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scene08-01 俺様ヒーローな君にヒロイン役は(3)

 二月某日。後期講義がすべて終了すると、映画研究会の飲み会が行われ、居酒屋の一角に岡嶋由香里による乾杯の音頭が響いた。 「みんなお疲れ様! コンペ優秀賞おめでとー! はいカンパーイ!」 (幹事の挨拶テキトーすぎんだろ。部長としての最後がそんなでいいのか……)  内心思いつつ、獅々戸玲央は周囲とグラスを交わしていく。  サークル活動は一年生と二年生が主体で、三年生はまだしも、四年生にもなればお役御免といったところだろう。  寂しいものがあるが、今後の進路のことを考えればうかうかしていられない。とはいっても、学年問わず活動している者は多いのだが。 「岡嶋さんは相変わらずですね」  静かな声で話しかけてきたのは、隣に座っていた二年生の風間充だ。編集チーフであり、次期部長でもある男だった。 「ま、あれはあれでいい部長だったと思うぞ。少なくとも俺は尊敬してるし」 「俺もですよ。カリスマって言うんですかね、あんなふうに嫌味なく、周りを引っ張っていける人ってなかなかいませんよね」 「あー、振り回されてる感もあるけどな」  肩をすくめておどけた調子で言うと、苦笑が返ってくる。  彼とはあまり関わりがなかったのだが、責任感があって堅実なタイプのようだし、部長も安心して任せられるだろう。また、岡嶋の推薦――彼女の人を見る目は確かだ――なので間違いはないはずだ。 (さて、岡嶋が目にかけているもう一人のヤツ。次の監督候補はどうだかな)  助監督として仕事をこなしていた戌井誠の方を見やる。彼は岡嶋となにやら話しているようで、そちらに意識を傾けると二人の会話が聞こえてきた。 「私は広告代理店志望かな」岡嶋がグラスを傾けながら言った。「実績が求められる世界だからシビアだけど、インターンに参加してみたら興味が湧いてきてね」  まさか進路の話をしているとは思わず、素直に驚いてしまう。しかも、話を聞いている限りでは誠から話題を振ったようだ。 (いささか早い気もすっけど、アイツもちゃんと将来のこと考えてんだな)  気づけば、玲央も四年生になる。  来月には説明会が解禁され、また数か月後には、内定が云々といった言葉が学生間でも交わされるのだろう。その光景を考えるだけで、心に不安が影を落とす。  ご多分に漏れず就職課には足を運んだのだが、これといってピンと来るものがなく、自分がやりたいことは違うのだと思い知らされた。と、同時に目指したいものも。 (わかっちゃいるんだけどな)  沈んだ気分にため息を零したところで視線を感じ、何気なく目を向ければ、藤沢雅がこちらを見ていた。  目が合うと穏やかに微笑まれる。危うく、手に持ったグラスを落としそうになった。 (クソ、なんでこっち見てんだよ……って、あれ?)  知らぬ間に、先ほどまでの不安が消えている。  そんな安い自分にどこか居たたまれない気分になり、グラスに残っていたアルコールを一気に煽ったのだった。  岡嶋が一足先に帰宅するとのことだったので、玲央は送っていくことにした。  彼女の自宅までの見慣れた風景を見て、感慨にふける。  思えば、たくさんの感情を抱えながらこの道を歩いたものだったが、今は雑念が一切ない。肌に感じる冷たい空気のように澄んだ気持ちだけがあった。 「なあ、岡嶋。お前に見せたいモンがあるんだけど」  言って、バッグから一枚の書類を差し出す。俳優養成所の合格通知だった。 「えっ! これ……」岡嶋が目を見開く。 「オーディション受けたら合格してさ、いろいろと迷ったけど入所しようと思ってる」  そこで一呼吸置いて、 「俺、俳優になりたいから」  宣言するように口にした。それが玲央の選んだ進路だった。  芝居を始めたきっかけは岡嶋への想いゆえだったが、映研での活動を通して、こんなにも夢中になれるものは他にないと感じたのだ。これからも自分は、人との関わりのなかで、何かしらの作品を創造していきたいという強い気持ちがあった。 (俺一人だったら決断できなかった。藤沢が背中を押してくれたから……)  というのも、数日前のこと。  雅の自宅に泊まったある日、玲央は俳優になりたいという夢を打ち明けた。  後輩にするような話じゃないだろうけど――そう切り出した話は、将来への不安と苦悩に満ちたものだった。  養成所に通っても、俳優になれる人間は一握りだろうことも、自分には知識も技術も経験も不足しているであろうことも理解している。  新卒というカードを失ってしまうし――大学だって、放任主義とはいえ親の援助もあってせっかく進学したというのに――、一生のうちに稼げる収入や老後のことを考えれば、きちんとした職に就くのがいいだろうとも思う。  しかし、挑戦してみたいという逸る気持ちが、どうやっても止められないのだ。  そのようなことを話したら、雅は微笑んで言ったのだった。「あなたの夢、俺は全力で応援しますよ」と。  たった一言だというのに、彼の言葉は力強さを持っていて、玲央の背中を優しく押してくれた。  努力したとしても当然報われるわけではないし、愚かな挑戦だと言う者もいるかもしれない。けれども玲央は、夢を抱いてこの進路を選んだのだった。

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