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#7-4
昼近くなってから、ルルちゃんの帰宅で俺は目を覚ました。
思った以上にぐっすり寝てしまっていたらしい。具合はどうだと聞かれて、なんならいつもより好調だ、と答えた。
むしろルルちゃんの顔には疲労が見える。昨日の夕方からぶっ通しで店にいたというんだから当たり前だ。
「働きすぎなんじゃねえの」
「人手がねーんだよ。シャワーして寝て、五時からまた行かねえと」
「マジかよ。なんだその生活。いつセックスすんだよ」
「まあ、曜日によっては時間あっから……って、何言わせんだ」
ワイシャツとインナーを脱いで躊躇なく半裸になったルルちゃんが、冷蔵庫から取り出したペットボトルを呷る。その背中には虎も龍もいない。いそうなのに。
「……いや、見すぎだろ。見んな」
ガン見してたら怒られたけれど、俺がルルちゃんの容姿が大好きなのを知っているくせに、軽率に脱ぐほうが悪いと思う。減るもんじゃあるまいし、見るくらい別にいいだろ。
「千亜貴に見られると減る気がする」
「俺をなんだと思ってんだ」
「サキュバス的な」
軽口の応酬をしながら、タオル一枚だけ持って風呂場へ向かうルルちゃんを見送った。と思ったら五分もかからず出てきた。また軽率に腰タオルだけだし。
なんとなくムカついたから、近くに来たタイミングで腕を掴んで、ベッドに引き倒した。力じゃ勝てないから不意打ちで。驚いた顔をしているルルちゃんの膝の上に乗り上げる。
「ルルちゃんさあ、そんな働いて、疲れマラとかなんねーの」
「……聞いてどうすんだよ」
「迷惑かけたお詫びにヤらしてやろーかと思って」
ルルちゃんの髪は短いが、きちんと拭かれていなかったためか、シーツにぽたりと雫が落ちた。俺の言葉にルルちゃんは「いらねーよ、バカ」と言って、こめかみに水平チョップを喰らわせてきた。
「病人襲う趣味ねえわ」
「別にもう病人じゃねえし」
「俺は寝んだよ。お前、元気ならもう帰れ」
唇を尖らせた俺をあっさり押しのけて、ルルちゃんはベッドから降りた。俺も半分は冗談だったが、残り半分は本気だったので、やや残念な気持ちであとに続く。
ルルちゃんは店に置きっぱなしだった俺の荷物も持ってきてくれていた。さらにそこそこ大きめのビニール袋も押しつけられる。中にはゼリー飲料とか大豆バーとか、健康食品っぽいものがぎっしり詰められていた。
追いやられるようにして玄関へ行き、靴を履きながら振り返ってルルちゃんを見上げる。
「ほんとにいいの?」
「あ? 何が」
「フェラだけしてやろうか」
強面が間抜けなポカン顔になり、それから眉間に深い皺が刻まれた。
「だァから、要らねえっつーんだよ。なに、お前こそ溜まってんの?」
「そういうわけじゃねえけどさ」
恩は即返しておきたいけど、それしか手段を思いつかないというか。
優しくされっぱなしじゃ気持ち悪い。ビニール袋の重みが手に痛い。
ルルちゃんはひとつ大きな欠伸をして、「いいからさっさと帰れ」と言いながら、大きな手でがさつに俺の頭を撫でた。
「飯いっぱい食って、今日はゆっくり休め。……そうしてくれんのが一番嬉しい」
そんなふうに言われたら、俺も引き下がるしかなかった。ありがとう、ともごもご伝えて、玄関のドアを開ける。
少し軋んだ音をたててドアが閉まる間際、ルルちゃんはひらひらと手を振ってくれた。
徒歩三分で駅に着く。羨ましくなる立地だ。俺がホームに着くのと同時に、運良く電車が入ってきた。
平日昼間に私服で電車に乗り込む、なんていつぶりだろうか。ぼうっとしながら端の席に腰を下ろした。
車内がすいているのをいいことに、ルルちゃんが持たせてくれた食糧を隣の座席に置いた。ビニールの擦れるがさっという音が、頭の中で、少しぶっきらぼうなルルちゃんの低い声と重なる。
ルルちゃん、優しいな。好きだなあ。そういう意味じゃねえけど。
そういう意味で好きになれたらよかったんだけどなあ。
そこで気づく。山瀬に対して思ってるのと同じようなこと、俺はルルちゃんにも思ってるんだなあ、ということ。
ひとの優しさを食い物にして、そのうえ粗末にしてる俺には、きっとそのうちバチがあたるんだろう。
やがて短いアナウンスのあとに電車は走り出した。空は晴れていて、向かいの車窓にやたら清々しい青が広がった。
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