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真夏の逃亡 4
翌日、理玖はあまり眠れないまま朝を迎え、日課である30分ランニングをし、簡単にシャワーを浴びてから出かけた。
崇一から指示された通りに、目的地最寄りの二駅前で降り、駅前のタクシー乗り場に向かう。
3人ほどが並ぶ列の後ろに立つと、理玖は後ろから肩を叩かれた。
「よ」
「イルマさん」
「俺も一緒に乗っていいか?」
「はい、ぜひ」
声をかけてきたマッシュルームヘアの男性は、ダンサーの:IL.MAGIC(イルマジック)だった。理玖たちはイルマさん、イルマと呼んでいる。2人はタクシーを相乗りして現場に向かうことにした。
列の先頭になりすぐにタクシーがやってきて後ろのドアが開いた。
「どちらまで」
「ウエストTOKYOカルチャーセンターまで」
今日のリハーサル会場を運転手に伝えるとすぐに発進した。
「理玖くん、あれからナノハさんとマンツーで経堂のスタジオに通ってんでしょ?」
「そうっす。幼稚園児のバレエレッスンのあとだから、スポーツウェアを着た背ぇ高ノッポは不審者扱いですよ」
「あはははははっ! それきちぃな!」
イルマは想像だけで腹筋がよじれそうになった。理玖は窓を見て、ひとつ大きなあくびをする。
「id には会ってないんでしょ?」
「こーゆー状況っすからね。警戒しすぎるくらいが丁度いいって」
「まぁね。ネットアイドルの信者は熱狂的だし、それが、ねぇ」
イルマはニヤニヤして理玖の肩をつつき揶揄う。
理玖は「ちょっとぉ」と反抗するがイルマはそれすら楽しむ。
「しかし昨日はすごかったよな。トレンド上位独占だったし…人気やべーって思い知ったわ」
イルマは話題を変えた。そして理玖は反抗してた手を引っ込めて、その意見に同調する。
「俺さ、id を初めて見たときマジでビビったもん。こんな華奢で控えめな…顔はいいけどフツーの子じゃん? オーラもないし」
「俺は皆さんの比じゃないっすよ。当時は髪の毛もボッサボサで、声も小さくて」
「あー、そっか。理玖くんはもっと前からだもんね」
赤信号でタクシーが停止すると、理玖の目にふと晴れた夏の空が入ってきた。
「……確かに、傲慢な空に見えますよね」
「ん? 何が?」
「いえ、なんでも……」
「あ、”sky high”ね。俺もそれ初めて知ったもん、highにそんな意味があるなんてね」
「ええ。それくらい彼はネガティブの塊でしたよ」
初めて帆乃と会った瞬間のことを理玖は思い出す。
もう遠い昔のように感じるが、ほんの3ヵ月前の出来事である。
崇一の後ろに隠れて弱々しい声で挨拶をしていた。
そんな子がもうすぐ大きな舞台の中心に立とうとしているなど、誰が想像できただろうか。
「あ、あれ香島さんの車じゃね?」
イルマが前方を指したので理玖も見ると、見覚えのあるミニバンが走行していた。
「本当だ」
ふと看板を見つけ、目的地がもうすぐだとわかった。
「あー……何か緊張してきたっ!」
「理玖くん早すぎ」
武者震いのように体が反応して落ち着かなくなる理玖の背中をイルマは叩いてリラックスを促す。
(帆乃くんも同じように、いや、俺よりも緊張してんだろうな)
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