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第59話
仕事を終えた怜は、大きく伸びをしながらついくたびれた声を漏らす。
今日は一段と利用客が多く、目まぐるしい業務の中で休憩も碌に取れないまま一日が終わった。
「アニキ~お疲れ様っす~……」
「ノリくんお疲れ様。くたくただね」
「う~もはやグロッキーすよぉ……激務すぎ。でも充実感もぱねぇっす」
「うん、分かる」
音楽が生まれる場所に身を置いて、紡ぎ出す人々の力に少しでもなれる事がノリも、そして怜もやはり好きなのだ。
自身のロッカーを閉じ、二十時を指す時計を見て怜はバッグを手に取る。珍しく二日連続で梓と会う約束があった。
昨日はあの後、いつもCDを買った日は食事はどうしているのかと梓が訊いてくれて、簡単にコンビニの軽食で済ますのだと答えると、じゃあそうしようと楽しそうにねだられてしまった。
折角なのにと申し訳なくも思ったけれど、怜のアパートでおにぎりやおつまみ、チューハイを二人で囲む夕飯はあたたかい時間だった。
今日は梓が久しぶりのオフで、是非来てほしいと誘われて初めて梓の自宅にお邪魔することになっている。
「あ、そうだアニキ。俺、昨日見ちゃいましたよ。水くさいじゃないっすか~」
「ん? なにが?」
そろそろ帰ろうとした時だった。疲労した体をロッカーに預けていたノリが、水を得た魚のように突然怜を振り返った。
キラキラとした瞳で口角を上げ、顎に添えられた二本の指が探偵をきどっている。
「昨日加奈と渋谷に行ったんすけど、アニキと梓くんのこと見かけて」
「あ、そうだったの? 声かけてくれたら良かったのに」
「いえ、俺は野暮な事はしない出来る男なんで」
「野暮? なにが?」
ノリの言っている意味がちっとも分からず怜が首を傾げると、それを追いかけるようにきょとんとした顔でノリも首を傾げる。
探偵の顔はすっかり鳴りを潜め、その頭上にクエスチョンマークが浮かび始めた。
「え? 付き合ってるんすよね?」
「誰と誰が?」
「アニキと梓くんが」
「……まさか」
「え……え! だって手繋いでたじゃないっすか!?」
「あー……」
ギクリと肩を跳ねさせ、怜は先ほどのノリを真似るようにロッカーに体を預ける。
それを指摘されてしまえば怜も何と説明すればいいのか分からないのだった。
梓とは手を繋ぐどころか、何なら抱きしめられることだってある。
けれどそれは励ましてもらったり、昨日のように梓を励ます時に限ってだ。
梓の優しさを履き違う事の様で、意識する事自体がどこか憚られた。
それに何より、心地よいとすら思って受け入れている自分がいるのだ。
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