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#1-6
驚いたことに善は最新モデルのスマートフォンを持っていた。支払いや登録住所をどうしているのか、そんなことは知らない、俺には関係がない。
「メールとかは使ってないから、電話番号だけ入れとくね。先約があるときは出ない。俺から掛け直しもしない。それだけ覚えておいてくれれば、いつでも掛けてくれていいよ」
そう言って俺のスマホに十一桁の数字を登録し、シャワーを浴びて、翌朝早くに善はまだ動き出す前の街へと消えていった。
その番号はすぐに使われることとなり、予想よりも早かったのだろう、再会するなり善は笑って「久しぶりだね?」と俺を揶揄った。
何せ善のセックスは最高だった。
融けるようにいつのまにか射精していたのも、泥沼のような快楽に全身ずぶずぶに浸かって逃げられなくなって泣いたのも初めてだった。
たった一晩でぜんぶ暴かれてしまったと思うくらい、焦れったくなるほどあれこれと探られて、自分でも触ったことのないところまで拓かれた。
セックス依存の気がある俺は、それから三日と経たないうちに、それがもう一度欲しくてたまらなくなっていて。職場のタイムカードを定時で切って一番に電話を掛けた。数回のコールの後に、幸い、それは繋がった。
それまでの俺にとって、セックスとは相手を探すことから始めなくてはならないものだった。そのプロセスが省略されるのは思いのほか楽なもので、しかもそれが未だかつてないほど「イイ」相手だとくれば。
俺は二度目で完全にハマり、三度目はなかなか電話が繋がらずお預けを喰らって、そして四度目に会ったときだ。
この部屋に住み始めて数年、誰にも使わせたことのなかったスペアの鍵を、善の骨張った右手に押しつけたのは。
「あんまり、男のひとからモノをもらったことってないなあ。女の子はいろいろくれる子が多いけど」
シャネルのキーリングを指先で弄びながら善は言う。鈍く光るブロンズカラーのそれには、俺が渡したものの他に、もうひとつ鍵がぶら下がっていた。詳細は訊かない。興味もない。
「男のひとは食事が多いね。高い食事を奢ってくれるひとほど、好きにしていいよって言うと、乱暴になるんだ。誰かを壊したいっていうのは、みんな持ってる欲求なんだね、きっと」
「……そういう奴ばっかり寄ってくるだけじゃねえの、お前に」
「そうかもね。セックスはわかりやすくて良いよ。そのひとが何を求めて、何を楽しいと思う人間なのか、寝てみればよくわかる」
「そうかよ。じゃあ俺は? お前から見て、俺はどういう人間?」
俺がそう言ったら、善はキーリングをいじるのをやめて薄く微笑んだ。
「千亜貴はね、壊れたがりで、欲張り」
同じ部屋で生活を始めるにあたり、約束はいくつかした。食器は決めたものだけ使うこと。ベッドはセミダブルひとつしかないから、極力離れて寝ること。外泊はしてもいいが他人の匂いを持ち込まないこと。お互いに何事も詮索しないこと。
この生活が始まって四ヶ月ほどになるが、俺は善の、この家で見せる以外のことをろくに知らないし、知る気もなかった。そしてそれは向こうも同じ。
善に家事をさせるつもりは毛頭なかった。できるのかどうかも知らないが。セックス以外のものが発生するのはなんだか気持ちが悪いと思った。
ただ稀に、コンビニの袋をぶらさげて帰ってきた善が、
「アイス買ってきたよ。千亜貴、好きなほう選んでいいよ」
そんなことを言って小首を傾げるときだけは、猫が獲物を見せにくるようなものだと思って受け取ることにした。
善の買ってくるアイスや菓子は、大抵の場合、ふたつとも俺の好みではなかったけれど。
それから、これは二度目に抱かれたときに気づいたことだが、善にはタトゥーがあった。
下腹部の際どいところ。下着を脱がなければ見えないうえ、小さくて繊細だから、明るいところでなければ見えないだろう。あるとき俺は善をベッドにおさえつけて、それを観察した。
アルファベットの筆記体で、単語がふたつ綴られている、ように見える。頭文字はTとj。たぶん。
「英語?」
「ないしょ」
ということは英語ではないのだろう。フランス語、スペイン語、イタリア語? もちろん俺には語学の嗜みなんてないし、そもそも筆記体も習ってないから何となくしか読めない。
ただ、刻まれている言葉の意味はわからないにしろ、その複雑な流線形のカリグラフィーは美しかった。
「何て書いてあんの」
「さあ。別に深い意味はないよ。エロいかなーと思って入れてみただけ」
「ふうん……」
「どお? エロい?」
善は悪戯っぽく笑うと、指先をその流線の上に滑らせた。形の綺麗な爪のついた、長い指。
なめらかで真っ白な下腹部をキャンバスにしたその刻印は、例えるなら教会の壁に真っ黒な絵具をひとすじ零したかのようで、確かに背徳的な色気があったが。
認めるのはなんとなく嫌だったので「別に」と答えたら、善は「結構評判いいんだ、これ」とくすくす笑った。
頭の中を見透かされているようで癪で、文字の終わりのところを人差し指と親指で軽く抓ったら、痛いよ、とやはり笑っていた。
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