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scene07-01 いたいけペットな君にヒロイン役は(5)
一月末、長い春休みが近づいてきた冬の日のこと。
戌井誠は体温計を手にしつつ、ベッドに横になる桜木大樹をジトリと睨んだ。
「ほらー、やっぱ熱あるじゃんか!」
「そうか」
「他人事みたいに言うなっ」
その日の大樹は、朝から赤ら顔で咳をしている様子だったので、どうにも気が気でなかったのだ。一応、「今日は休んだら?」とは声をかけたのだが……、
(「大したことない」の一点張りなんだもんなあ。自分の体調くらい、自分が一番わかるだろうに)
講義を終えて自宅に帰ってくるなり、彼はふらりと倒れてこのざまである。痩せ我慢も大概にしてほしいものだった。
「今日のとこは大人しく寝てろよ」
普段とは逆に、こちらが注意するように言ってやった。ところが気にも留めず、大樹は体を起こす。
「洗濯物が溜まってたこと思い出した」
「それくらい俺がやるって!」
ベッドから離れようとする大樹を押し止める。
家事を預かる者として、責任とプライドがあるのだろうとは察しがつくが、己の体調が悪いのにいかがなものか。誠の眉間に皺が寄った。
「とにかく休んどけって。買い物行ってくるけど食欲は?」
「普通に食える。というか自分で作るからいい……誠にちゃんと食べさせないと」
「ああもうっ、だからなんでこんなときまで母親ヅラなんだよ! 少しくらい頼ってくれたっていーじゃん! 病人は病人らしく寝てろッ!」
あえて強めに言うと、大樹は「すまん」と呟いて大人しくベッドに横たわった。
(ほんっと困ったヤツだよな。俺の日頃の行いが悪いのかもしんねーけど)
なんだか申し訳ない気持ちになりつつ、大樹の部屋を出る。
それから洗濯を済ませて、近所のスーパーマーケットで必要なものを購入すると、すぐに夕食の調理に取り掛かった。
作るのは卵雑炊だ。いろいろとインターネットで調べたのだが、消化がよく、体も温まりそうだから――というのは建前で、これなら自分にも作れそうだと思ったのだ。
「まずは土鍋を用意してっと……あれ、どこだっけ? 土鍋土鍋~っ」
普段キッチンに立つ機会がないため、それすらも手間取ってしまう。
声と物音で気づいたのか、ガチャリという音とともにドアから大樹が顔を覗かせた。
「土鍋?」
「う、うん」
頷くと、大樹はおぼつかない足取りでやって来た。そして、頭上の棚を開けて目当ての物を取り出す。
「ほら」
「面目ない……マジで」
「他にやることある?」
「………………」
何食わぬ顔で手伝おうとする様子に、ものを言えなくなる。
こうフラフラされては治るものも治らないだろう。先ほど買ってきたスポーツドリンクを渡すと、大樹の体を部屋の方向に押し返した。
「はい、病人の仕事は寝るコト!」
「わかったよ。けど、なんかあったら声かけてくれ。それから火の扱いは」
「気をつけます!」
続くであろう言葉を口にすれば、大樹は力なく苦笑して自分の部屋に戻っていく。
「情けねえなあ、俺」
誠は己の不甲斐なさにため息を零すのだった。
さて、卵雑炊の作り方はいたってシンプルである。
土鍋に調味料を入れて沸騰させたあと、白飯を入れて煮立たせる。そして溶き卵と刻みネギを加えて、ほどよく熱が通ったら完成だ。
試しに一口食べてみたが悪くない。うん、と頷いて大樹の部屋へ声をかけた。
「大樹、入るぞー」
返事も待たずに部屋に入る。言いつけどおり、ベッドで休んでいる姿を見てほっとした。
「火傷とかしなかったか?」
誠の顔を見るなり、大樹はゆっくりと体を起こす。
先ほどよりも気怠げな顔をしているのは気のせいだろうか。瞳もどこか焦点が合ってなくて、とろんとしていた。
「へーきへーきっ。ほら、雑炊作ったから食えよ」
そんな彼のことを気にかけつつも、鍋の乗った盆をローテーブルに置く。鍋の蓋を取ると、出汁と卵のいい匂いがふんわりと広がった。
「美味そうだ」
「まあ、大樹のと比べたら落ちるだろうけど、フツーに食えると思うよ。先にお前の分、取り分けてやるから待ってて」
おたまで雑炊を器によそう。大樹に手渡そうとしたところで思い止まった。
(これ熱いよな? 今の大樹、ぼーっとしてそうだから心配だ)
レンゲで雑炊を掬って、ふうふうと息を吹きかけて冷ます。
その行為に思うところがあったのか――飲み物や食べ物のシェアはお互い許しているはずなのに――大樹がじっとこちらを見ていた。
何か悪いことでもしたのかと、きょとんとして固まっていたら、彼は隣に腰を下ろしてきた。さらに、雛鳥よろしく「あ」と小さく口を開ける。
熱に浮かされているのだろうか、普段の様子からは考えられぬ行動だった。
「あ、あーん……」
動揺しつつもレンゲを口元に運んでやる。大樹はレンゲから雑炊を口に含み、何度か咀嚼して飲み込んだ。
「美味い」
「!」
(うわ~っ、なんだこれ親鳥の気分だ! くそぅ、大樹のくせに可愛いじゃん!)
言いようのないときめきが駆け巡って、心臓がドキドキと高鳴る。
ここで下手に反応しては、何かの拍子で我に返ってしまうかもしれない。同じように「あーん」と二口目を差し出した。
それも何の戸惑いもなく大樹は頬張り、誠はまた感動で胸を震わせたのだった。
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