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「塵煙様?」
「あ・・すまん・・続けてくれ」
「はい。猪の国で仕官が叶うのはほんの一握りだそうで、後の皆さんはそもそも仕官に興味がなく鍛えるための修行所として訪れる方もいるのだとか」
「ああ。そうだ。あの国は王が豪胆でな」
「会ったことがあるのですか?」
「まぁ・・会った事があるといえば、あるな」
「お顔が広いのですねえ」
「いや。顔が広いと言えば聞こえはいいが・・俺はもともと僧侶だからなぁ」
「行脚?」
「行脚か。良いな。次からは行脚と言おう」
膝を軽くパンと叩きながら塵煙が笑う。
おどけたようなその表情にキョン子の頬が僅かに緩んだ。
『違うんだ・・』
「何か言ったか?」
「いえ・・あと、豚の国から狼国を経由して鼠の国に来る者もいるようです」
「それ以外は・・やはり船か・・」
「そう・・だと思います。商船を狙い襲う海賊も海にはいると」
「・・それが厄介なんだよなぁ・・うちもまだ海洋は押さえていない。空軍はいるんだが」
「船で戦を起こせるとしたら、どこの国です?」
「おそらく、豚国だ。あの国は海に強くてな。海産物と塩が有名なだけあって、陸路より海を重点的に押さえてる」
「・・・・」
「猪国と鼠国は現在同盟関係にある事は話したな」
「はい」
「だから、豚国は陸路で攻められないんだ。鼠の国を掌握したくても、眼前には戦に強い猪の国がいる。彼らが取り囲むせいで迂闊に攻められない。じゃあ、狼国に目を向けがちだが、あの国は王は無能だが部下は優秀だ。それに加えて謎が多い。迂闊に攻めん方が良いだろう」
「なるほど」
そう呟きながら、キョン子は塵煙の持つ情報量に驚きを隠せなかった。
六つある国の事を少しでも知ろうとすれば、それ相応の協力者が必要になる。
一体どれほどの間者が塵煙の協力で動いているのか。
それを想像する度にゾワリと言い様のない寒気が、彼の背をじわじわと攻め立ててくる。
それは不安から来るものなのか―?果たして。
「それに、この国は現在、四人の王が揉める事無く町の治安を守っている。だから、賊が来る度に紏鶆をはじめとする刑部が駆り出され、走り回っているというわけだな」
「・・ああ。そういえば、二十四時間、刑部はいつでも稼働してるって言ってましたものねえ」
お疲れ様です。そう呟いて、キョン子はふと紏鶆が寝ている牀の方向へと顔を向けた。
彼が狸寝入りをしていないことを確認すると、また塵煙の方へと視線を戻すことにした。
「休み無しだそうだからなぁ・・荒れてるぞ・・今の奴は」
「笑って話すことじゃないでしょう?」
「いやいや。お前にも見せてやりたかった」
そう話しながら、塵煙は開けていた弁当と箸を丁寧に片づけると、キョン子の方に視線を向けながら自身の膝をポンポンと叩いている。
「?」
「窓を閉めてこちらに来ないか?」
「・・・でも」
「椅子が駄目なら俺の膝はどうだ?」
「・・・・・・・・・」
「俺がお前と一緒に居たいんだよ。・・駄目か?」
塵煙の声に何度も口をパクパクとさせながら、キョン子は終始戸惑いを見せていたが、やがて観念したように窓枠からひょいと飛び降りると袖で開けていた窓を閉めた。
軋む音で気づかなかったが、かなりこの部屋に冷たい風が入り込んでいたらしい。
それでも文句ひとつ言う事も無く自分に合わせてくれる彼に対して、キョン子は嬉しさと申し訳なさを交互に感じながら、軽く息を吸い吐いた。
どうもこの殭屍の肉体になってから、感覚の違いに戸惑ってばかりで上手くいかないことが多い。
それでも構わないと言ってくれる塵煙に心の底から役に立ちたいと思う。
自分という存在を認めてくれる。
ありのままでいいと言ってくれる。
その初めての言葉や仕草が、キョン子は本当に嬉しかったし、またありがたいとも感じていたのだ。
だが、不意に不安が忍び寄ることもある。
この自分の伸びた爪が、やがて彼を裂く牙になりはしないのだろうか・・と。
こんなことを彼に話したとしても愚問だと笑うかもしれないが・・。
「本当に・・良いのですか?」
「ああ。構わんよ」
目は見えていなくとも塵煙の声はどこまでも優しい。
彼の発する声も、手も指も息遣いも全てが優しい。
それを知る度にキョン子の見えない瞳がズキリと疼いては、首から下が絞められたように苦しくなる。
彼はおずおずと塵煙に近づくと、少し俯いて彼の膝に視線を向けた。
「おいで」
塵煙の伸ばされた腕がキョン子の袖に触れる。
布越しに指に触れる彼の手は何処かほっこりと温かくて心地が良い。
「お邪魔・・・します」
「うん」
遠慮がちに背を向けながら塵煙の膝の上に腰を下ろす、と同時に塵煙の腕が彼の袍に伸びてきた。
「フフフ・・」
キョン子の肩に自身の頬を寄せながら、塵煙が深く顔を埋めている。
伸びた前髪がキョン子の首筋に触れる度にくすぐったくて、キョン子の肩が微かに揺れた。
「・・・あー・・・」
「・・・・・・」
「会いたかった・・」
「・・私もです・・」
「うん」
「・・お疲れですか?」
部屋を照らす行灯の火がジジジと揺れる。
吹く風が叩く窓の音が微かに聞こえる室内で、二匹は何も話そうとはしなかった。
背中からじんわりと伝わる温もりが心地良い。
「うん。・・うん・・そうだな・・少し・・つかれた」
キョン子を抱きしめながら呟いた声は静寂の中へと溶けて、その掠れるような声にキョン子は僅かに眉を顰めると、呟きかけた言葉をグッと飲み込んで、彼もまたゆっくりと瞳を閉じたのだった。
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