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「浴びるのは水でも良いだろうが、湯の方が人心地がつくだろう。違うか?」 「はい。違いません。とても心地が良かったです。あなたは命の恩人です。けして剥がれない札もありがとうございます」 「俺の手は今、割れていてな。痛かったらすまん」 微笑む殭屍の頬を自身の手の甲で擦り、彼の髪を優しく梳く塵煙の手は全てが優しい。 まるで壊れ物を扱うかの如く伸ばされたその手が何処か嬉しくて、殭屍の表情がふにゃっと柔らかくなった。 造り物なはずのその手は、何処かとても懐かしくて温かい。 そう感じる理由は分からないけれど。 「髪も綺麗になって良かったな」 「ふふふ。はい」 ぺこりと再びお辞儀をする殭屍に手を放して振り返す塵煙の表情は、どこか柔らかく優しいもので。その前に立つ殭屍はふふふと笑いながら、袍の袖に手を伸ばした。 「新しいです」 「だろうな。お前の着ているその袍、襦、靴には俺の血を染み込ませてある。札も同じ。お前にかけた札の呪いはそう簡単には解けることはない。俺の血はいわば呪いと同じでな。下手に使えば害悪だが上手く使えば善になる。今回は善になった。その程度の話だ」 「はあ」 「あと、動く眼球だが」 「もぞもぞするこれですか?」 殭屍が袖をめくって何かを探っている。 視覚を失われた彼らは殭屍となった瞬間に嗅覚と聴力で人間の匂いを察知し動く獣となるわけだが、どういうわけか、この眼前に立つ殭屍に至っては、他の殭屍のように視覚が無く、嗅覚と聴力のみで相手の気配を探り取る部分は同じでも、他の殭屍のように人間を襲うようなことはしない。 これは彼が幼く、まだ狂暴性に目覚めていないという事なのだろう。 「ああ。これは言わば俺とお前を繋ぐ糸だ。鎖のようなものだと思っていい。俺がお前に何かを念じる。お前も同じ。何かあれば強く念じればいい。それだけで互いに言葉が伝わるように造ってある」 袖をめくった先に見える腕をスーイスイと大きな眼球が瞬きを繰り返しながら気持ちよさそうに泳いでいる姿は、植えつけた本妖はどう思うか分からないが、傍から見れば軽くホラーだ。少し短い睫毛が魅力的なその眼球は、猛スピードで腕から肩へと移動すると頬や額、また腕と好きなように動き回っている。 「・・痛くは無いのですか?」 「痛いか?痛くないように気をつけて植えたんだが」 「いいえ。僕ではなくこの眼球さんです」 「ああ。そいつの方か、痛覚は無いから潰しても生き返るぞ」 「・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・」 塵煙の声に、紅絇と殭屍は何も言わなかった。 ただ、殭屍も自身の腕を泳ぐようにスイスイと動き回る眼球に何か思うところがあるようで、早々に袖で腕を隠すと何事も無かったような表情で塵煙に視線を向けた。 「それと・・お前の名だが・・良い名が思いつかん。殭屍だからキョン子でいいか」 「はい。どのような名前でも頂けるだけで嬉しいです。受けたご恩はけして忘れません。お役に立てるかは分かりませんが、どうか僕を・・お使いください。何処へでも念じて頂ければ馳せ参じます」 「それは結構」 その出会いが縁となり、塵煙は何かあれば頭で念じ、それをキョン子が受け取って、どこへでもひた走る。そんな関係へと繋がったのである。 キョン子と呼んだ青年を支えながら部屋へと迎え入れると、彼はすぐに開けていた窓を閉めた。 「これ、ご依頼のお品です」 「すまんな・・手間をかけた」 「いいえ。僕が行けば問題になりますから、お金を多めに支払って代わりの人に頼みました」 「上々だ。それでいい」 「はい」 塵煙の声に、キョン子がふわりと笑う。 死んでいるのに、決してそうは見えない表情が何だか悲しく、寂しく見えた。 「そうか・・ああ、そうだ。いくら使った?」 「えっ?いえ・・」 「かなり使わせてしまったからな。それ相応の代金は支払おう」 ごそごそと懐から財布を取り出す塵煙を見て、キョン子は音の方向に首を傾けながら、両手を伸ばした。 「そんな・・今までも十分すぎるお金を頂いています。もし生きていましたならば、貴族様にも負けない程です。僕は死体です・・頂いても使うことは出来ません」 「気にせんでいい」 「いいえ・・必要以上のお金は害を生みます。依頼に必要なお金はもう十分頂いております。ですから・・どうか・・そのお金は・・」 「・・そうか・・すまない。逆に気を遣わせてしまったな」 「いえ・・」 「道中、怪我はなかったか?」 「はい。塵煙様の護符もございましたし眼球さんもいて下さいますので。大丈夫でした。ああ、そうです。途中、夜中でしたが、殭屍の列を見かけまして」 「ほう?」 「なんというか・・硬そうでした」 「硬そう?」 「はい。僕はこの通り、腕も足もふにゃふにゃです。でも彼らは違っていました。道士の護符のおかげでしょうか?」 「・・・・・・・・・」 キョン子の声に、塵煙は一瞬ではあるが、息が詰まりそうになった。

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