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#5 ラガー/エール

金曜日、幸いにして俺も山瀬も定時でタイムカードを切ることができ、予約していた通りの時間に店に着いた。 山瀬が調べてわざわざ予約した店は、やや裏路地にあった。 ガラス張りの扉からオレンジ色の光が漏れていて、真っ赤な看板と相俟って楽しげな雰囲気だ。俺一人だったら絶対に入らないタイプの店構え。 三ヶ月ほど前にオープンしたばかりのスペインバルだそうで、店内はそこそこ賑わっていた。若いグループもいれば比較的年配の夫婦らしい二人連れもいる。 外から見た印象以上に中は存外広く、奥に並ぶテーブルのひとつが俺たちのぶんの予約席としてキープされていた。 「橘、ビール派だって言ってたろ。この店、ビールの品揃えがいいってネットで評判になってたんだよ。料理も美味いらしい」 メニューには確かにクラフトビールの銘柄がかなりの数、並んでいた。おすすめ、と書かれたものを頼むと、すぐにグラスがふたつ運ばれてきた。 俺たちは向かい合って乾杯をする。しっかり冷やされたグラスに、濃いめの黄金色と密度の高そうな泡。 「あ、美味いな、これ」 「あー、なんかスペインって感じするな! 知らねーけど!」 山瀬の適当なコメントはさておき、蓄積した一日のストレスを綺麗に流し去ってくれる喉越しだった。ビールにしては度数が高いものらしく、独特の苦みも強いが、コクがあって美味い。 なんとはなしにグラスをあおる山瀬の手元を眺める。やっぱり手が大きい。骨の形がしっかり浮いていて、なんというか、生々しく男らしい手だった。 デスクでキーボードを叩いているときは何とも思わないが、向かい合うとそれがわかった。 「俺あんまり一人飲みとかしねえんだけどさ、橘は? バーとか行ったりすんの?」 「あー……俺もあんまり行かないかな」 「仕事帰りにふらっとバーとかさ、シブくて憧れるんだけどさ。やっぱ仲いい奴とワイワイ飲むのが俺は好きなんだよなー」 へらへら笑いながら言う山瀬に、変わってないな、と改めて思う。いつも仲間に囲まれている奴だった。スペインバルの雰囲気にぴったりだ。 対して俺は、実際にはしょっちゅう飲みに行っているが、バーはバーでもゲイバーだし。飲み仲間全員ゲイかオネエだし。 突っ込んで聞かれたら誤魔化すのが面倒だから言わなかっただけなのだが、なんとなく嘘をついたような罪悪感が芽生えた。 「大学の頃はバカみたいに飲みまくってたよな」 「あんな飲み方、今は無理だよなあ。朝まで飲んでそのまま一限とかさー、よくやってたよ」 山瀬と向かい合って飲んでいると、過去に戻ったようで不思議だった。昨日も一昨日も一緒に飲んでいたような気分だ。七年も会わないどころか連絡もとっておらず、お互いにどこで何をしているかさえ知らなかったのに。 会話の内容は今の仕事のこともあったが、ほとんどが昔の思い出話だった。それから同期の奴らの近況。大学でつるんでいた連中と山瀬は今でも連絡をとっていて、「今度みんなで飲もうぜ」と言うから、そのうちな、と曖昧に答えておいた。 生ハムとサラミの盛り合わせと、エビのアヒージョ、夏野菜のフリット。ほとんど山瀬が選んで頼んだ料理はどれも軽く食べられて味も良かったし、ビールも種類が多くて選ぶのに飽きなかった。美味い料理と昔話で酒が進み、俺たちはお互い、まあまあ順調に酔っていた。 「あのさ、橘」 五杯目を一口飲んでから、山瀬は少し思い切ったように俺を見た。 山瀬は酔うとわかりやすく顔に出るタイプだが、頬が赤いし、やや目も据わってきている。昔はもっと強かったような気がするが、年齢のせいだろうか。 「こないだ言ってたことなんだけど」 「こないだ?」 「……女に興味ない、って」 ああ、と俺はなんでもないふりを装って返事をする。「またそれかよ」と鼻で笑う。 「俺もともと、彼女とか別にいてもいなくても、ってタイプだし。一人でいるの全然平気だし、むしろ好きだし」 過去に何度も繰り返してきたフレーズを、酒の入った俺の舌は淀みなく並べたてた。 受験や就活の面接みたいなものだ。何度も練習した応答。相手を納得させられるだけの理屈の通った、それらしい言葉。 「だってさ、俺ら、もう二十八だろ。この歳で付き合うってなったらさ、結婚迫られたりとかめんどくさそうじゃん。俺、結婚願望ないし」 そこまで言ってからグラスに口をつける。よく冷やされた薄いガラスの感触が、少し酔いを醒ました。「あー」と山瀬は声を漏らし、ゆっくり頷いた。 「確かにな。それはわかる」 「お前は? 彼女に結婚迫られたこととかねえの」 「いや、ねえな。つーか、彼女、は……大学のとき以来、できたことねえ」 「マジかよ、お前、ずっと独り身?」 いや、と山瀬はゆるゆると首を横に振った。そしてその据わりかけた目で、俺をじっと見つめる。酔っ払い特有の潤んだ瞳だ。 「独り、ではなかった」 「は?」 「彼氏はいた」 は? と、もう一度言いかけて、俺は口を開けたまま固まる。 今なんつった。 彼氏? 俺が固まっているうちに、山瀬は俺を見つめていた目をふっと伏せた。「トイレ」とだけ言って立ち上がる。椅子の脚が床に擦れてギィ、と鳴った。

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