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第95話

 とにかく、こんな忌まわしい音声ファイルはさっさと削除するに限る。  スマートフォンを摑みなおした。なのに耳許で戸神がそうしろと囁きかけてきたように、まったく逆の操作をしてしまう。  専用のフォルダに保存し終えるが早いか再生してみるとは、もはや末期症状だ。 「ケツマンコ」。  そのメドレーが再び調理室を満たすと、呼吸が浅く速くなる。乳嘴(にゅうし)がしこり、内奥がさもしげに疼く。  窓辺に移動してカーテンを少し開いた。仁科の心情を具現化したように、雨雲が刻々と厚みを増していく。  戸神が卒業するまで一年九ヶ月弱。およそ六百三十日の間に、この悪夢があと何回繰り返されることになるのか。  悪夢……? 本当に、そうと言い切れるのだろうか。  どんな環境にも人間は順応する。あれは、戸神に感化されていくということを意味する。 〝戸神翔真〟と窓ガラスに綴った。ひとつのテーマに沿って生徒たちに作文を書かせることがある。戸神は真っ先に提出するのが常で、着眼点もユニークだ。  彼なら斬新な淫技をつぎつぎと考案して、マンネリに陥るような愚は犯すまい。  次回は仁科という劣等生を救済するために、こういうふうに〝授業〟を進めていこうと、すでに構想を練り終えているかもしれない。  たとえば今日のレッスンは、戸神の基準では「初級編」。  では中級編の内容は? 上級編は?  ひと口に絶頂に達するといってもパターンはいろいろある、と学んだ。前回は口の中、今回は顔面めがけて欲望が解き放たれた。  では次回、標的にされるのは果たしてどこだ?   最奥であれば筒全体に戸神のエキスがしみ渡って、いよいよ彼に呪縛される恐れがあるのだが。  ともあれ、ネクタイを預けていったからには〝次回〟があるということだ。とろろを塗り込められるより遙かにひどい目に遭わされると想像がついても、呼び出しがかかったら応じるしかない。  それは明日の放課後か、それとも明後日の放課後か。  天地神明に誓って心待ちにしてなどいない。いないのだが……まったく興味がないと言えば嘘になる。  半月も放っておかれたら、お払い箱になった可能性が高いことにホッとするより先に、移り気な態度を恨めしく思うかもしれない。  惑わされるな。そう自分に言い聞かせて頭を打ち振るそばから、唇に消え残る戸神の感触を反芻する(てい)で、うっとりと舌なめずりをしてしまう。  ひたひたと夕闇が忍び寄ってくるなか、快感を主食とする獣が目を覚ましたように、レンズの奥の瞳が妖しくきらめいた。     ──調理室編 了──

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