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第52話

≪ごめん、今日はちょっと寄りたいところがあるんだ≫  休憩時間に梓がスマートフォンを開くと、一時間以上前に怜から返信があったようだった。  コーヒーを片手に短い文章を何度も目で追っていると、通りすがったスタッフに冷やかすように声をかけられる。 「あれ、梓くんどうしたの? ニヤニヤしちゃって~」 「へ……俺ニヤニヤしてました? うわぁ、恥ずかしい」  軽快に笑ってすぐに去っていったので、梓は小さく会釈をしてもう一度怜からのメッセージに目を戻した。  指摘された通り浮つくような感情を梓はしっかり自覚している。返信の内容が今夜は会えないと示していても、そんな顔を無意識にしてしまうほどのものだ。  冬以降も月に二~三度は怜と夕飯を共にしている。桜が散る季節になってもある日常を、もう手放せそうにない。  ありがたいことに少しずつ仕事は軌道に乗り始めていて、それは怜のおかげだと梓は強く感じる日々だ。怜の言葉で確かに奮い立った自分がいる。忙しない毎日は贈りものだ。  さて、どう返事を返そうか。今日は久々に夕方には仕事を終えられる予定で、怜と過ごすチャンスを逃したくはない。  それに梓には、怜の“寄りたいところ”に思い当たるものがあった。 ≪もしかしてそれ、例の人のCDですか? 俺も一緒に行きたいです≫  悩んだ末にそう送り、デニムのポケットにスマートフォンを戻す。  これを読んだら怜はどんな顔をするだろう。慌てる表情が浮かび、今度は自分でも分かるくらいに口角が上がる頬を手のひらで隠す。 「梓くんいたいた」 「あ、お疲れ様です」 「ねぇねぇちょっとこれ見て。このオーディションなんだけどさ、受けてみない? 今までに梓くんがやったことないようなタイプだけど、受かったら幅が広がると思うんだよね」 「これ……ありがとうございます! 受けたいです!」 「はは、やる気いっぱいだね。了解、資料準備しておく」  事務所のスタッフが持ってきてくれたオーディション情報に梓は目を輝かせ、迷う間もなく首を縦に振った。可能性を掴んでいきたい、この手で。  さあもう一仕事だ。天井を仰ぎ一つ深呼吸をしてから、梓は多くの同業者がいるスタジオへと戻った。

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