ。  毛の長い猫は、実玖が丁寧に着物を出したり婦人の肩に掛けたりしているのをテーブルと同じ高さの専用のベッドからずっと見ている。そしてその視線は実玖にとってとてもやりづらいもので、なるべく見ないようにしていた。 「素敵ね。気に入ったから全部いただくわ」  実玖は全部買い取るという婦人の言葉に驚き動きを止めたが、伍塁は特に表情を変えずに微笑んでいる。 「ありがとうございます」 「あと、(かんざし)も探して欲しいの。杜若さん、みせてくれるかしら」  秘書がタブレットを持って伍塁に画像を見せている。実玖にはまだ勉強不足でわからない会話をしている間、耳だけそちらに向け広げたものを整理していく。床に落ちた紙を拾っていると上から声がした。 「人間なんかになりさがって、情けない」  はっと見ると、胸を張って姿勢よく座り、冷たい目で実玖を見下ろす猫がいた。手入れの行き届いた白い毛は一本一本が輝いている。  もちろん他の人には、「にゃーん」くらいにしか聞こえないが、人間なんかにと言われて実玖は体が冷たくなって動けなくなった。

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