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#1-4

身を強張らせた俺の上に、平淡な声が落ちてくる。嘲笑や侮蔑の色はなく、どこまでもフラットな声音だ。 「俺ね、見たらだいたい、わかっちゃうんだぁ。そのひとのこと」 俺が返事をするより先に男は続けた。重力に従い垂れ下がった繊細すぎる金糸は、蛍光灯の光とほとんど混ざってしまっている。瞳は影になってもはっきりと青みを帯びていて、深い深い底の見えない泉を覗いているようだった。 「……だったら何だよ」 押し倒された体勢のまま、いやに渇いた喉から言葉を絞り出すと、男の端正な顔が笑みを深める。 鼻先が触れるほどまで距離を詰められ、俺は逃げることもできない。甘い香りが肺に流れ込んでくる。男は隙間なく生えた睫毛の一本一本まで金色をしていた。 「ね、お兄さん。名前教えて」 「……嫌だ」 「どうして?」 恋人同士のような自然な流れで唇が寄せられる。咄嗟に顔を背けると、代わりとばかりに頬にくちづけられた。 なんだこれ、ふざけんな、やめろ。頭では思っているのに、どこか別世界の出来事を俯瞰しているような気分で、男を押し退ける気にはならない。くすくす笑う吐息が耳元を擽ってくる。 「教えてよ、なまえ。知りたい」 男は甘えるように囁いて、俺の耳殻や頬を啄みながらなぞっていった。小さなリップ音と柔らかな温度が伝う感覚に、たまらず瞼をぎゅっと閉じる。 ねえ、ともう一度、声になる前の声で囁かれ。唇の端を擦り合わせられたときにはもう、抵抗する気が失せていた。びっくりするほど。催眠術にでもかけられたんじゃないかと思うくらい。 小さく開いた歯列の隙からあたたかい舌に侵入される。ゆるゆると絡められるのがやたら具合が良くて、誘われるがままに差し出す。首の後ろのあたりから背筋にかけて、じわりと滲むような快感が走る。 息を継ぐ合間に「千亜貴(ちあき)」と名前だけ短く告げた。溶けかけた目に男の微笑む顔が映る。 「可愛い名前」 男は猫のような仕草で俺の首元に顔をうずめ、すん、と鼻を鳴らした。匂いを嗅がれているようで羞恥が湧くが、ほとんど銀色に近い髪が視界の隅できらきらとちらついて、なんだかどうでもよくなってくる。これ、本当に催眠術の一種なんじゃないのか? キスをしながら、脇腹へと男の手が滑らされた。指先がシャツの裾を弄ぶように捲る。 「ちあき。服、脱ごう?」 「……な、んで……」 「知りたいから。ちあきのこと」 蜜みたいな声に呼ばれると、身体の芯が蕩けるような心地がした。イエスともノーとも口にできないまま、しかしシャツのボタンにかけられた手を止めることはせず。 鮮やかな手際でシャツの前を全て寛げられ、俺の貧相な肉体が照明の下に晒される。 ほんの数時間前まで違う男に貪られていた身体を、目を細めて少しのあいだ眺めてから、金髪男は上体を起こした。俺に跨ったまま、着ていたシャツを一息に脱ぐ。それが俺の部屋着のTシャツだったということには、ぽいとベッドの下に投げ捨てられてから気づいた。 薄い筋肉が程良く乗っているのが見てとれる、無駄のないしなやかな身体。発光するように滑らかな白い肌。 その裸体は思わず見惚れるほど美しくて、性的な欲求よりむしろ畏敬に近いものを抱かされた。彫刻か絵画みたいだ。 しかし、少し乱れた金糸の間から覗く碧眼は、誘蛾灯のように妖しく煌めいていて。 それに見下ろされて俺は、腹の奥が期待に疼くのをはっきりと自覚して。 「出逢えて嬉しいよ、ちあき。俺のことも知って。知る前のちあきには戻れなくなっちゃうかもしれないけど……ね」 そう言って唇を舐める舌だけがやけに赤く、生々しいものに見えた。

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