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4-07-2 ジュンと片桐先生(2)
拓海さん、宗近さんと別れて、ムーランルージュに戻ってきた。
僕は溜息をつく。
せっかく、片桐先生の真意がつかめたのに、後一歩及ばない。
山城先生に、それとなく相談してみようか。
いや、やっぱりまずい。
でも、山城先生しかいないし……。
そんな風に思考をループさせながら、ロッカールームへ入った。
さあ、女装を解こうか、と思っていると、スタッフルームからガヤガヤと声が聞こえるのに気が付いた。
あれ?
今日は、なにやら騒がしいなぁ。
僕は、不審に思い、スタッフルームに顔を出す。
すると、アキさんが声を張り上げて電話をしている姿が見えた。
「えっ、体調崩しちゃったの? うんうん、分かったわ。大丈夫。気にしないで、ちゃんと寝てなさい。いいわね」
マネージャーのユミさんが、心配そうにアキさんを見る。
「店長、カオルさん、お休みですか?」
「ええ。熱あるって。風邪みたい。そういえば、カオルって一人暮らしだったかな? 大丈夫かしら……」
「たしか、カオルさんは彼氏さんと同棲しているはずです」
「そっか……なら安心ね。それにしても……」
アキさんは、ため息をつく。
ユミさんにも、ため息が移る。
「こんな時って重なりますよね。せめて、チカさん、明日から休みだったら良かったのに……」
ユミさんは、パソコンをカタカタ打ちながら困った顔をしている。
アキさんはユミさんの肩に手を掛ける。
「まぁ、仕方無いわよ。頑張りましょう!」
何やら、ただならぬ雰囲気。
今晩のシフトの調整が上手くいっていないようだ。
僕が、ムーランルージュにお邪魔させてもらって以来、こんなことは一度もなかった。
その時、ホールからスタッフさんの声。
「マネージャー、お客様がご来店です!」
「わかったわ、ちょっと待ってもらって!」
ユミさんは、慌ててシフト状態を確認している。
「ああ、こんな時に限って、お客さん多いし……」
アキさんは、憔悴しきっている。
僕はぎゅっと拳を握る。
よし!
僕は、アキさんの前に立つ。
「あれ、めぐむ。帰ってたの?」
アキさんの笑顔は、弱々しい。
「あの、アキさん。僕、お手伝いできないでしょうか?」
「えっ?」
アキさんは驚きの顔をする。
僕の決心は固い。
アキさんの為に何でもいいからしたい。
すこしでも、アキさんの役に立ちたい。
「めぐむ、嬉しいけど……めぐむにキャストをやらせるなんて……」
「アキさん、さっき、言っていたじゃないですか! 僕がシフト入ったらいいなって!」
「そうは言ったけど……あれは冗談だから……」
アキさんは、困惑した表情だ。
きっと、経営者としてのアキさんと、保護者としてのアキさんがせめぎ合っているんだ。
ユミさんが手を叩いた。
「店長、この際、めぐむ君にお願いしましょう! この時間帯さえ乗り切れば、何とかいけます!」
僕は、アキさんの手を取る。
「アキさん、お願いします。僕にやらせてください! 僕に務まるか分かりませんが、日頃の恩返しをさせて頂けないでしょうか?」
「めぐむ……」
アキさんは、目に涙を溜めている。
そして、僕の手をギュっと握り返して言った。
「ありがとう、めぐむ!」
僕の支度が急ピッチに行われる。
メイクは、アキさんが直々にしてくれた。
大人カワイイ、でもどことなくギャルっぽい、遊んでいる風の女性像。
手足の爪も綺麗にして、イヤリングにネックレス。
背中の空いた真っ赤なワンピースのミニドレス。
足には白のストッキング、そして透明なハイヒールミュール。
鏡に映る自分を見て、あぁ、これは、もうキャストさんそのものだ。もう、自分じゃないと思った。
アキさんは、僕の姿を見てにっこりとする。
「ああ、やっぱり、良いわ。とっても綺麗よ、めぐむ」
「そっ、そうですか? 恥ずかしいです」
僕は、照れながらも、いくぶんか元気な表情が戻ったアキさんを見て嬉しくなった。
「さすが、アキさんのいとこさんだけあります。めぐむ君とっても良いです。店長、行けますよ! これなら」
ユミさんは、ガッツポーズをした。
アキさんは、「さてと、じゃあ、簡単に教えるわね」と言うと、キャストのイロハを説明し始めた。
「分かった? 要は、『おもてなし』 おもてなしの気持ちを忘れないで。あと、めぐむは、ヘルプだから、場つなぎだけでいいからね」
「はい。わかりました。おもてなしですね」
僕は復唱した。
アキさんは、それでもまだ僕がホールに立つのが心配らしい。
「めぐむ、いいわね? お客さんに何かされそうになったら、直ぐに人呼んでね」
「はい。分かりました」
準備が整うと、ユミさんの指示が入る。
「じゃあ、めぐむ君。さっそく、3番テーブル入って!」
「はい!」
僕は、おしとやかにテーブルに向かう。
すぐに歩き難さに気づく。
こんな高いヒールの靴は初めて。
転ばないようにしなきゃ。
それにしても……。
あぁ、ドキドキする。
知らない男の人と話をしなきゃいけないなんて。
でも、そうだ!
向こうは、僕が男だって知っているんだ。
だから、変に気負うことはない。
いつもの僕のままで接すればいい。
そう思うと、すこし気が楽になった。
テーブルに着くと、そこには、会社帰りのスーツ姿の男性がいた。
僕の顔を見るなり、「あれ? 君は、新人の子?」と言った。
常連さんなのかな?
そうだ、自己紹介しなきゃ。
「はっ、はい、めぐみと言います。よろしくお願いします!」
僕は、すこし大袈裟にお辞儀をする。
「初々しくて、かわいいね。さぁ、座って」
お客さんは、にっこりと笑う。
ふぅ。
よかった、優しそうな人だ。
そうだ、おもてなし、忘れないようにしなきゃ。
僕は満面の笑みを作る。
「ありがとうございます!」
僕はヘルプだから、ユミさんの指示にしたがって、テーブルからテーブルへ移動する。
ご指名のキャストさんが来るまでの間、お客さんの相手をすればいいのだ。
自己紹介して、お酒を作って、後はお客さんの話を、うんうんと聞いてあげる。
いくつかのテーブルを回るうちに、だんだん慣れてきた。
キャストさんって、いやらしいことをされてしまう、なんて怖さがあったけど、そんなことは全然ない。
逆に、新人の僕を楽しませようとしてくれるお客さんもいる。
こうやって、知らない人とコミュニケーションを取るってすごく新鮮。
アキさんのお店、ムーランルージュって、すごく素敵なお店なんだ。
僕は、改めてアキさんのすごさを知って尊敬の念を厚くした。
「それでね、うちの会社って子供参観ってあるんだ。会社に子供が見に来るの。ははは。面白いだろう?」
「えーっ。すごいですね。面白そう!」
「うんうん、めぐみちゃんも、おっちゃんの娘になっちゃおうっか? なんてね。ははは」
「ふふふ。もう、冗談ばっかり」
上機嫌のお客さんの相手をしていると、ご指名のキャストさんが来てきてくれた。
僕の耳元でささやく。
「ありがとう、めぐむ君。助かったわ」
「いいえ」
僕は、お客さんにお辞儀をする。
「それでは、失礼しまーす!」
「めぐみちゃん、またね!」
お客さんは、笑顔で手を振ってくれる。
ふふふ。
うん、なんか楽しい。
スタッフルームに戻ると、ちょうどアキさんが出迎えてくれた。
「どう? めぐむ、大丈夫?」
「はい、何とか」
「そう、良かった……」
アキさんは、ホッとした表情になる。
すぐにユミさんの指示。
「めぐむ君、次、5番ね。もう酔っ払っているお客さんだから、厳しそうなら合図してね!」
「分かりました。行ってきます!」
僕は、アキさんに手を振ると、さぁ、いくぞ! とホールに入っていった。
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