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4-07-1 ジュンと片桐先生(1)

9月も半ばを過ぎたある日の放課後。 僕は、下校しようと靴を履き替えていると、ジュンに引き留められた。 「めぐむ、ちょっといいかな?」 「いいけど、ジュン、今日は、部活いかないの?」 「うん。ちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだ……」 「いいよ」 僕達は、中庭の花壇の縁に座った。 ジュンは、さっきから黙ったままだ。 相談ってなんだろう。 ジュンは思い詰めた顔をしている。 しばらくして、ようやく口を開いた。 「ねぇ、めぐむ、相談なんだけど……」 「うん」 「片桐先生の事なんだ」 片桐先生。 僕は、ふと、夏休みに保健室で見た、片桐先生とジュンの愛の営みを思い浮かべる。 あんなに、ラブラブなんだ。 悩みなんてあるのかな。 「その……あのカッコいい格好。あれから、一度もしてくれないんだ」 「あの格好って、あのセクシーな?」 ジュンは、無言で頷く。 片桐先生には秘密がある。 それは、僕達がまだ1年生の時の事だ。 僕とジュンは、音楽準備室の怪事件を追って、片桐先生の秘密の姿を見てしまったのだ。 それは、普通の女装ではない、ボンテージファッションの片桐先生。 SMの女王様……。 それ以来、ジュンは、片桐先生のその姿の虜になってしまったのだ。 「めぐむ、どうしてだと思う? ボクには見せる価値も無いって事なのかな? 先生にとってボクって、どうでも良い存在なのかな?」 ジュンは、今にも、泣き出しそうな顔つきになっている。 僕は慌ててフォローを入れる。 「そっ、そんな事、ある訳無いよ! ちゃんとお願いはしてみたの?」 「うん。お願いしても、また今度な、って言うんだ」 「きっと、恥ずかしいんだよ。うん」 「そうかなぁ……」 僕は、家に帰る道すがら、ジュンの相談の事を考えていた。 きっと、恥ずかしいんだよ。 確かに僕はそう言った。 でも、本当だろうか? 二人付き合いだして、だいぶ経つはずだ。 今さら、恥ずかしいなんて事あるのだろうか? 一度は見られているのに……。 でも、大人の男の人の気持ちは違うのかも。 ジュンにとっては一大事のはず。 思い過ごしならいいけど、万一の自体も考えられる。 片桐先生にとって、ジュンはかけがえのないパートナー。 そうあってほしい。 でも、遊びでは無いにしても、心から許す程でも無い。 そんな風に思っているとしたら……。 ジュンが可哀想だ。 あんなに、健気で一生懸命なのに。 ああ、誰かに相談したい。 大人の男の人。 真っ先に思い浮かんだのは、山城先生。 でも、片桐先生とは同僚だから、万が一にもバレると大ごとになりかねない。 そうすると、学校とは関係の無い人……。 僕は、ある人物を頭に思い浮かべていた。 そう、雅樹のお兄さん。拓海さんだ。 拓海さんからは、「相談? いいぜ」と快諾を得た。 待ち合わせの場所は、美映留中央駅のカフェ。 時間は、夕方。 だから、僕はのんびりとムーランルージュに足を運んだ。 夕方のムーランルージュは開店前でとても忙しい。 マネージャーのユミさんの指示で開店準備が慌ただしく行われる。 僕は、その中で邪魔にならないように、そっと着替えを始めた。 間もなく、アキさんがスタッフルームに顔を出した。 「みんな! おはよう!」 「おはようございます!」 僕も、挨拶をする。 「アキさん、おはようございます!」 「あら、めぐむ、おはよう!」 そうだ! アキさんに大人の意見を貰えれば。 「アキさん、そのちょっとだけご相談が……」 「ごめんね、めぐむ。今は忙しいの」 アキさんはごめんなさいの手つきをする。 「そうですか。すみません……」 その時、ユミさんの声が聞こえた。 「店長、今日のシフト、全然人が足りていません。大丈夫でしょうか?」 「どれどれ?」 アキさんは、ユミさんのパソコンを覗き込む。 「まずいわね。やっぱり、チカの長期休みの穴が大きいわね。あーあ、めぐむがシフトに入ってくれたらなぁ」 「あの、僕、手伝いましょうか?」 「うそ、うそ。冗談よ。うふふ。あっ、相談はいつにしようか?」 「あっ、いいんです。全然、大丈夫です」 「そう?」 僕は、お辞儀をすると、着替えに戻る。 「それで、店長、カオルさんなんですが……」 横目でアキさんを見ると、とても忙しそうだ。 なるべく邪魔しないようにしなきゃ。 僕は、ささっと支度をすると、ムーランルージュを出た。 僕がカフェに入ると、拓海さんは既にコーヒーを飲んでいた。 僕は、テーブルに着くとお辞儀をする。 「よう! めぐむ、久しぶりだな!」 「お久しぶりです。拓海さん」 「相談の前に、ちょっと、会わせたい人がいるんだよ」 「会わせたい人?」 「ほら、ちょうど来た」 拓海さんは、入り口を指さす。 男の人。 ラフな黒いシャツにレザーのスキニーパンツ。 旅行鞄を携えている。 その男の人は、店内を見回すと、真っすぐにこちらに向かってきた。 「おう、拓海! あれ? この女、誰だ?」 「よう、宗近。まぁ、座れよ」 その男の人は、釈然としない表情で、拓海さんの横に座った。 拓海さんは、オホンと咳払いをして、僕を差す。 「宗近、こっちは、青山 めぐむ」 僕は、お辞儀をする。 「俺の初めての男だ!」 「あーー! 拓海さんの弟さんとお付き合いさせていただいています!」 僕は、慌てて拓海さんの変な紹介を誤魔化す。 そして、拓海さんを睨みながら言った。 「もう、どんな紹介の仕方するの!」 「別にいいだろ? 本当なのだから……」 一体、何を言い出すかと思えば……。 その男の人は、頭をコクリと下げる。 「よろしく」 拓海さんは、今度は、その男の人を指さす。 「めぐむ、こっち俺の彼女、いや彼氏の、河井 宗近(かわい むねちか)」 「おっ、おい、誰が彼氏だ! 拓海!」 「なんでだ? 宗近は、俺と付き合っているだろ?」 「いいんだよ! 余計な事は言わないで!」 僕は、二人のやり取りをあっけに取られた。 その男の人、宗近さんは、僕の視線に気づいて言った。 「あっ、オレは拓海の友達です。よろしく」 「よろしくお願いします」 僕はお辞儀をした。 宗近さんは、あれ? っという表情をする。 「君どっかで会ったことある?」 「いえ、無いと思います」 「そっかな、まぁいいか……」 僕は、改めて、宗近さん見る。 黒髪のショートボブで、目鼻立ちが整っている綺麗な顔。 目は切れ長で、瞳の色は深くて吸いこまれそう。 体つきは、線が細くて、すらっとしている。 手足が長くて、指も細い。 いわゆるモデル体型。 服装も、モデルさんのようだ。 トップス、ボトムスの他、ネックレス、腕時計、靴に至るすべてが洗練されている。 正直、憧れてしまう。 拓海さんは話し始める。 「でな、今日はめぐむに相談に乗って欲しいって依頼が有ってな。で、ついでに、宗近を紹介したかったんだよ。めぐむは身内みたいなものだからさ」 身内だなんて、照れてる。 宗近さんは、驚いて声を上げる。 「ちょ、ちょっといきなり身内に紹介かよ。拓海! 心の準備ってものがあるだろ! それなら、先に言えよ!」 「ははは、お前らしくも無い。いいんだよ、いつものお前で」 「いっ、いつもの俺って言ったってよぉ、ちぇ」 「めぐむ、というわけで俺達は恋人同士な訳。だから、宗近と仲良くしてな」 拓海さんはそう言って、宗近さんの肩を組む。 宗近さんは大袈裟に嫌がる素振りを見せるが、拓海さんは全くお構い無し。 「おい、拓海! どさくさに紛れて、胸元に手を突っ込んで来るなよ」 「あっと、ごめん。いつものクセでな。つい……」 「お前、いつものクセとか言うな!」 宗近さんは、言葉使いは荒いけど、拓海さんにべた惚れなんだ。 だって、重ねた手を自然と握っちゃっている。 ふふふ、気がついてないみたい。 拓海さんは時計を見ながら言った。 「めぐむ、悪いな。俺達この後、旅行に行く事になっているんだ。だから、早速、相談とやらを初めてくれ」 「オレ、席を外すか?」 「あっ、宗近さん。大丈夫です。せっかくなので一緒に聞いてもらえると嬉しいです」 僕は、話し始めた。 「僕の友達の事なんです。その友達は、年上の彼と付き合っているのですが……」 先生の趣味については、『歌』ということにした。 まず、彼は、歌がとても上手であること。 そして、一度彼の歌を聞かせてもらってから、二度と歌ってくれなくなってしまったこと。 友達は、彼に大事に思われていないのでは? と不安がっていること。 僕は、そこまで話して、「大人の男の人でも、恥ずかしいとか思うのでしょうか?」と付け加えた。 拓海さんは、腕を組んでしばらく考えていた。 そして、口を開いた。 「大事にされているかどうか、と言われると難しいな。ところで、そいつは歌を歌う事は好きなのか?」 「はい。大好きですね」 「じゃあ、恥ずかしいってのはないな。一度聞かせた相手だったら、また歌を聞かせたくなるだろう。どうだ、俺の歌は上手いだろう?って」 やっぱり。 僕も同じ意見。 得意な事は見せびらかしたくなるものだ。 大人だって同じなんだ。 拓海さんは言った。 「たぶん、もったいぶっているんじゃないか?」 「もったいぶる?」 「ああ、簡単には歌ってやらない。ご褒美に歌ってやろうってなわけさ」 「うーん」 「分かりやすく言うと……おい、宗近! 俺のペニスをその口でしゃぶって奏でてみろよ。上手く出来たら、歌ってやるからさ、みたいな。ははは」 「おい、拓海! てめぇ、ふざけるな!」 大人しく聞いていた宗近さんは、拓海さんに掴みかかる。 「いてて! 例えばだよ、例えばだって……」 「全く、めぐむは真面目に相談してんだ。ちゃんと答えろよ、まったく!」 ふふふ。 本当に、二人ともアツアツなんだから。 宗近さんは、片手をスッと上げて言った。 「ちと、口出していいか?」 「はい、どうぞ、宗近さん」 「オレが思うに、一緒に歌いたいんじゃないかな、そいつ。ほら、デュエットってやつ。でも、誘う勇気がない」 なるほど……。 それは盲点だった。 自分だけでは物足りない。 ジュンを誘いたい。 一緒にコスプレしたい。 いや、根底には、好きな人と同じ事をしたい、同じ道を歩きたい。 そういう純粋な思い。 きっと、そういうことなんだ。 だけど、さすがにあのセクシーなコスプレは、ジュンは嫌がるかも知れない。 だから、言い出せない。 間違いない。 僕は、確信した。 「宗近さん、すごいです!」 腕組みして聞いていた拓海さんも、うんうんと頷く。 「さすが、宗近。こいつ、仕事がら人の相談に乗るの得意なんだよ」 「ははは、まぁ、オレは、これぐらしか取り柄ないからな」 宗近さんは、照れて顔を赤らめる。 そうだとして、じゃあ、どうしたら解決できるだろう。 それが知りたい。 僕は、宗近さんに質問する。 「宗近さん。きっと、それです。でも、だとしたら、どうしたら勇気を出して貰えるでしょうか?」 「それは、難しいな。誰かが後押し出来れば早いんだけどな」 「後押しですか……」 出来るとしたら、思いつくのは同僚の山城先生。 でも、流石に頼めるわけがない。 ふぅ……。 まぁ、片桐先生の気持ちが分かっただけでも、大きな収穫だった。 僕は、二人にお礼を言った。 「それにしても、宗近さんはどんなお仕事をされているのですか?」 僕は、帰り際に質問した。 宗近さんは、一瞬困った顔をする。 そして、拓海さんにアイコンタクトを送った。 拓海さんは咳払いをした。 「まぁな。秘密だ。いずれ、教えるよ」

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