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沈み、想う。懐かしい光

「ん・・・」 カタカタと風が窓を緩やかに叩く音が何処かで聞こえる。 ふわふわと浮くような心地の中で、温かい布団の温もりに包まれながら、紏鶆は規則正しい寝息を立てていた。 いつの間にか深い眠りへと落ちてしまっていたらしい。 蘇る懐かしい記憶。風景。声。温度。 全てが懐かしく、また切なく見える。 紏珂鶆(とう・か・らい)それが彼の姓名だ。 けれど、それは正しいようで正しくはない。 貴族である紏家の門を叩いた当時、彼は齢十一であった。 さて、ここでまず初めに紏鶆が住む鼠国についても記述する必要があるだろう。 鼠国と書いて、ソコクと読む。 中にはそのままネズミコクと呼んでいる者もいるようだが、特に咎める者もいないらしい。 現在、鼠国には四名の王がおり、代々王位継承する形で継いだ王子が王となり、首都と州を同時に治めることで治安を守っている。 四名の王と州都については、鼠国が担当することになるであろう章にて詳しく掲載するとして。 珂鶆の故郷である汞州(こうしゅう)左豊郡桧県柳下村(さほうぐん・かいけん・りゅうかむら)は西の方角に位置し、首都からそれぞれの関所を四つ越えた場所にある。 周辺を岩山に囲まれた集落とも呼べる城だ。 柳下村に古くから伝わる歴史書によれば、 『鼠国歴不詳。山羊と馬を連れた十ばかりの民族。隊列を組みて安住の地求めてさ迷い歩く。道半ばで馬止まり、水欲す。水求め歩く先で土地見つけたりて民喜ぶ。その後、安住の地と記す』とある。 どうやら、昔からその場所に住んでいたというよりは、遊牧民が安住の地として選んだ場所がその土地だったようだ。 彼らは荒れていた土地を開墾し田畑や稲作を中心に行うことで、生計を立てようと考えていたようだったが、開墾し土地を広げていくうちに、ある事に気が付いた。 他の土地に比べると岩山が邪魔をして、陽は当たるものの平野部に比べると日照時間が短く、土もやや硬い。肥料を増やしてもなかなか肥えず、どれだけ植えても育つ前に枯れてしまったり、無事に実ったとしても小さすぎる。 当然、栄養が行き届いていない為か、食しても実が硬いばかりで味がない。 そのうち、作物を育てるのには不向きな土地であることに皆が気付き始めるも、一度その地に住むと決めた以上は何としてでも住めるようにと、珂鶆の先祖たちは試行錯誤を繰り返しながら、代々受け継いだ土地を大切に耕し守ってきたようである。 しかし、寒さと雨があまり降らない土地であることは現在も変わらず、村民たちは日々の天候に振り回されることも多く、その度に村の外れまで足を運び、木の実や薬草、兎や鳥等の動物を捕らえては皆で分け合って飢えをしのいで生きてきたのだ。 毎日食べる食事にも困る日々、それが数日間続いたとしても、隣を見れば皆同じ。 こういう時こそ、どうにかして知恵を出し、力を合わせねば。そう考えながら生きてきた民達であっても干ばつと疫病。飢饉に関しては適いそうもなかった。 雨が降らねば作物は育たない。鶏や野兎の数も限られている故、取りすぎれば底をつく。 もともと稲作や畑に向いていない場所であることも重なって、珂鶆の故郷とその周辺の村々は疫病や干ばつ、災害に見舞われる度に頭を抱えていた。 お世辞にも裕福とは言えない村である。医師を呼び診てもらうにも金がかかる。 左豊郡桧県を治める州牧に現状を訴える訴状をどれだけ出そうが、「承知した。追って沙汰を出す故、今は待たれよ」と告げられるだけで、それ以上の行動を起こされた試しはない。 これは恐らくだが、群の太守宛てに提出される訴状のみをまず優先し、その後ろに控える県、村に関してはそのままの状態で捨て置かれるか、下級官吏に訴状を回しているのではないだろうか? どれだけ提出し、訴え出ても肝心の州牧まで話が通らなければ、どんな言葉も意味を持たない。訪問を待つといっても州牧達が巡察に訪れるのは年に一度のみと決められている。 しかもその滞在期間も群や県に比べれば、驚くほどの短さだ。 しかし、官吏達の事も悪く言えないのは事実であって。 彼らもけして暇ではなく、日々、迫りくる竹簡と訴状、何処かで災害が起これば誰より早くその場に駆け付け、予算を組みなおさねばならなくなる。 彼らとしても訴え出る民の声を聞きたいとは思っているのだろうが、忙しすぎてなかなか細かい所まで目を配ることが出来ないのだ。 それを村民たちも分かっている。頭で理解はしていても、訴えなければ現状は変わらない。 このままでは民どころか村がひとつ、またひとつと無くなってしまう。 それでなくても「今日はあの村が潰れたらしい」「村長も逃げたとかで村には人が誰もいねえんだと」と言った暗い噂話ばかりが伝わって来ては、本音はどうあれ他国へと逃げ出そうと考える者が居てもおかしくはないのだから。

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