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通常、人間というのは亡くなると硬直と言って、時間と共に肉体が硬くなっていく。
だが、まれに例外があって、この世に未練が無ければ、どれほどの時間が経過しても死後の硬直は起こらないと聞く。それを現実に見るまでは俄かに信じられなかった彼も、ある場所で実際に目にして初めて、このような人間もいるのだと思った。
亡くなっているのに、死臭はしない。日が経過しているのに硬直は見られない。
まるで寝ているように穏やかで、儚い。
そのご遺体を目にして初めて、塵煙は嗚呼と思った。
殭屍は違う。状況によって変わりはするが、この世に未練があって、強い恨みや理不尽さを抱えたまま息絶えて、ちゃんと埋葬されない現実を抱えたまま、やがて人間では無くなっていく。
死後も殭屍となってずっと生きていて、陽に当たり燃え崩れるか、道士の手によって倒されでもしない限り休むことは許されない。
彼らが人を襲うだけでなく、夜な夜な起き出して誰かを驚かそうとするのは、何処かで生きていたい。死んだ自身を認めたくない。誰かと繋がっていたいと願う故からくる行動ではないのだろうか?
『だとしたら、理不尽な話だ』
キョン子も、自分の意志とは関係なく、気が付けば殭屍になってしまっていたのだろう。
いつの間にか殭屍になって、殭屍の性である狂暴性に怯えながら誰かを想い、襲うことを極端に怖がる。
優しくて、悲しい。
そんな子供が目の前にいる。
悲惨な最期であったとしても、未練が無い。
若さは関係ない。ただ、確かに言える事はひとつだけ。
彼は、誰よりも現実を受け入れていて、死後の今も未練を持っていない。
その証拠に、他の殭屍のように関節が硬くなることも無く、死臭も無いまま今ここに立っている。
控えめに咲く野花のように、目立つことなくひっそりとそこに居るのだ。
それを惜しむ者が、この世の何処かに一人でも居たのだろうか?
それを想う度に、塵煙の心の臓は握られたかのように苦しくなる。
これはけして同情ではない。そう言い聞かせながら、塵煙は眼前で微笑む彼を見た。
「・・そうだな。きっと、道士の腕が良いのだろう」
「ああ。やっぱり。凄いですね、道士様は」
ふふふと、はにかみながらキョン子が笑っている。
塵煙は何も話すことなく、先ほど荷を置いた卓の椅子を引いてキョン子に向けた。
「立ったままだと疲れるだろう?こっちへ来ないか?幸い、この部屋にはお前を写す鏡は置いていない。来ても大丈夫だ」
「あ・・・いえ・・その・・」
「ん?」
「僕は死臭がしますでしょう?外におります」
「まあそう言うな。少し居てくれ」
「・・ですが・・宿の方にご迷惑が掛かります」
「じゃあ、こうしよう。その窓枠に座っててくれ。それなら構わんだろう」
「あなたがそう申されるのでしたら・・・でも弁当とお茶とお酒って何かあったんですか?」
再度開けた窓枠に、ちょこんとキョン子が腰を掛けている。
おかっぱ頭を彷彿とさせる黒髪を僅かに揺らしながら首を傾げる彼に軽く笑みを返すと、塵煙はキョン子から受け取った包みを広げることにしたのだった。
四角い木箱の弁当箱の箱をゆっくりと開けてみる。出来立てを詰めてくれたのだろう。
開けた瞬間、料理から湯気がふわふわと浮かび、その光景に塵煙の頬が僅かに緩んだ。
「お?排骨弁当じゃないか。しかも温かい。涙が出るな・・こっちは何だ?包子じゃないか。気が利くなぁ。ありがとう」
「いえいえ。お茶をお淹れしましょうか?」
席に着いた塵煙を眺めながら、冗談交じりの笑みをキョン子が返している。
そこで、ふと、泥酔して眠りこけている紏鶆に気がついた。
「紏鶆さん・・てことは・・ああ。一緒におられたのですね」
「ああ。嗚呼・・飯が温かい・・ふわりと香る五香粉の香りが食欲を誘う・・肉・・肉だ・・」
木箱に入れられた弁当を前にして、塵煙の瞳からは滝のような涙が溢れてはボタボタと零れ落ちていく。タレをしっかりと吸い込んだ排骨の肉は柔らかく、またほんのりと温かい。
店で食べるサクリとした食感の排骨も美味しかろうが、今の自分にはこれ以上に美味い飯は無いと言わんばかりの表情で彼は弁当と包子に箸を向けたのであった。
「はぁ・・美味かった・・・やっと・・やっと排骨と酒が腹におさまった・・」
「お役に立てて何よりです」
そう話しながらキョン子がフフフと微笑んでいる。本当に塵煙の食欲は凄いものだった。
弁当の蓋を開けたかと思いきや、物凄い速さでガツガツと排骨に齧り付き、その勢いのまま酒をゴクゴクと飲み干すや否や弁当箱を持ち上げ、まるでお茶を飲み干すかの如く速さで青菜と白米を流し込んでいったのである。
音しか聞こえないため、はっきりしたことは分からないが、キョン子は塵煙が無言で食す音を聞いていて自然と頬が緩んでしまった。
『本当にお腹が空いていたんだなぁ』
「嗚呼。今日、そいつと飲みに行ったんだよ。荒れに荒れてな。えらい目にあった」
「・・・でしょうね。今、この国に他国から夜盗がいくつか入って来ていると聞きますから」
「やはりそうか。報告を聞かせてくれ」
「ええ」
塵煙のその声に、キョン子の表情がギュッと締まった。
そうして彼は塵煙に自身が見聞きしてきた全ての情報を彼に報告したのである。
「やはりそうか・・その賊の出どころは分かるか?」
「・・はっきりしたことは・・ああ。でも、猪の国からも流れていますね」
「何?あそこは武を重んじる国だろう?何があった?」
キョン子の報告に、塵煙は言いようのない胸騒ぎを覚えてしまった。
あの国には自分が拾い養子にした子供がいる。
彼は卓に視線を向けながら、その子供の事を想い、僅かに表情を曇らせた。
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