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#3-2

毎月の第一金曜。 数ヶ月前まで、この定例会が本当に嫌だった。 会社の連中と酒を飲むという場そのものが鬼門だったし、貴重な金曜の夜を阻害されるのも不愉快だ。 多くの飲み屋がそうであるように、ゲイバーも金曜は客入りが多いのだ。そこに顔を出さないのは、出会いの機会を棒に振っているような気分になる。 善と暮らし始めてからは、相手探しに躍起になる必要がなくなったので、以前ほどその点は気にならなくなったものの。 それでもやはり会社の飲み会はこの上なく面倒だ。いつも端の席を狙うのだが、あまりうまくいかない。 どうせすぐ帰るということは把握されているので、引き留められたりしないのが救いではあるけれど。 店はだいたい三カ所をローテーションで、今回は海鮮系の居酒屋だった。全員で定時上がりをして、ぞろぞろと徒歩で店へ向かう。 道中はチーフとマネージャーが山瀬の両隣を固めていたが、店に着くと自然と俺が山瀬の横に座らされた。 ほとんど全員がビールジョッキを手にする中で、桜井(さくらい)里香(りか)だけが細身のカクテルグラスを持っている。いつも通り社長の一言と、山瀬の挨拶ののち、薄っぺらい宴会は開幕した。 「橘さん、さっきはありがとうございました」 たまたま隣に座った長岡(ながおか)知美(ともみ)が、サラダを取り分けながら声をかけてきた。 化粧っ気の薄い素朴な顔立ちにショートカット。いつもの作業着ではどちらかといえば少年のような雰囲気のある彼女だが、定例会で私服姿を見るたび、俺は内心たじろいでしまう。 「さっき? なんだっけ」 「荷物出し、手伝ってくださって。橘さんがいなかったら終わらなかったです」 ありがとうございました、ともう一度言って軽く頭を下げてくる。俺より少し長いくらいの黒髪が滑らかに揺れた。「ああ、あんなの、別に」礼を言われるようなことでもない。全員を定時で上がらせることは今日の俺のミッションだったのだから。 「橘さんって、細身なのに結構、力持ちですよね。なにかされてるんですか?」 「いや、別になにも……山瀬のほうが凄いよ、鍛えてるから」 なあ、と隣を小突く。ちょうどジョッキを傾けていた山瀬が「んぐっ」と唸りながらこっちを向いた。「え、そうなんですか」と長岡知美。 「ジム通ってたんだろ。最近は行ってねえの?」 「え? ああ、ジムな。そうそう、通ってたんだけど、引っ越してきてからまだ行けてなくて。長岡さん、どっかいいとこ知りません?」 「えー、私はわかんないですけど……有田くん、どこのジム行ってるんだっけ?」 「駅裏のとこオススメっすよ! 安い割に綺麗だし、二十四時間だし」 「俺はあそこ行ってます、あのー、イオンの近くの」 横からもう一人が話に入ってくると、釣られるようにしてさらに一人二人と、どんどん会話が広がっていく。 二十代前半の男が多いから、話題に火がつけば盛り上がるのもあっという間だ。会話の中心から無事逃れたことに安堵しつつ、俺はジョッキを持ち上げた。 ははははは、とまだ薄い酒気を帯びた笑い声が、あちらこちらで咲き始める。アルコールが入ると声がでかくなるのは若者も年寄りも共通らしい。 話しかけられたときにしか口を開かないスタイルで、勝手に取り分けられる料理をひたすらつついていた俺に、しばらくして山瀬が小声で言ってきた。 「なあ、橘。今日も途中で帰んの?」 帰るよ、と答えると、眉を下げてなんとも情けない顔をする。 「俺帰れない雰囲気じゃんよ。お前もいてくれよ」 「嫌だ。俺は一時間で帰るって決めてんだ」 歓迎会の名目もあるし、そうでなくても気さくな新入りというポジションである山瀬は、さっきからほとんど質問責めだ。社長やマネージャーも徐々に出来上がってきている。これは二次会まで連れていかれるコースだろう。とてもじゃないが俺は付き合えない。 「お前なら一人でも大丈夫だ。頑張れ」 「薄情者……」 ひそひそとそんなやりとりをしている間にも、向こうの席では社長が若いスタッフに絡み倒している。俺はもう一刻も早く抜け出したかった。 この店は味は悪くない。刺身は新鮮だし量もケチケチしていない。こんなくだらない飲み会でなければもっと楽しめるのに、と思いながら、無心で二杯目のビールを飲み干す。

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