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第65話

 タオルか、ティッシュ……。仁科は息も絶え絶えに呟きながら半身を起こした。  とにもかくにも、とろろを拭き取らないことには冗談抜きに気が狂いそうだ。  ところが姿勢を変えた拍子に、入口のきわに固まっていたとろろが内壁にしみ渡る。ひときわ激烈な痒みに汗がどっと噴き出し、足の裏に火を点けられたように飛び上がった。 「くぅ、うう……っ!」  一秒たりとも、じっとしていられない。ワイシャツをはためかせて、ほとんど転げ落ちながら床に下りた。前衛派の舞踏家のように闇雲に身をよじり、あるいは、そこいらじゅうに拳を叩きつけた。 「か、ゆい……ああ、痒い、痒いんだ!」  もはや、うわ言のようにそう繰り返すのみ。必死の形相ですべての調理台の蛇口をひねって回ったすえに、スタート地点にくずおれた。  ガス、電気、そして水道。旧校舎のライフラインは死んでいる。  瀕死の状態でたどり着いたオアシスが蜃気楼だった、という砂漠の旅人もかくやとばかりに悄然と(こうべ)を垂れた。  仁科は血走った目であたりを見回した。恥も外聞もかなぐり捨ててしまうまで、すでに秒読み段階に入っている。あと十分……いや、この痒み地獄に耐えられるのは五分が限度だ。  タイムアップとなりしだい、四股(しこ)を踏むように腰を落として足を大きく広げて、陰門をがりがりと搔きだすだろう。  と、そのとき。戸神が、プリントにさらさらとペンを走らせながら口を開いた。 「ちょっとナルシスト入ってるけど。授業中、情感たっぷりな先生の朗読で宮沢賢治の詩を聞くと情景がパッと浮かんで好きだな」  にっこり笑って言葉を継ぐ。 「あのノリで復唱してよ。『ケツマンコに指を突っ込んでほじくり返してください』」    ケ……と鸚鵡返(おうむがえ)しに呟いて絶句した。仁科は瞬時、痒みを忘れて(まなじり)をつりあげた。 「おれは、おれは仮にも国語の教師だ。そんな下品なことは言えない」  ふぅん、と戸神はことさら間延びした相槌を打った。ペンケースとプリントを通学鞄にしまうと、かったるげに腰をあげた。  学生ズボンの埃をはたくと仁科を見据え、苦悶の表情が逆に妖艶さを醸し出す顔に人差し指を突きつける。

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