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悪い夢
奏楽の車は少しだけ香りがする。
その香りは理玖の実家と同じで、そのせいか理玖の夢見は悪かった。
父は本家 とは距離を取っていたが、どうしても理玖が顔を出さねばならない機会はあった。
慣れないスーツを着せられ、知らない貴族のような人たちに何度も頭を下げる。豪勢な食事は味がわからなかった。幼い頃なら母と姉の袖を掴んで逃げることもできたが、成長するにつれそれが許されなくなる。
最後に本家の顔を見たのは理玖が中2の時だった。
集まりの中には同じ学校に通う生徒や保護者もちらほらと居り、誰一人漏れることなく理玖に愛想を押し付けた。角が立たないよう、疲れた笑顔で返し続けて、父の傍に行くと父のスーツの袖をつまんだ。
「理玖、もう少ししたら帰ろう」
父は申し訳なさそうに理玖の頭を撫でた。
「ねぇ、父さん……俺、どうしても近くの高校じゃなきゃダメかな…?」
もうウンザリしていた。
学校生活でもずっと「南里家」がついてくること、自分でなくその背景に寄ってくる同級生。
だからこそ、理玖の心の拠り所はバレエだった。
理玖が師事する先生とその教室は「理玖の実力と努力」を見てくれる。褒められることより叱られることの方が多いが、それでも理玖にとって心地が良かった。
「そろそろ進路を決める時期か…」
父の呟きに理玖は小さく頷いた。また父は理玖に「申し訳ない」と眉を下げる。
「明日は早く帰るから、しっかり話し合おう」
父の優しい言葉と声に理玖は安心して笑った。その時だった。
「失礼しますわ、南里社長」
中年の女性が猫なで声で父に声をかけてきた。理玖は父に合わせて会釈をする。女性は理玖を見るなり気持ち悪い笑顔を向ける。
「実は私の娘もバレエを習ってましてね、たまたま同じコンクールで南里社長のご子息を拝見しましたの」
理玖は強烈な嫌悪感に襲われる。
真っ赤なベタベタする唇からベラベラと発される定型文のような賞賛に耳が腐りそうになる。
(嫌だ…バレエを……そんな風に……そんな風に、俺を見るなっ!)
理玖はその場から逃げ出した。トイレの個室に籠って、嗚咽を殺し泣いた。
捜しに来てくれた父に支えられ、タクシーに乗って帰宅している車中であった。
「理玖、千葉に学外活動に理解があって支援してくれる高校があるんだ。お前の学力なら十分に合格圏内だと思う。それに、今までとは違う交友関係も築くことができるんじゃないかと…どうだろう?」
父はこうして理玖を導いてくれた。
「俺を…俺自身を……見てくれる人、いる、かなぁ…」
「必ずいるさ。今まで本当に嫌な思いをしたな……悪かった」
そう謝る父に申し訳なさがあって理玖はまた泣いた。
そしていつの間にか父に凭れて眠っていた。
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