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第64話

「洗い終わったよ。これどうする?」 「そこに置いといてもらえれば。結局洗ってもらっちゃってすみません」 「ううん。あんなに美味しいの食べさせてもらったんだもん、これじゃお礼にもならないよ」 「はは、ありがとうございます」  綺麗に完食してご馳走様と手を合わせ、怜は食器くらい洗わせてほしいと買って出た。  疲れているだろうから平気だと梓は断ったが、どうしてもと食い下がる怜に首を縦に振った。  頑固ですね、と梓に笑われるのを怜は不思議と嫌いじゃなかった。 「じゃあ怜さんこっち。コーヒー飲みましょ。ミルクが二つで砂糖がひとつ、ですよね」 「わ、ありがとう。あれ? 梓くん家ではミルクとか入れたりするんだ?」  ぽんぽんと梓の手がソファを優しくたたいて怜を誘う。隣に腰を下ろし、ミルクピッチャーに注がれたミルクとスティックのシュガーを有り難く頂戴する。  外で食事をする時、食後に二人でコーヒーを飲むことは度々あった。  その時の怜の好みを覚えていてくれた喜びと共に、そう言えばと疑問が浮かび上がった。  梓は決まってブラックで飲むのだ。  そんな梓でも専用の砂糖などを常備しているものなのだなと思ったのだが、カップの中でくるくるとスプーンを回す怜の手元を見ながら梓は何でもないことのように答える。 「いえ、俺は家でもブラックですよ。これは怜さん用に買ってきました」 「僕、用?」 「はい。俺使わないし、他に誰かが来て飲むわけでもないし。怜さんがまた来て使ってくれないと減らないんで。よろしくお願いします」 「へ……こ、こちらこそ?」 「ふふ、はい」  組んだ膝に頬杖をつきながら、梓は首を傾げてその瞳の中に怜を映す。  梓はとびきり優しい子だけれど、たまに少し強引さを滲ませて我が儘みたいなことを言う。  それが誰かを嗤ったり傷つけるようなものなら非難のしようもあるが、決まって怜を甘やかすような台詞なのだ。  拒む理由も意味もなくて、いつも怜はこくりと頷くだけ。それをくり返して戻れない所まで来てしまったような気が薄々している。 「そうだ。ねぇ怜さん、昨日聴いたんですか?」 「聴いた? えっと、何が?」 「昨日買ったCDですよ。相山梓の」 「あ……うん。もちろん聴いたよ」 「ベッドに入ってから聴くんでしたっけ」 「うん、そう」  何を聞かれたのか分からなかった自身に、怜は静かに驚く。  相山梓の新作を手にしたら、今までの自分は暫くはその事で頭がいっぱいだったはずだ。  昨夜は『早く聴きたいだろうから』と梓に提案され早いうちに解散となり、申し訳なく思いながらもパソコンを介してスマートフォンにCDを取り込んだ。  入浴も翌日の準備も全て済ませ、布団に潜りこんで幸せな約七十分を過ごした。  そのルーティンは確かに怜を元気づけて、日々を彩る大事なエッセンスなのに。  今日は忙しい合間に思い出すのだって、梓の事ではなかったか。

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