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「桜木? 出席カード出してきちゃうよ?」  かけられた声にハッとする。隣を見れば、同期の藤沢雅がきょとんとした顔でいた。  早々に教室を出ていく学生の姿もあって、すでに講義が終了していることに気づく。内容が思い出せない程度には上の空だったらしい。 「ああ。あと悪い、レジュメ貸してくれ」 「いいけど……珍しいね、もしかして寝てた?」  少し長い黒髪を目に被せ、雅がクスッと笑う。少しも嫌味に感じないのは、穏やかな物腰ゆえか。細身だが長身な男で、おおらかさを感じるのもあるかもしれない。 (こういったのを《草食系男子》と言うんだったか)  彼もまた大樹らと同じく映画研究会の部員であり、知り合ったばかりの仲だが、この男のことは嫌いではない。誠実で信頼に足る相手だと思っているくらいだ。 「あ、獅々戸さんだ」  雅が小さく呟いた。レジュメのメモを書き写していた大樹は顔を上げる。  小柄な男が、金色の髪を小さく揺らしながら教室に入ってきていた。派手で目立つ風貌は見間違うことがない。映研に所属している三年生、獅々戸玲央だ。  玲央は教卓で講師といくつか話をしているようだった。やがて会話を終えると、視線に気づいたのかこちらへ目を向けた。 「お疲れ様です」  真っ先に雅が挨拶をして、大樹もそれに続く。玲央は二人の顔を見て、納得したように口を開いた。 「よ、お疲れ。藤沢も桜木も法学部だっけか」  行われていたのは法学部の必修科目で、板書を眺めた玲央は「ずいぶんと難しそうなことやってんな」と苦笑する。  聞くところによると、映画の撮影――秋の学園祭およびコンペティションに向けて短編映画の撮影を始めていた――に使えそうな場所を探していたらしい。  ちょうどこの辺りの廊下を使用するとのことで、大樹たちはそのまま撮影に加わることにした。 (今朝以来だが……)  撮影の準備をしつつも、誠の姿を横目で見る。誠はカチンコの打ち方を先輩から習っているようで、先ほどからカチンという小気味の良い音が聞こえていた。  不純な理由――距離を取ろうとしても、繋がりを求めてしまうあたり当時の心情がうかがい知れる――で同じ大学に進学したはいいが、専攻が違うと、ここまで会う機会がないとは思わなかった。  一般教養科目もあまり時間が合わなかったし、昼休みも講義の流れで法学部の学生と過ごすことが多い。顔を合わせる場といったら、サークル活動の場くらいなものだった。 (サークル、合わせておいてよかったよな)  前々から同じサークルに入りたいと二人で話していて、共通の趣味を通じて映研への所属を決めたのだが、ここでの活動は想像していたよりもずっと楽しい。  穏やかながらも活気があって雰囲気もいいし、何より、大好きな彼と同じことができるのが嬉しかった。 「はいっ、それでは撮影! パッと初めてさっと撤収しましょう!」  撮影準備が整うと、部長であり監督の岡嶋由香里が手を叩いて注目を集める。  彼女はそれぞれの役職に声をかけていき、最後に主演俳優の玲央を見るなり、にっこりと微笑んだ。 「獅々戸くん、今日も厚底靴履いてお疲れ様! 凄みを利かせた演技頼むわよ!」 「う、うっせーな! わざわざ厚底言うんじゃねーよッ!」  周囲が笑いに包まれる。和やかな空気のなかリハーサルをし、間もなく撮影が始まった。 「本番!」「カメラ回りました!」監督とカメラマンがそれぞれ告げる。 「シーン2─1、よーいハイ!」という監督の声。  そして、助監督である誠がカチンコを鳴らすのだが、カットの合図である“二度打ち”をしてしまい、一同はずっこけたのだった。  撮影が終わると、大樹は誠と一緒に大学をあとにした。  ファミリーレストランで夕食をとってから帰途に就いたのだが、その間気まずさなどは皆無だった。 (俺の考えすぎか?)  最寄り駅に降りて改札を抜ける。自宅のマンションへ向かって歩くと、すぐに閑静な住宅地に入った。周囲に人通りはなく静かだ。  気持ちを確かめたいと思い、相手を驚かせないように指先からそっと触れ、何度か撫でるようにしてからゆっくり誠の手を握る。  少しして、やんわりと握り返してくるあたたかな感触を感じ、自分が懸念していた最悪の事態ではないことに胸を撫で下ろした。  今朝は突然だったから、動揺してしまったのだろう。 (コイツがそうしたいと思えるまで待つべきだよな。大体、最初から飛ばしすぎだ。映画じゃないんだから、ゆっくり段階を踏んで許される範囲のことを……)  そのようなことを考えていたら、誠が静かに口を開く気配がした。 「俺、今までどう接してきたんだっけ」  やはりそうかと思った。想像どおりで、むしろ安心したくらいだ。 「いいよ、誠が困惑してることくらい当然理解してる。男同士で幼馴染なんだから仕方ないだろ」 「ちちちがくて! こうしてるだけでドキドキするっつーか……頭がグルグルでうぎゃーってなっちゃって!」 「……『頭がグルグルでうぎゃー』か?」 「う、うん」  誠の言葉を反芻しつつ、顔を覗き込むと耳まで真っ赤になっていた。  どうやら純粋に気恥ずかしかったようだ。男同士や幼馴染だとかは、彼の中では些細な問題らしいことが、その様子からうかがえた。 (ああ、単純すぎる……今まで悶々としてきたこっちが愚かに思えるくらいだ) 「確認するけど、別に嫌ではないんだな?」  ため息交じりに訊けば、コクコクと少しオーバーなくらいに頷かれる。 「いろいろ考えるようになって……好きだって気づいたときよりも意識するようになったってゆーか――うわ、なに言ってんだろ、なんかめちゃくちゃ恥ずかしい……」  自分でも思考が追い付いていないのか、誠はたどたどしく言葉を紡ぐ。いつもの朗らかな声ではなく絞り出すような声で、彼の心情が言葉以上に伝わってきた。 「そういうことなら、俺も容赦しない」  誠の手を引いて足早に歩き出す。  戸惑う声が背中に投げかけられたが、気にも留めてやらない。理性なんてものはどこかに飛んでしまっていた。

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