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「?」 何を踏んだ?と首を傾げながら眼下に視線を向けて初めて、一人の男性がうつ伏せになった状態で倒れていることに気が付いた。その見覚えのある髪型と寝衣に嫌な予感を隠せなかった珂鶆は、ゆっくりと男性に近づいて初めて「あっ」と小さく声を上げたのである。 「姉ちゃんの旦那さん?」 嗚呼。駄目だったのか。 間に合わなかったという現実が引き寄せた暗い感情を引き摺りながら、男性を踏まないようにと足を進めて初めて卓の上に散らばった食器を見た。 卓の下にうつ伏せの状態で寝ている影に気づく。背を向けて寝ている恰幅の良い男には特に目立った傷は見当たらない。けれど床に伸びた赤黒い血が全てを表しているようで。 珂鶆は念のためにと懐から借りた小刀を取り出すと男の頭を軽く突いた。 頭、背中、腕と順番に突いてみるも特に反応は返って来ない。 動物の皮らしき物を纏っているところを見ると恐らく夜盗だろう。 「すでに死んでる・・?」 そう思いながら何度も突いてみるが動く気配はなく、微動だにしないその様子に、珂鶆は沸々と沸きあがり漏れ出した感情をそのままに、手にしていた小刀でその男の首をぐさりと貫いた。突き刺した刃の先は固く、数回突き刺すたびに患部からどろりと赤黒い血が漏れては落ちていく。 「・・・・・・・・・」 どれだけ刺したとしても、それで怒りが治まるとも思えない。 「・・・・・・・・・・」 覆い隠すほの暗い影が珂鶆の心の臓を抉ろうと攻め立ててくる。 「・・・・・・・・・・」 珂鶆は赤に塗れた短刀を一度見つめ、暫くの間黙して見ていたが、やがて投げるように床に捨てた。 からんと乾いた音が床へと伝う。それはまるで感情に蓋をするかのように。 底が冷えるような冷たいまなざしを夜盗の男に向けたまま、彼はただぼんやりとした眼で瞬きを繰り返した。 「・・・・・・・・・」 そうして扉近くで倒れている姉の夫の亡骸にも視線を向け、ズキリと痛む胸と沸々と沸く怒りを交互に抑えながら、隣の部屋へ行くことにしたのである。 「・・・・・・・・・・」 僅かに軋む床をゆっくりと音を立てないように歩く。 この家の部屋は三つ。寝室代わりに使っている部屋と、食事をする部屋だ。 風呂や厠は外にあるから、もう一つは恐らく客間だろう。 そんな事を考えながら寝室へと移った彼は、壊されたその惨状に、若干の痛みを覚えつつも、牀の隣の卓に何かが重ね置かれていることに気が付いた。 「なんだ?」 ゆっくりと近づいてみる。 そうして重ね置かれている品の正体が何であるのか気づいた瞬間、 「ちっくしょう・・・」 と、無意識に呟きながら拳で壁を叩いていた。 そう、全ては無意識だった。ガツンと何度も拳で壁をえぐるように叩いても眼前の光景に変化などあるわけもない。 胸が痛い。深く抉られたように鼻の奥がツンとする。 珂鶆が手にしたもの。それは、編みかけの小さな帽子だった。 「・・・・・・っ・・・」 この部屋で穏やかに微笑みながら帽子を編む姉の姿が、一瞬だけ見えた気がした。 「・・・・・ぐっ・・う・・・ぅ・・」 どれだけ手のひらで拭おうにも、一度あふれ出した涙は止まりそうもない。 どうにかして嗚咽を漏らすまいと自身の腕に強く噛みついた。 ギリリと強く噛む度に、今までの光景が鮮明に蘇ってくる。 「・・・・・・・・ぐぅっ・・・」 どれほどの間、そうしていたのか。彼はぼんやりとした思考を引き摺るようにふと部屋を見渡した。 「・・・・・・行かないと」 本当はその場に残っていたい。けれどここへ来る道すがら、別の家の中から男の声がしていたことを思い出し、再度、夜盗が来る前にと寝室の中で姉の遺品をいくつか手に取り、家の中で袋を見つけると運べる限りの品を袋に入れて家を出ることにしたのだった。 これらの遺品は夜盗にとっては何の価値も無いものだ。だが、家族である珂鶆にとっては全てが大切で、去る事さえも惜しい。後ろ髪を引かれながら家を後にして、闇に紛れるように家と家の隙間を通りながら来た道を戻って行く。 途中、笑いながら去っていく夜盗らしき男の影を何度も目撃しながら、一瞬、置いてきた馬を案じたが、誰も分からなそうな木の側に繋いできた為、大丈夫だろうと判断し、そのままゆっくりと家の隙間を抜けて通ることにしたのである。

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