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#3 デッドストック
事務所には窓がひとつしかない。
それもあまり大きくない窓だ。
朝の光もろくに入らないし、風通しも悪い。
いろいろな意味で清々しいとは言い難い職場環境だが、山瀬が来てからというもの、少なくとも俺の心情はいくらか明るい。
気さくに誰とでも話せるタイプの山瀬は、たった二週間足らずで周囲とずいぶん打ち解けていた。
思えば学生時代は山瀬の顔の広さに驚いたことも多々あった。営業職に就いていたというから、そのスキルはさらに上がっているのだろう。つくづく俺とは正反対だな、と思った。
「あのぅ、橘センパイ。ちょっといいデスカ」
「……ハイ。なんですか」
仕事中、俺に用事があるときの山瀬は、よくこの喋り方をした。気持ち悪いからやめろと初めは言っていたが、面白がってやめないので、最近は俺も諦めた。隣のデスクからパソコンのモニターを少しずらして俺に向けてくる。
「またクレームなんですけど。返信、こんな感じでいいデスかね」
表示されているのはオークションサイトの管理画面。落札者からの受信メッセージと、それに対し山瀬が打った返信文面のプレビューだった。
オークションのメッセージ管理は、俺から山瀬に引き継いだ業務のひとつだ。
要領の良い山瀬は、三日目にはほぼ完璧に一人でこなせるようになっていたが、クレームへの対応だけは俺に一度確認をとるように言ってあった。
「うん、大丈夫。これで送っといて」
文面にひととおり目を通してそう言うと、山瀬は「了解デス」と答えながらマウスを動かした。
過去にはクレーム対応を苦にして辞めたスタッフもいるが、山瀬はさほど繊細なタイプではないから、俺も割と気が楽だった。山瀬に事務作業の大部分を振り分けたことで俺の負担も減ったし、有り難いことばかりだ。
昼休みはほとんど一緒に過ごしている。外に飯を食いに行き、休憩時間が終わるまでは大抵そこらをぶらついた。
「あの事務所さ、ちょっと空気悪いよな」と冗談めかして零していたから、そのあたりの感覚は今も俺と近いのだろう。そう思うと安心した。
「なあ、金曜日のスケジュールに入ってる、定例会? って何?」
牛丼屋で食券を買ってカウンター席につくと、山瀬が言った。
「あれ、チーフから聞いてない?」
「いや、なんも。会議?」
「飲み会だよ、ただの」俺は冷たい水を飲みつつ答える。
「月に一回あんの。基本的に全員参加でダルいけど、まあ俺らはタダだし、途中で帰っても大丈夫。俺はいつも一時間くらいで帰ってる」
ふたりぶんの牛丼がすぐに運ばれてきた。山瀬が割り箸を手渡してくれる。全国チェーンの牛丼は大学の頃に並んで食べたのと変わらない匂いだ。
「あ、でも今回は山瀬の歓迎会って名目もあんのかな。社長、絶対お前に絡んでくんぞ。頑張れ」
「うえ、マジ? 飲むとどんな感じになんの、社長」
「超絶めんどくせえ」
マジかあ、とげんなりした顔になる山瀬を少し笑いながら、さっさと牛丼に箸をつけた。
「つーかさ、いつ飲み行く? 俺いつでも暇だぜ」
「あー、俺もいつでもいいけど」
「じゃあ明日!」
「はは、別にいいけどさ……休みの前のがよくね?」
今週はダルい定例会があるから、来週の金曜ということで話はまとまった。
誰かと約束して飲みに行くなんていつぶりだろう。隣の山瀬が行きたい店を何軒か挙げていくのを、俺は穏やかな気持ちで聞いていた。
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