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ネットアイドル「id」 8

「さすがの南里くんも心が揺さぶられたのかな? 目、真っ赤」 「あ………」  指摘されて頬を触れば涙が流れていた。理玖はそのことに戸惑い、隠したいというように着ていたシャツの袖で乱暴に拭う。 「まあ無理もないわよ。これはね、idが自分自身で初めて書いた詞。そんな言葉だから余計に人の感情を揺さぶるものがある。南里くんはそれを感じ取れる表現者だったことが分かって嬉しいわ」  華笑は子供を褒めるように理玖の頭を撫でれば「よし」と言い仕切り直した。 「レッスン着は持ってきてるわよね?」 「はい…一応」 「それに着替えてスタジオで練習するわよ!」 「早っ!」 「あと何日としか時間がないんだからね! 私のダンスの手本の動画もあとで送りつけるから、練習あるのみ!」  ミュージックビデオ撮影に向けての準備がスタートした。  地下のダンススタジオに戻り理玖はレッスンと同様に更衣室で着替えを済ませ、柔軟をしながらまだタイトルを知らない曲を何度も聴いて世界観を把握する。そして理玖なりの解釈を探す。  絵コンテと華笑の手本に(なら)ってステップを踏み、拍を数えながら1時間弱でおおまかな振りを覚える。 「それじゃあ1番のサビまで音楽流してやってみようか」 「はい、お願いします」  理玖は指定の場所で真っすぐ立って手を天に向けて伸ばすポーズをした。  華笑が音楽を再生し、ピアノの2音目で手を滑らかに下げる。 (1番は…快晴に嫌な気持ち……逃げたい、って思いに駆られる)  サウンドはピアノのみなので静かに恐怖に怯えているように踊る。対面するidが東を見るので、理玖は左に目線と指先を向ける。 (次、Bメロは…手を拡げて風を感じて、大きく深呼吸……だけどこの行動に意味があるのだろうか…)  「そんなの要らない」という歌詞と同時に動きが止まる。「歪んでいるのか」と問う歌詞(ことば)と同時に硬直を解放、サビになってidから太陽を一瞬遮るように走ってidの後ろにつく。 (だけど笑わないと駄目って言われるんだろうな…笑うのすげーしんどいのに……)  idと顔を見合わせて、idの顔を優しく撫でる。 (どうして笑わないといけないんだろうか、なぁ?)  罪悪感に苛まれて、膝をついて落胆し、恥で頭を掻きむしる。  この表現に急によぎったのは、昨日ファミレスで肩がぶつかった人だった。 (ファミレスのあの子も、こんな気持ちだったのかなぁ…)

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