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#2-3

山瀬がデスクでチーフからあれこれ教わっているあいだ、俺は逃げるように作業場へ移動した。 ほかのスタッフの進捗状況を確認しつつ、自分の割り当て分の作業を進めていく。 途中、技術スタッフで唯一の女性である長岡知美(ながおかともみ)が、セットアップが上手くいかず助けを求めてきた。 とくべつ何の匂いもせず、髪も爪も素の色のまま短く切り揃えている彼女は、桜井里香に比べたらずっと接しやすい相手だった。 「橘さん、あの方、お知り合いだったんですね」 去り際に何気ない口調で長岡知美がそう言ったので、俺は「友達。ずっと会ってなかったけど」とだけ答えた。そうなんですね、と頷いてそれ以上は突っ込んで聞いてこないところも、彼女の好ましいところだ。 昼休憩の時間になると、当然のごとく山瀬は声をかけてきた。隣のデスクでにこにこと俺を見ているその顔は、尻尾を振る大型犬のようで、あの頃と変わっていない。 「橘はいつも昼、どうしてんの?」 「外で適当に食ってるよ。牛丼とかマックとか」 「一緒に行ってもいい? 何も用意してこなくてさ」 断る理由が見つからず、俺は頷く。正直気の進まないところはあったが、この流れで一緒に昼を食わないほうが不自然だろう。同僚に何か勘ぐられても面倒だ。 俺の普段のローテーション通りなら今日は牛丼の日だったが、チェーン店の蕎麦屋に変更した。そこは二人連れ用の席が多く、狙い通りテーブル席が空いていた。 食券を買って席につく。スーツ姿のサラリーマンでまずまず混み合った店内は、出汁と醤油の匂いと、大きな換気扇のごうごう言う音で満ちていた。 「マジびっくりしたよ。橘はいつからここで働いてんだ?」 蕎麦を待ちながら山瀬は言う。ネクタイを緩める仕草が板についていて、俺には少し可笑しかった。 「今で三年目かな。お前、地元で就職したんじゃなかったのか?」 「そうそう、ずっと営業マンやってたよ。でもまあ、いろいろあってさ。辞めてこっち出てきたんだ」 そうなんだ、とゆるく相槌をうつ。 いろいろ、の部分を追及するつもりは特になかった。話したいならそのうち自分から話してくるだろう。なにせ口から生まれてきたタイプの男だ。放っておけばいくらでも喋る。現に今もよく回る舌は止まらなかった。 「いや、ほんと懐かしいなあ、何年ぶりだよ。えーと……三年のときだったか?」 「うん。三年の十一月に辞めたから」 「じゃ、あーっと、二十一の年で……俺ら今年で二十八だから」 「七年ぶりか」 七年! と山瀬が口を大きく開けたところで、二人分の蕎麦が運ばれてきた。俺は山菜、山瀬は天ぷら。割り箸を割る音が軽快に響く。 「橘が大学辞めたって聞いて俺、すげー悲しかったんだぜ。なんで何も言ってくれなかったんだよ、ってさ」 「ああ……悪い。誰にも言わないで決めたんだ」 「いや、今なら俺もわかるよ。ダチだからこそ言えないことってのもあるしな」 いただきます、とわざわざ手を合わせる山瀬の仕草に、強烈な懐かしさを憶える。 山瀬と俺は、大学の入学式でたまたま隣に座って以来、ずっとつるんでいた。俺が三年目の初冬に中退するまで。 県外出身の山瀬が一人暮らしをしていたアパートは、大学まで徒歩五分、コンビニも目の前という好立地だった。実家に住んで隣市から電車通いをしていた俺は、しょっちゅうそこに泊まっていて、合鍵を持っていた時期さえある。 その鍵は山瀬に彼女ができた際に取り上げられたのだが、二ヶ月で破局してからは、さらに遠慮なく上がり込むようになっていた。 「橘はこの会社、三年目って言ったろ。その前もこっちにいたのか?」 「うん。駅前にでかい家電量販店あるだろ、ここの前はあそこにいた」 「そうだったのかあ。元気にやってたならよかった。心配してたんだ」 蕎麦をすする合間にも、山瀬の喋りは相変わらずだった。相手に気楽さを与える明朗な声。 「今度ゆっくり飲もうぜ。お互い積もる話もあるだろうしさ」 「そうだな」 初めは多少の緊張を感じていた俺も、店を出る頃にはすっかり学生時代の感覚を取り戻していた。 俺より十センチ以上でかい山瀬は笑い声もでかい。連れ立って歩くオフィス街がまるで当時のキャンパス内のようで、変な感じだが、不快ではなかった。

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