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次第に腐敗した水と死肉が混ざったような臭気と共に眼前の物体が丸くなり、やがて丸い円から半球体へと変化を遂げていく様を眺める塵煙の様子は変わらない。 一方、少し離れた場所で眺めている紅絇は、袖で鼻と口を押さえたままずっと顔を顰めている。 『酷い臭いだ・・鼻が曲がるなんてもんじゃない。死臭より酷い・・』 「・・・・・・・・・・・・・・・」 十五分ほど経過したころだろうか。 やがて臭気も薄くなり、その臭いの変化を知った塵煙はゆっくりと瞳を開けると、今度は桶に浸した水を自らの割った手で梳くい、半球体にパシャリとかけている。 途端に半球体が赤々と輝き始め、透明な薄紫色の光を放ちながら、花にも似た香気と共にゆっくりとその姿を現し始めた。 「・・・・・・・???」 その光と花の香りに誘われるように、もう作業は終わったのかしらと首を傾げながら、距離を取っていた紅絇がゆっくりと塵煙に近づいて行く。 その時はまさか、塵煙の背中越しにぎょろりと動く謎の物体と対峙する事になろうとは露ほどにも思っていなかった紅絇である。 塵煙の眼前に置かれていたもの。それは手のひらよりも少し大きい眼球であった。 「・・・・!?!?!?!?!?」 一瞬にして後ずさりながら、手足を妙な方向に曲げて固まる紅絇をよそに塵煙は、 「ああ。成功した」 と満足げに微笑んでいらっしゃるではないか。おお・・。 「おっま!おぅおぅそっれっ・・」 「ん?これか?」 腰を下ろしたまま、塵煙が眼下の眼球を指さして微笑む。 その表情はどこから見ても子供のようである。 ついでに言えば、生まれたばかりの?眼球もルンルンと何処か弾んで嬉しそうに見えた。 「・・・眼球のがんちゃんだ」 「名づけも最悪じゃねーか」 「眼球が南京錠なお前にだけは、その台詞を言われたくないな」 「なんだとぉ!」 「さて、次は服だな」 拳をプルプルとさせながら肩を震わせる紅絇に視線を向けることも無く呟きながら、よっこらせと塵煙が立ち上がり桶へと近づいて行く。 「おっおい!」 「なんだ?」 「がんちゃんは?どうするんだ?」 「ああ。そこに置いておけばいい。勝手には動かんよ」 「ホントかよ・・」 そう呟きながら、生まれたばかりの眼球を見下ろす。そうしてパチパチと瞬きを繰り返し、ウフフと微笑む眼球を前にして、彼はがっくりと項垂れてしまった。 「・・・なんか・・・冗談であってほしい世界を見た気分だ」 暫く脱力していた彼だったが、ふうと息を吐くと、腕を組みながら塵煙の行動を引き続き、ジッと眺めることにした。 「・・・そこまでしてやる意味が分からんよ。俺は」 「・・そうか?俺は意味があると思ったが?」 「・・・同情か?」 「いや。違うな。同情したとて、あの殭屍は喜ばん。俺がそうしたいと思っただけだ」 「・・・そうか」 それ以上、紅絇は何も言わず、塵煙は右手の人差し指と中指を立てると、何かを呟きながら指で小刀をなぞり、そのまま桶の中へその刀を浸した。 その瞬間、爆風と共に桶が吹き飛び、その場には墨字で覆われた袍と襦。靴だけがそこに残されていたのである。 「・・・・・・・」 「・・・あとは、札か・・あ、まだ袍には触れるなよ」 そう呟いて、今度は流れていた自身の血を筆で拭うと取り出した札に何やら書き込んでいく。 それを眺めていた紅絇が、袍と札を見比べ墨字を目で追ううちに、どちらも殭屍を抑えるための呪であると気付いたのは、全ての術が終了して数分が経過した頃だった。 「これで良し。このままあの殭屍と会った場所に戻してもらえるか」 「構わんが、止血と新しい手は良いのか?」 「ああ。深く抉ったわけではないから、もう止まる。手は・・終わってから交換だな」 「医師連中の悲鳴が今から想像できるな」 「言うな・・気が下がる」 「痛みは?」 「問題ない」 「ならば良い」 「これから飛べば夜には戻れるな。ああそうだ。水浴びもさせねばならん」 「・・殭屍に水浴び・・お前は、やっぱり変わってるよ」 「檻と錠前つけてるお前にだけは、やっぱり言われたくない台詞だ」 「まったくだ」 少しぶすくれている塵煙の声にハハハと笑いながら紅絇が彼を抱え、それから二匹はゆっくりと飛び立つと、その体で来た道を戻り、出会った場所でウロウロと歩き回る殭屍に衣服と靴、新しい札を渡したのである。その時、塵煙は待っていた殭屍を連れて、町からかなり離れた場所へと移動した。 勿論、彼の身体を綺麗にするためだ。 「・・・服。ありがとうございます」 「丈はどうかと思っていたが、合ってよかったな。身も綺麗になってよかった」 「水で十分でしたのに・・お湯まですみません」 ぺこりと丁寧にお辞儀を繰り返す殭屍の姿は、顔色を除けばどこから見ても生きている子供とそう変わらない。 紅絇は微笑む塵煙の隣で、先ほど見た光景で立った鳥肌を何とかしようと両腕を手で摩り続けていた。だが、どれだけ擦っても寒くなるばかりで変わらない。 『・・・きっ・・気色悪かった・・・気色悪いなんてもんじゃねえよ!何だ今の!?・・殭屍にあんなでかい眼球埋め込むとか聞いた事ねえし・・!しかもその眼球、埋め込んだあと自由に身体の中を這い回っ・・うわぁぁああ・・思い出しただけで鳥肌がッ!』 ぬうぉおおおっと言わんばかりの勢いを残したまま、両手を天に向かって高く挙げ背を向ける紅絇の姿に動じる様子を見せないまま、塵煙は眼前でニコニコと微笑む殭屍に終始優しい視線を投げかけている。

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