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第6話

 ライの自宅マンションに着いても、希望は黙ったままだった。  エントランスでコンシェルジュが岩のようなチョコを抱えている希望を二度見しそうになっていたが、プロとしてのプライドか、必死に平静を装い、耐えていた。    部屋に入ると希望はそのままキッチンへ向かっていく。  ライはリビングのソファに座った。ライの家は広いが、二人だけしかいないので、キッチンで希望ががたがた、ごそごそ、と動く気配は嫌でも感じ取れた。    ザゴッ! ザゴッ! ……ガッ、ガッ! バキッ!  ……ザクザクザク……ザゴッ! ザァゴッ!    しばらくリビングで待っていると、低く、不穏な音が響いてきてライは立ち上がった。      キッチンを覗いてみると、希望が包丁で岩を削っていた。  削る度にふわり、と甘い香りがして、ああ、そういえばこの岩、チョコだったとライは思い出す。    ザゴッ! ザゴッ! と豪快に削り、薄くなったところに刃を立てて、バキッと叩き割る。割れた破片は細かく切り刻む。細かくなったチョコは大きい鍋に移されていく。そして、また塊を削る。  一連の希望の行動を眺めていて、先程の不穏な音はこれかとライは納得した。    納得して、今度は希望へ視線を向ける。  いつもなら、キッチンでは鼻歌を歌いながら、あるいは歌を歌いながら、踊るように跳ね回り、楽しそうに作業している希望が、真顔で岩(のようなチョコ)を削り、叩き割り、切り刻み、不穏な音を響かせていた。  ライの視線にも気づいているだろうに、頑なにライを見ようとしないのも珍しい。      ……やべえ、すげえおもしろい。      しばらく珍しい希望を観察していたが、ライはリビングに戻った。  再びソファに座って、希望の次の行動を待つ。  その間も絶え間なく、音が響いている。  時々、チョコがうまく割れなかったのか、ガンッ! ガンッ! と苛立たしげに叩き割ろうとする音も混じっていた。    少しすると、チョコの甘い香りが強くなっていく。すべてのチョコを細かくして、ようやく溶かし始めたのかもしれない。      ……なんか、わくわくしてきた。      チョコのほろ苦く甘ったるい香りはライにとって不快なものだ。  けれど、今のライは好奇心が勝っていた。            アキや優が「怒らないであげて」と懇願していたが、ライは怒ってなどいなかった。  むしろ、その逆だった。    ライはそもそも、希望が望むならチョコのひとつやふたつ、十や二十、買ってやっても構わなかったのだ。  バレンタインだからだとか、そんなことライには関係ない。普段から希望の望むもの、望んでいなくても好みそうなものや似合いそうなものがあれば買い与えていた。  それと同じだ。  高価な物や希少な物を突然与えられて、喜びながらも「ど、どうしておれがほしいもの知ってるの? 何も言ってないのに……こ、こわい……」と内心怯えている希望を見るのがライは好きだ。  バレンタインだからといって、拒む理由がライにはなかった。    それでも今日までチョコを買わずにいたのは、希望の強請り方が回りくどくて煩わしかったからだ。    いつものように素直に、率直に、ただチョコを買ってほしいと言えばいいのに、「このチョコは美味しい」とか「あのチョコがかわいい」とか、そんなどうでもいい情報を必死にライに伝えようとしていた。実に回りくどい。    鬱陶しいので無視していたら、ようやく先日「チョコください!」と面と向かって訴えてきた。  やっと素直になったと思ったが、次の瞬間、何故か希望が自作したらしい紙の束を押しつけられた。 『おすすめ♡おれの大好きなバレンタインチョコ☆ブランド別紹介ブック』と題された冊子は目に痛いほどカラフルだった。    なんの冗談かと思ったが、希望の目は真剣だ。最近夜中にこそこそと起きていたのはこれだったのかとライは気づいた。  ライには希望が理解できなかった。    欲しいものを素直に強請れない性格じゃあるまいし、何故バレンタインとなるとこうなってしまうのか。バレンタインでチョコほしいと言うと死ぬ呪いでもかかっているのか。    ライは意味が分からず、つい反射的に希望の自信作の紙の束を燃やしてしまった。          その日から希望は大人しくなったので、諦めたのかと思いきや、今はこの状況である。  ここまでくると、希望が次に何をしでかすのか、ライは楽しみですらあった。    正直なところ、事務所に迎えに行った時に、希望が岩を抱えていた姿でもうすでに相当面白かった。その岩が岩ではなく、チョコだと気づいた時はいっそ感心してしまった。    どうせライの家に来るのだから、一〇㎏もあるチョコなどライの家を届け先に指定すればいいものを、あえて事務所で受け取ったあたりに希望の本気を感じる。『ライさんに邪魔はさせないぞ』という強い意志を感じた。  チョコの形状だって、どうせ削ったり細かくしたりと手間をかけるくらいなら、元から溶かしやすい形状のものがいくらでもあったはずだろう。なぜそんな使いにくそうな岩を選んだのかと考えると、おそらくライへの当て付けに違いない。面白すぎる。    一見血迷ったようにも見えるが、実際の希望の行動は冷静かつ賢明だ。何が何でも目的を達成してやる、という気位の高さと執念深さが希望にはある。    ライにはそれが好ましかった。

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