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理玖が泣いた

 理玖が高校2年の7月、奏楽はアメリカの大学に進学してたが夏季休暇で帰国していた。  その日はアルバイトがてら父の経営する会社で雑務を手伝いクタクタになって帰宅をした。  「ただいまー…」と気だるくドアを開けると、母の声が聞こえる。 「どういうことですか⁉ 間違いなく郵送しましたよ! …そんなの……納得できませんわ! そちらが紛失したのであればそちらの落ち度ですよね⁉」  リビングに入ると、普段はとても穏やかで優しい母が荒げた声で電話をしていた。受話器を持つ手は怒りで震えていることがわかる。  周りを見渡すと、床にはテーブルやチェストに飾っていた花や小物が散乱し、小さな花瓶も割れている。そして弟の理玖が制服のまま床に座り込み下を向いて泣いていた。 「ちょっと……何、これ……」 「もしもし! ちょっと…もしもし!」  どうやら電話が切られたらしく母はその場で崩れそうになったので奏楽が駆け寄り母を支えた。母は力なく奏楽を見て「おかえりなさい…」と言う。 「おかえり、じゃないわよ……何でこんなことになってんの…?」 「ああ…ごめんね……すぐに片付けるわ…」 「そんなの後からでいいからっ! 何があったの? 説明して」  奏楽は足元に気を付けながら母をダイニングチェアに座らせ落ち着いてもらう。  母は涙を流して震える声で話す。 「理玖の……バレエコンクールのエントリーが……届いてないって…」 「は? だって応募が始まってからすぐにエントリーシート書いて出したんじゃないの? ビデオも教室で撮ってもらって」 「そうよ…間違いなく出したわ……なのに、今日ね、バレエの先生の所に理玖が応募してないって連絡があったみたいで……おかしいと思って運営に電話したら、理玖のエントリーシートが存在してないって言い張られてね…」  奏楽は理玖の方を見た。  理玖のバッグの近くにバレエコンクールの冊子があり、それを拾って読んだ。エントリーしている人の名前が並んでいるが、何度見ても「南里 理玖」の文字はなかった。 「ごめん、母さん……」  弱々しく理玖が呟いた。  すると母は理玖のそばに寄り添い理玖を抱きしめた。理玖は母に縋り、幼子のように泣き出した。 「ごめんね…理玖……あんなに頑張ってたのにね……ごめんなさいね……」 「母さん…母さん……もう嫌だ……っ! どうして俺は南里なんだよっ! 何で…俺は、ちゃんと見てもらえないんだよ! 俺、ズルしてる…? ほんとは、足のマメ潰れて…痛い……ジャンプ、で…失敗、何度もして、アザもあって……けど、力が、ないのかなぁ? バレエ…やっても、意味ないのかなぁ?」  理玖が自身を否定する言葉を吐き出し始め、奏楽は後ろから抱きしめた。  留学して距離は離れているが、理玖が小さい頃から努力している姿を見ているので、奏楽はそんな理玖の否定する言葉を聞きたくなかった。 「バカッ! そんなこと言うな……馬鹿……」 「姉貴……う……うあぁああぁ!」  これまで、どんなに辛くても苦しくても痛くても泣かなかった理玖が、この日流した涙を、奏楽はずっと忘れることができなかった。

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