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第78話

 あぁもう、疑いようのない梓の声だ。  何故今まで気づかなかったのか不思議なくらい、梓の心地いいあの声が“相山梓”だと告げている。 「この作品で僕が演じるキャラクターの役どころは、河野さん演じる主役の相棒にあたるんですけど」  怜はそろそろと顔を上げ、潤んだ視界に梓を映す。相山梓として、胸を張ってステージに立つ姿を。  怜が知る普段の梓とは少し違い、良く似合うスーツが怜の整った顔立ちやすらりと背の高いスタイルの良さを際立たせている。  何よりまっすぐ前を見据え輝く瞳に胸がつまるほど惹きつけられてしまう。 「オーディションの話をもらった時、どうしてもこの役をやりたくて仕方なくて。必死だったのを思い出します。もちろん、今までも全力だったんですけど。このキャラクターに自分がちょっと重なって、一緒に生きたいって思ったんです」  どんなところが重なったのかと司会者が問い、それは……と言った梓が客席を見上げる。  目が合ったかのような感覚に怜の心臓は大きく跳ねる。  怜を射抜くように、一番後ろまでしっかり届く強い眼差し。なんて眩しいのだろうと怜はついに涙を落とす。 「誰も自分のことなんか気にも留めない、そんな気がしていても、ちゃんと見てくれて、認めてくれる人がいた、ってところですね。河野さん演じるキャラクターが僕が演じるぶっきらぼうな彼を見守っていたんですけど……僕もそうやって見てくれている人がいました。その人がいなかったらここに立てていないかもしれません。それで……って、あんまり上映前に言うとネタバレになっちゃいそうなんでこの話はこの辺で」  おどけて梓がそう言うと、河野や司会者、客席からも可笑しそうに笑う声が上がる。  それから収録時の他のエピソードを話した後、最後に一言と促された梓はマイクを握り直す。 「この作品が多くの人に届いて、少しでもいいので何かの力になるような、優しい居場所を皆さんの心の中に持てたらいいなと思います。傷つくことがあった人、これから先あるかもしれない困難に立ち向かう時にも。そう思える作品に携われた事に感謝します。それではありがとうございました、相山梓でした」  深々と頭を下げる梓に、河野の時と同じ大きな拍手が贈られる。  俺ちょっと泣いちゃった、と河野が涙を拭く仕草を見せ、すごく頑張ってるの隣で見てたからさ……と梓を後押ししている。 「梓くん、ちょーカッコいいっすね」 「うん、うん……」  あたたかく大きな拍手が贈られ、激励の中に立つ梓を見つめたままノリがそう言う。  怜も梓から目が逸らせず、惚けるようにどうにか頷く。すべての感情が梓にだけ働くかのように、体に力が入らない。  あの日、書店で助けてくれて、それ以来よく食事を共にするようになった梓が、ずっと好きで生きる力にすらなっていた声優の相山梓──まさかそんな事がと思うけれど、今目の前に広がる光景が答えだ。  梓が昨夜望んだ“誠実”はその凛と立つ梓の姿そのものだろう。  暫く会わずにいた梓に好きだと言われた事、秘密を明かすと今日ここに導かれた事、好いていた声優・相山梓の姿を目にする瞬間を光が弾けるように梓が連れてきた。  バラバラに鼓動を打っていたはずのものがひとつになったら、怜の胸は震えてばかりだ。  声優陣の挨拶が終わりアニメの上映が始まっても嗚咽を漏らさないように必死だった。  梓や他の声優、スタッフの魂が込められた作品をしっかり目に焼き付けたいのに。  作中の梓が演じるキャラクターが一声発する度にとめどなく涙が溢れて仕方なかった。  あの日と同じだ。  絶望に明け暮れた怜に画面の向こうから届いた相山梓の声。  モノクロの世界にもたらされたその声が再び怜の世界に色をつけたように、今スクリーンから響く梓の、梓の生きるキャラクターの声が怜に齎す。  梓が色づけた怜の世界は、梓によってもっともっと、瑞々しく息づき始める。

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