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第3話

 どこかから歌声が聞こえる。  ♪One little, two little, three little Indians♪  ――聞いたことがある歌。なんだっけ?  ♪Four little, five little, six little Indians♪  ――これは、確かマザーグースの……10人のインディアンだ。最初の英語の授業で習った歌。  ♪Ten little Indian boys♪  ――やっぱり、正解だ。  歌は、なおも続く。  ♪Ten little, nine little, eight little Indians♪  ――あれ? 2番か?  ♪Seven little, six little, five little Indians♪  ――え? 2番は一人ずつ減っていくんだ……え、減っていく?  ♪Four little, three little, two little Indians♪  ――じゃあ、最後は……  ♪One little Indian boy♪  この歌は有名な推理小説のもとになったはず。  原曲は、もっとおどろおどろしいものだ。  ♪10人のインディアンの男の子 食事に出かけた   1人が咽喉を詰まらせて 9人が残った   9人のインディアンの男の子 夜更かしをした   1人が朝寝坊をして 8人が残った   8人のインディアンの男の子 デヴォンに旅した   1人がそこにとどまり 7人が残った   7人のインディアンの男の子 薪を割った   1人が真っ二つになって 6人が残った   6人のインディアンの男の子 蜂の巣で遊んだ   1人が蜂に刺されて 5人が残った   5人のインディアンの男の子 訴訟を起こした   1人が裁判所にいって 4人が残った   4人のインディアンの男の子 海に出かけた   1人がニシンに飲まれ 3人が残った   3人のインディアンの男の子 動物園にいった   1人が熊に抱きつかれ 2人が残った   2人のインディアンの男の子 日光浴をした   1人が熱で焦げて 1人が残った   1人のインディアンの男の子 1人ぽっちになった   そして自分で首をくくって 誰もいなくなった♪  インディオに昔から伝わるトラブル解消のおまじない人形。  1体、1体減っていくのが、この歌と妙に重なる。  健の言葉がよみがえる。 『願い事叶えるのは6体だけなんだって。願い事を叶えてもらった報酬に、最後の1体は逆にこっちが願い事をきかないといけないらしい』  ――最後の1体になった時、どんな願い事を聞かされるんだろう? そうだ、あの人形は神社に納めてもう手元にない。その後、バイトに行って……  男に襲われたことを思い出し、勢いよく起き上がる。 「あれ?」  自分の部屋だった。いつの間にか、ベッドに寝ていたようだ。今までのことは夢?と思ったが、手首の痣がそうでないことを物語っていた。 「気付いたか?」  三好が顔を出した。 「なんで、店長が?」 「お前な、店にカバンを忘れていっただろ? 戻ってくるかと思ったら戻って来ねーし、携帯に電話してもカバンの中だし。森本に届けさせようとしたけど、あいつ即行でバイトあがって連絡つかないから、俺が届けにきてやったんだよ。そしたら変なヤツに襲われてるところだったから」  三好は一息で言うと、心配そうに顔を覗き込んできた。「顔、近っ!」と意識した途端、忘れていた胸の高鳴りが再燃する。密室に二人っきり。知らない男に襲われて恐怖におののくところなのに、不謹慎にも心の中によくわからない甘酸っぱい感情が広がる。 「大丈夫か? お前、その……襲われる心当たりあるの?」  急に現実に引き戻される。  自分は平凡な人間だし、誰かに恨みをかうなんてことはないはず。 「ええ? そんなことはないです」 「相手、ガムテ持ってたし、明らかに計画的だろ? 今まで、誰かに後をつけられたことはなかった?」 「後をつけられたことはないけど、ほとんど毎回、マンションの階段で後ろから足音がすることが……でも、住人だと思うし、たまたま同じ生活サイクルなだけで……」 「え? それって完全に後をつけられているだろ? 普通、こんな遅い時間に帰宅が重なることはない。ストーカーされてたんだよ、バカっ!」  考えてもみなかった。  そう言えば、母親からの手紙がやたらと遅く届いたり、郵便物が開封された形跡があることがあった。  風に飛ばされたと気にしていなかったけど、ベランダに干していた下着が無くなったこともあった。それは誰かの仕業だったのだろうか? 「俺、もう帰るけど、しっかり戸締りしとけよ」 「ええっ、店長、帰ってしまうんですかっ!」  あまりにも不安な気持ちが滲み出ていたのだろう。三好は少し逡巡したあと、ボソリと呟いた。 「来るか?」 「え?」 「俺の家にしばらく来るか? お前、変なヤツに狙われて不安なんだろ?」 「行きますっ! 是非、お世話になります」    迷わず即答すると、三好は呆れたように笑った。引き込まれそうな魅力的な笑顔。  初めてみる表情に、またもや、ドクドクと胸が高鳴る。  楓は慌てて三好から目を逸らすと、手早く荷物をまとめた。  三好のマンションは、少し離れたところにあるファミリー向けのものだった。 「この部屋、自由に使っていいよ。布団はこれな。カギも渡しておく。絶対に無くすなよっ! 俺はもう寝る。お前のせいで疲れた」  以前なら傷ついていた乱暴な口調も、今は根底にある優しさを知っているせいか、少しも気にならない。言いたいことを遠慮なく口にすることで、逆に楓を気遣ってくれているのがわかる。不器用な優しさだ。  あんなにも苦手でそばに寄るのも嫌だったのに、気付くと頭の中は三好の事ばかり。  もっと知りたい、近づきたいという気持ちが止められない。      ◇  ◆  ◇ 「楓、店長と付き合ってるの?」  朝イチの一般教養の授業。  目線は不自然に黒板に向けたまま、健が唐突に言い放った。怒っているようなキツイ口調にドキリとする。 「ええっ? なんで?」 「だって、最近、バイトのあと一緒に帰ってるだろ?」 「俺たち男同士だよ、付き合っているわけないじゃん。それは……」  三好のマンションに転がり込んだ経緯を手短に説明した。秘密にしていたわけではないが、自分からは言い出しにくかった。 「なんで、店長を頼るんだよ。俺の家にくればいいだろ?」 「それは、今説明したように、たまたま店長が助けてくれて、その流れで……って、健は実家だろ? 俺が転がり込んだら家族に迷惑かかるじゃん」 「単身赴任でオヤジもオフクロもいないし全然問題なし。今日から俺の家に来いよ。いつまでも店長のところにいる訳にいかないだろ? それか、店長のところにいたい理由でもあるの?」 「そんなことはないけど……」 「店長に惚れても無駄だよ。結婚間近の彼女いるし。ほんじゃあ、この授業が終わったら荷物を取りに行くよ」  三好に彼女がいる、その事実は楓の胸をヒリヒリと焼き付かせた。そういえば、ペアカップや食器があった。それに、マンションは一人で住むには広すぎる間取りだ。  あんなに格好よくて、優しい人に彼女がいないわけがない。考えるまでもなく、わかることだ。  涙が出そうだった。真っ白なノートを凝視して瞬きをぐっとこらえる。  ――俺、なんでこんなに動揺してるんだろ。  この胸の疼きには覚えがあった。そうだ、失恋したときと同じ痛みだ。  授業が終わると、健に促されるまま、三好のマンションに荷物を取りに行った。  三好は留守だったので、今までのお礼をメモにしたため、カギはドアポストにいれる。  定期テストのため、しばらくバイトは休みにしていた。三好と顔を合わすのは2週間後だ。 「楓、自分の部屋に荷物を取りに戻ったら? テスト勉に必要なもの全部、取りに行こう!」  健は上機嫌で、勝手にどんどん進めていく。  やっぱり、三好に直接会って今までのお礼を言いたい。  閉店時間直前に店に顔を出しに行こうと決心したときだった。 「何でっ? 何で、こんなものがここにあるんだよっ!」  ヘッドボードに見覚えのあるキャラメル箱。  震える手で中を確かめると、人形が3体入っていた。 「もう、嫌だ……、嫌だっ、嫌だっ!」  気付けば、子供のように泣きじゃくっていた。もう、限界だった。  覆いかぶさるように、健がギュッと抱きしめてきた。 「俺の楓には誰も触れさせない」  恐怖でパニックになっている楓の耳には、健の言葉は届かなかった。      ◇  ◆  ◇ 「プルプルプル」  着信音で楓は目覚めた。  あれから、健の家に戻り、夕食もそこそこに早めに床に就いた。  液晶を確認すると、三好からだった。 「店長?」 「こちら救急隊ですが、この電話の持ち主と知り合いですか?」 「え? はい。何かあったのでしょうか?」 「この電話の持ち主が事故にあって、今、緊急手術中です。身元を確認するものを持っていなくて、非常に危険な状態なのでご連絡しました」 「どこの病院ですかっ? すぐに行きます」  楓は飛び起きると、急いで身支度を整えた。  三好の命が危ない。血の気が引き、体がガタガタ震える。  家の中を探すが、健の姿は見当たらない。コンビニでも行っているのだろうか?  転がるように家を出ると、タクシーで三好のいる病院に急いだ。  どうか無事でいて欲しい。このまま会えないなんて嫌だ。 「トラブルドール、お願いだから店長の命を助けて……」  楓は唇を噛みしめながら、何度も呟いた。

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