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真夏の逃亡 12

 休憩後のリハーサル、理玖のオデコには大きめの絆創膏が貼られていた。  午前中に通しリハーサルをした中で様々なセクションからの修正案などが出てくる。  中でもダンサーの位置や照明の変更は微修正が多く、その間帆乃はダンサーたちを見つめていた。  自分の後ろにいるダンサーは全員プロ。しかしその中でもナノハと理玖は特別に魅かれるものを感じる。 「ここに来てまたすんごいことになったわねー…」  横にいた華笑が理玖を見ながら思わずつぶやく。 「ナノちゃんも世界で頂点とった凄いダンサーなんだけど…」  帆乃はその言葉を聞いてナノハに目をやる。  ナノハはステージに立っているだけで絵になる美しさがあった。  見惚れてる帆乃に向けて華笑は微笑むと、帆乃と一緒にナノハを見て話を続ける。 「ナノハはね、日本でトップのバレエカンパニーでプリマドンナを続けてたんだけど、セカンドキャリアを考える時期に差し掛かった時に南里 理玖というダンサーに出会って、彼と一緒に踊り演じたことで引退を決めたの」 「え………」 (ナノハさんと理玖さんって、俺がビデオで見た『眠れる森の美女』だよね……あんなに凄いバレリーナの人が、引退……)  華笑は当時のことを思い返してしまった。 * * *  4年前、ナノハが所属するカンパニーが関東地区のバレエ教室に通う中高生ダンサーを対象にオーディションをした舞台「眠れる森の美女」はクラシック業界内で非常に話題になり、華笑と崇一は招待され千秋楽公演を観劇することになった。  当時のプリンシパル、崎元 ナノハと交流があった華笑は過去にナノハの演じるオーロラ姫は何度も見ていた。  千秋楽の幕が開き、妖精のリラ役はカンパニーの看板ダンサーだったが周りの妖精たちはオーディションで選ばれた学生の、しかも国内で上位の賞を獲った実績あるダンサーばかりだった。 (上手い…けど、やっぱり千秋楽ともなるとここがプロとアマの差よね。歩き方ひとつにしてもスタミナ切れが見え隠れしている)  既にダンサーは引退しインストラクターをしている華笑だが、彼女は微妙な動作も目につくのであった。  そんな中で出てきたオーロラ姫役のナノハはスキル、オーラ、表現、存在感、全てが圧倒的だった。登場と同時に拍手が起こり、キメの度に客席から感嘆の声が漏れる。 「ママ、あのお姫様ステキ」  華笑の近くにいた少女がナノハを指してそう言った。可憐で美しい、正しくプリンセスである。 (ナノちゃん流石ね。リラ役の子もめきめきと成長してるし…1幕は2人で安定させてる感じってとこか)  華笑は次の2幕が待ちきれなくなった。  2幕はオーロラ姫の相手、デジレ王子が出てくる。デジレを演じるのが、華笑がアメリカで出会った友人、南里 奏楽の弟と事前に聞いていたというのも理由のひとつだった。  奏楽とはアメリカのシェアハウスで2年程一緒に暮らし、弟のことはダンスという共通点もあるからだろうか、よく聞かされていた。彼が「南里」という名前で何度も理不尽な目に遭ったことも。 (このカンパニーじゃコネなんか一切通じない。実力主義で本物を私たちに届けてくれる。カンパニー所属のプロを押しのけてデジレ王子に選ばれた奏楽の弟……一体どんなダンサーなのかしら)  2幕が始まると、貴族たちが優雅に現れ、最後にデジレ王子が出てきた。  出てくる、手を広げる、その表情で客は一気に惹きつけられた。拍手の大きさはオーロラ姫と同等か、それ以上か。  すぐに始まったバリエーション、華笑は息をすることを忘れそうになった。  ジャンプの高さ、美しさ、指先までの線、最後の回転(フェッテ)、全てが完璧だった。  その後の演技も王子そのもので、華笑はすっかり世界に入り込んでしまった。  妖精との邂逅、妖精リラとのパ・ド・ドゥ、リラはプロなのに一学生であるアマチュアのデジレ王子に呑まれかけていた。 (ちゃんとした舞台はこれが初めてって……噓でしょ……他のアマチュアと違ってスタミナ切れもない……何なのこの子⁉)  華笑は身体が震えた。  隣にいた崇一はクラシックに興味がなかったのだが王子の踊りと演技に心まで奪われ、前のめりで見ていた。 「あの王子の子、ヤバいよねハナ…」 「ええ……」  2幕が終わり休憩に入ると客は口々にデジレ王子を話題にしていた。デジレ王子はそれほどの衝撃だったという証拠だ。  そして3幕、オーロラ姫とデジレ王子のグラン・パパ・ドゥは千秋楽というのもあってか、全てを注ぎ込まれていることがわかる。主役のオーロラ姫が引き立つが支えるデジレ王子も負けない程に魅せてくる。2人のダンスは今までの妖精たちがお遊戯のように思えるくらい、頭一つ出ている。  スタンディングオベーションで幕は閉じられる。  その後、バックヤードに案内された華笑たちはナノハと面会し、華笑はナノハに労いのハグをした。ナノハは囁くように華笑に告げた。 「見たでしょ? もう私は表現者として限界よ……主役のくせに理玖(デジレ)に何度も呑まれた」  華笑はナノハを再度強く抱きしめる。華笑はそれしかできなかった。 * * *

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