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#6-4
ソファの前のローテーブルには、レンタルDVDのケースが数枚、重ねられていた。何気なく手にとってタイトルを見てみる。
アクション、SF、ホラー、コメディ、様々なジャンルの、金字塔レベルで有名な洋画ばかりが見事に並んでいた。
「これ全部、観たことなかったのか?」
「うん。俺、映画ってぜんぜん観ることなかったから」
「もう全部観たのか」
「まだこれで三本目」
ソファの上に体育座りのような体勢になって、善は膝を抱えていた。長い脚が余っている。俺と会話しながらも、目線はじっとテレビの液晶画面に注がれていた。
殺人を犯した主人公の女性が裁判で有罪判決を受ける。拘置所の通風口に耳を押し当て、微かに聞こえる讃美歌を心の支えにして死刑執行の日を待つ。やがてその日がやってくる。
俺の脳裏に今でも焼きついているラストまで、もうあと僅かだった。
首に縄をかけられた状態で歌いだす主人公の姿に、善は静かに見入っている。俺は最後に備えて心の準備をする。改めて観ると、結末を知っていても緊張してしまう、壮絶なシーンだ。
澄んだ歌声が途切れる。
いやな音がして、静寂。
絞首刑になった主人公がぶらさがっている。青い服。それで終わり。俺の覚えている通りの画で映画は幕を閉じて、当たり前だが、結末は変わらなかった。最後に主人公が救われたりはしなかった。本当に当たり前なのだけれど。
無音で暗転した画面。やがて静かにエンディングテーマとエンドロールが流れ始める。ローテーブルの上のリモコンに善が手を伸ばした。
てっきり停止ボタンを押すのかと思いきや、映像が巻き戻ったから、俺はぎょっとする。
主人公が歌い始める少し前のところから、善は映画をもう一度再生した。
刑の執行直前、取り乱して叫んでいた主人公が、親友の言葉で落ち着きを取り戻す。目を閉じ、微笑みさえ浮かべて、彼女がそっと口ずさみ始める歌が聖歌のように響く。歌声は悲壮さを感じさせず、とても伸びやかなところで終わる。首の骨が折れる音を、俺たちははっきりと聞かされる。
再び画面が静まったところで、今度は善は暗転すら待たず、また巻き戻しを押した。まったく同じところから、同じ場面が繰り返される。
連続して三度目ともなれば、どこで主人公の足下が抜けるかわかるようになる。それがなんだか、まるで自分が「ぼきっ」の瞬間を待っているみたいに思えて、少しぞわっとした。
またリモコンを押した善の腕を、俺は思わず両手で掴む。善はきょとんとした顔でこっちを向いた。「どしたの、千亜貴」と言う声は至って普段通りだ。どうした、はこっちの台詞だろう。
「な、……なにしてんの、お前」
発した声は自分でも笑えそうなほど上擦って掠れていた。
理解の及ばないものを前にすると人は恐怖心を抱くものだ。無慈悲で残酷なはずのラストシーンを繰り返し観る善に、俺は確かに恐怖を感じていたのだと思う。
こいつの洞察力でそのことに気づかないわけがないのに、善は青い目を本当に不思議そうに瞬かせなら、小首を傾げて答えた。
「綺麗な歌だったから」
当然のことのように善はそれだけ言った。
テレビの画面では、再生ボタンを押されないまま映画が延々と巻き戻っていた。刑務所の中で踊る主人公の姿がちらっと目に入る。
「そ……それだけ? 歌が聴きたかっただけ……?」
「だって、もっと聴きたいな、ってところで終わるんだもん」
「エンディング聴きゃいいじゃん。同じ曲だろ」
「えー、ぜんぜん違う。俺はあれがよかったの」
まるで子供が絵本の続きをねだるような声。大袈裟でなく俺は、背筋が冷たくなるのを感じた。
綺麗な歌、その点には同意だ。あの歌が美しいからこそ最期の絶望が鮮明になる。物語の結末の残酷さを際立たせるためにあのシーンはある。
だが、このラストを観た感想がそれか?
情緒を地底に突き落とされるようなあのラストシーンを、わざわざ繰り返して観る神経が、常人のものとは俺には思えなかった。
「ああ、もしかして千亜貴」何も言えず黙ってしまった俺を見て、わかった、とでもいうような調子で善は言う。
「死刑のところ、何回も観るの嫌だった?」
「……あー、うん、……いや……」
それは確かにそうなのだが。本質的なところがまったく通じていない気がする。俺のトラウマは、はっきりと映像で描写される死の瞬間そのもの、ではないのだけれど。
言葉にするのが難しいうえ、伝わる気もあまり、しない。
うーん、と善は口元に指を当てて、少し考えるようなそぶりをしてみせた。
「もしかして俺、変なこと言ってる?」
「……言ってる。絶対、変だ」
「そっかあ。ごめんね、俺、そういうのあんまりわからなくて」
謝られたことが意外で、ちょっとだけほっとする。意思の疎通が不可能な地球外生命体かと思ったけど一応言葉は通じた、みたいな。
無意識のうちに強張っていた俺の肩のあたりを、善が軽く撫でた。俺は努めて平常心を取り戻そうとして、わざと軽めの口調で言う。
「普通、トラウマだっつの。あそこだけ何回も観るとか、こえーよ」
「そっかあ」
「二度と観たくない映画ナンバーワンとか言われてるんだぜ、これ」
「そうなんだ」
「救いがなさすぎて後味悪いじゃんか。だって嫌だろ、あんなさあ」
「千亜貴」
善の手が俺の頬を滑った。包み込まれるようにしてそのまま、キスされる。青白い瞼が閉じられているのを俺はゼロ距離で見る。唇が離れると善は、
「怖がらせてごめんね?」
心なしかいつもより甘い声で、そう囁いた。片手は俺の頬、片手は髪を撫でて。女を宥めるみたいな手つきを振り払って、俺は顔を背けた。
「別に、怖がってねえよ」
「そっか。それならいいけど」
やっぱりこいつはわかっているのだ。思わず否定したものの、俺が恐怖を感じたということは、こちらが言わずとも把握できている。でもその原因を理解することはできない。
自分の言動のどこがどう常軌を逸していて、何が俺に恐怖を与えたのかはわかっていない。
俺は唐突に、これが善なのだ、というような気がした。
飄々として掴みどころがなく、昼間は何をして過ごしているのかさえ知らない。割と庶民的な嗜好をしていて、俺の作った飯だってよく食うくせに、どこか浮世離れしたような男。その異質さの輪郭を、俺は見たのかもしれなかった。
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