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intermission いたいけペットな君にヒロイン役は(EX1)
高校二年生の冬。学年末の定期テストに生徒たちが憂鬱になる時期。
大樹もまた、別の意味で重い気分を味わっていた。
「このバカ犬……またやりやがった」
イライラと眉間に皺を寄せて頭を抱える。視線の先には、勝手に人のベッドを占領して眠る誠の姿があった。
泊まり込みで勉強を教えてほしいと言われ、自宅で勉強会をすることになったのだが、風呂から上がったらこの有様である。
まあよくあることだ。見慣れた光景なら、さして気にも留めないのが普通だろう。
しかし、大樹にとってはそうはいかない。
(警戒心なさすぎ……)
無垢な顔で寝ている誠に、ゆっくりと覆い被さる。
彼は幼馴染であり親友だが、ひそかに想いを寄せている相手だ。それが今こうして目の前で寝息を立てているとなれば、何も思わないわけがない。
ふとした時に欲情しては、魔が差して手を出してしまいそうになるし、頭の中では数えきれないほど彼を汚してきた。
叶わぬ恋ならばいっその事だ。今の関係が壊れてしまってもいいから、一時だけの悦楽を求めてしまおうか。この体格差ならば、馬乗りになって組み敷けば抵抗なんてできないだろう。――そこまで考えて頭を振った。
(アホか。それは犯罪者の思考だ)
傷つけたくないと心から思っているはずなのに、大切に思えば思うほど、どうしようもなく卑しい欲が湧いてしまう。
いつか、何かの拍子に、本当で手を出してしまうのではないだろうか。親友として傍にいつづけることに限界を感じていた。
「おやすみ」
静かに身を離すと毛布をかけてやり、自分はベッドの隣に布団を敷いて横になった。
そして、何度も寝返りを打つ。誠がいる日は、なかなか寝付けないのがいつものことで、その日も眠りについたのは夜がすっかり更けた頃だった。
◇
翌日。目を覚ますと、誠がすぐ隣で寝ていた。
声こそあげなかったが、さすがに驚いて目を瞠る。一気に意識が覚醒した。
(どおりで暖かいと思った)
能天気な彼のことだ、容易に想像はつく。おそらくは、夜中に寒気を感じて布団に潜り込んできたのだろう。
困ったものだ。当の本人はこちらの気も知らず、柔らかそうな唇をふにゃふにゃと動かしているのだから。
「だいきぃ~、もうたべらんにゃい……」
「漫画みたいなこと言ってんじゃねーよ」
思わずツッコミを入れつつも、体を寄せて背に腕を回す。触れるか触れないかの程度で抱きしめた。
(早く気づけバカ)
気づかれないように隠しているのは自分なのに、ついそんなことを考えてしまう。胸の中で眠る彼のことが、憎たらしくて愛おしくて堪らなかった。
その後、朝食をとって二人一緒に登校する。
昇降口で靴を履き替えていると、制服のジャケットが引っ張られた。何かと思えば、誠があたふたとしている。
「どーしよう! 果たし状もらった!」
「は?」
何の冗談だろうか。このご時世に使わないだろう言葉を耳にして呆然としていたら、ずいっと誠が顔を近づけてきた。
「だから、果たし状だって!」
くりっとした大きな瞳に自分の顔が映っていた。あまりの近さに一瞬ドキリとしたが、こんな時こそ表情が乏しい方でよかったと思う。
「顔が近い。そんなことしてると、またからかわれるぞ」
誠の頭を手で押しのけて、平然とした態度で返した。だが誠は、
「へ? 別にいーじゃん」
(……注意してもこれだ)
誠はスキンシップが激しく、所構わずベタベタしてくるものだから、周囲に「二人はデキているのか」などと、よく言われるのだ。
けれど、当の本人は全然気にしていないようで、何を考えているのかどうもわからない。
(いや、このバカ犬は何も考えてないんだろう)
二人の関係性に口を出す輩が気になって、せめて名前ではなく苗字で呼び合おうと提案したときも、「別にいーじゃん」の一言で済まされたことを思い出した。
一体、彼にとって自分はどのような存在なのだろうか。問いただしたくなるのを、ぐっと堪えて話を戻す。
「で、なんだって?」
「これ」
差し出されたのは、ルーズリーフの切れ端だった。『今日の放課後、屋上へ続く階段の踊り場に来てください』と書いてあり、思わず眉根が寄った。
これは果たし状などではなく、ラブレターの類ではなかろうか。
誠は気づいてないだろうが、そういった目で見てきた輩にはそれとなく釘を打ってきたはずだが……、
「こんなもの捨ててしまえ」
そう言って突き返す。誠は未だに、うーんと唸って考えているようだった。
(結局こうなるのか)
放課後、屋上より一つ階下で聞き耳を立てる大樹の姿があった。
誠のことを目で追ったところ、階段を上がっていく様子が見えたのだ。どうやらあのメッセージどおりに、階段の踊り場に行くことにしたらしい。
聞こえてくるのは、誠と見知らぬ男――会話から先輩らしいことしかわからなかった――の声。意識を集中させて耳を澄ます。
「戌井くんのことが好きなんだ。俺と付き合ってください」
周囲の喧騒に紛れながらも、相手から発せられた告白だけはしっかりと耳に届いた。胸がざわつくのを感じつつ、身を固くして誠の言葉を待つ。
「すみません。俺、先輩のことよく知らないし……男同士で付き合うのはちょっと考えられない、です」
(――当然だ)
ほっとしたようで、どこかショックを受けているのは何故だろう。
この恋は叶わぬものだとわかっていたはずなのに、苦しくてどうしようもない気持ちが重くのしかかってくる。
ほら見たことか。誰かのものになる前に、早く手を出してしまえ――悪魔の囁きにも似たそれは、まごうことなき自分の声だ。下唇を噛み締めて甘美な誘惑に抗う。
(これ以上のことなんてない。幼馴染として一番近くにいられれば十分だ。せめて、誠に特別な相手ができるまでは……)
己に言い聞かせて心を落ち着かせるうちに、話を終えた二人が階段を下りてきた。
「誠」
角から出て声をかけると、誠はぎょっとした顔を見せる。
「来てたの!?」
「今来たばかりだ。それで、果たし状とやらは? もしかしてさっきの人か?」
「お、おー。でも、もう終わったから大丈夫! さっ、早く帰ろーぜ?」
「……ああ」
今日も二人の関係を壊さぬよう、細心の注意を払って気取られまいとする。
表情が乏しい方で本当によかった――改めてそう思うのだった。
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