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真夏の逃亡 20

「お風呂、先に頂きました」  帆乃は一番最初にお風呂に入らせてもらい、理玖の高校時代のジャージとTシャツに着替えてタオルで髪の毛を拭きながらリビングに入った。  そこでは奏楽がテレビの下のプレイヤーをいじっており、ダイニングテーブルで缶ビールを飲む理玖は不機嫌そうに頬杖をついていた。 「あ、帆乃くーん。あなたに見せたいものがぁ、あるのよぉ」 「へ…? 俺に、ですか?」 「いいよ見せなくて」 「うっさいわねー、あんたは風呂入ってきなさーい!」  酔って上機嫌な奏楽は理玖をリビングから追い出す。理玖は大きな溜息を吐いて奏楽に忠告する。 「絶対絶対、帆乃くんに手ぇ出すなよ!」 「わかってるわよーん。さ、帆乃くん、こっちにいらっしゃい」  帆乃は奏楽に手を繋がれて流れのままに白い革張りのソファに座らされた。奏楽と明人に挟まれて戸惑い緊張してしまう。 「あ、あの……何を……」 「理玖のバレエしてる映像見たことある?」 「え……っと……ちょっとだけ…」 (眠れる森の美女、と…ロミオとジュリエット……あと、公園で…)  そう答えてる間に映像は流れ始めた。英語でアナウンスされており映像は国際大会のものだとすぐ理解した。 「これは高3の時、最後の大会ね。ジゼルって演目よ」 「最後の……」  『眠れる森の美女』とは違い簡素なステージ、派手な照明もスポットライトもない、ダンサーがただ独りで立っているだけ。  エントリーナンバーと名前が呼ばれ、衣装を纏った理玖が袖から出てきて、中央より下手(しもて)の位置についた。  トランペットの堂々とした音楽に乗り、理玖は一気にステージの端から端まで駆けて跳んで、柔らかくも自信に満ち満ちた表情で中央に、回転は理玖の中心に芯が貫いているのではないかと思うくらいに真っ直ぐに、まるで精巧なコマのよう、最後の着地まで帆乃は瞬きができないくらいに魅せられた。  理玖が理玖でないような、『眠れる森の美女』を見た時とはまた違う感覚で胸が高鳴る。 「あ、あの……理玖さん、って……凄いんですね…」 「そうよぉ……そんで、あいつは自分で自分の才能を閉じようとしてるからムカつくのよ」  奏楽は不満げにそう言うとグラスに残ってたワインを一気に飲み干す。明人も「まぁね」と苦笑いをする。  気まずい、と思った帆乃は部屋を見渡してみる。アンティーク調のチェストにはメダルやトロフィーが幾つか飾られており、理玖の栄誉の数と大きさを物語っている。 (華笑さんも言ってた気がする……理玖さんは……) 「理玖さんは、本当は違う世界の人なんですね……」  つい口に出してしまった心の言葉を奏楽と明人はキャッチして帆乃の方を向いた。帆乃は泣いてはいなかったが悲しそうな表情をしている。帆乃自身はそれに気が付いていない。 「そうかもしれないわね」 「ちょっと、奏楽…」  奏楽は否定しなかった。今の帆乃には非情だと思えた明人は奏楽を制そうとするが奏楽は帆乃を見たまま続ける。 「そして今は帆乃くんという大事な人まで見つけてしまって、もう二度と羽ばたかないかもしれなくなってるわ。だからね、帆乃くん…」  奏楽はワイングラスをローテーブルに置いて、帆乃の両肩を軽く掴む。帆乃は必然的に奏楽と目が合う。 「私をがっかりさせないでね。あなたが理玖をこんなとこに留まらせてるのだから」  厳しい言葉だが、それは帆乃の、idへの期待の言葉だと帆乃は理解した。 (今のまま…自分に自信がないままライブをやったら……中途半端なことをやったら、きっと奏楽さんは失望する……俺だけじゃなくて、理玖さんに対しても……それだけは、絶対に…)  帆乃は下がりそうになった眉をキュッとあげて、小さく頷いた。  そうして奏楽がいたずらっぽく笑った時、理玖が風呂から上がってきた。

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