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第13話

 仁科は蒼ざめ、なのに戸神は、 「校歌のサビのフレーズは、努力は尊いみたいな感じだろ。先生もがんばろうよ」  元素記号を暗唱するように淡々とリコーダーをひねり、襞を巻き取っていく。  恐怖心に屈した。仁科はうつむいた。  趣味でつづけているフルートは、吹き口にそっと空気をのせるように唇を震わせると美しい音色を響かせてくれる。それをイメージして、意識的に秘道をゆるめる。  夕陽を浴びて、壁に飾られた楽聖の肖像画に仁科を嘲笑しているような陰影が生じる。  翳りを帯びた狭間に戸神が冷徹な眼差しを向けてくれば、なおさら緊張する。  それでなくとも人前でいきむことじたい生き恥をさらすに等しい。羞恥心がつのれば柔肉がリコーダーにみっちりとまといつき、難易度があがる。  ただし生殺与奪の権を握っているのは戸神で、仁科にはもとより拒む権利はない。これは不可抗力だ、この課題をやりこなさいことには、もっと無理難題を吹っかけられるに決まっている。  仁科は、それを免罪符に努力を重ねた。何度も失敗しては、追試を言い渡すふうにぬぷぬぷと最奥をかき混ぜられる。  花芯が腫れぼったくなったころ、微かな音色が足の付け根でくぐもった。  リコーダー本来のやわらかな音色とは似ても似つかないものだが、ビブラートがかかったそれは、確かに仁科が奏でた〝音〟だった。  首筋まで真紅に染まり、眼鏡が汗ですべる。仁科は切々と訴えた。 「頼む、抜いてくれ。卑劣な手段を用いるのは嫌だが、おれは仮にもきみの担任だ。受験に不利になるように内申書を改竄することだってできるんだぞ……」 「脅すなんて、先生には似合わないよ」  瞳をくるりと回すと、リコーダーを小刻みに動かす。勉強は予習復習が大事だ、というふうに偏執的なまでに(こま)やかに。 「ぅう……戸神、やめろ、やめなさい……」  両の手首と左の足首が粘着テープにかぶれて、むず痒い。教師生活は七年目を数え、問題児に手こずらされたこともあったが、それとこれとは次元が異なる。  やりたい放題に担任を虐げて悪びれたふうもないだなんて、理屈もへったくれもなしに戸神が恐ろしい。

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