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scene08-02
「あなたのことだから真剣に考えたんでしょ? いいじゃないの、俳優! そしたらきっと、念願のヒーローになれるわねっ!」
岡嶋の声が届いて、現実に引き戻されたと同時に赤面した。
「ちょ、ヒーローって! おまっ……そ、そんな昔のこと覚えてたのかよ!?」
「そりゃあ、インパクトあったもの」
「うっわ、マジかよ」
じんわりと頬が熱くなる。幼少期の発言であっても、恥ずかしいものは恥ずかしかった。
「けど、少なくとも私はさ……あなたには才能というか、不思議な魅力があると思ったの。この人には特別なものがあるぞってね」
「岡嶋……」
「私、血反吐でも上司の靴でもなんでも舐めて絶対出世する! 路頭に迷ったら、私のもとで働かせてあげるから! だから頑張れっ、ヒーロー!」
(……ずりィな。カッコよすぎじゃん)
岡嶋は昔からそうだった。
なんでも要領よくこなせて、いつも周囲から頼りにされていたし、ひたむきな努力家で明るい笑顔は人を惹きつけた。
自分が持っていないものをたくさん持っていた彼女が羨ましくて、ただひたすらに憧れたあの頃を思い出す。彼女が言ってくれた「きっとヒーローになれる」という言葉は、ずっと自分の中にあり続けるに違いない。
けれども、玲央の心はもうその場所にはなかった。
「俺さ、岡嶋のそういうとこ好き。ずっと、誰よりもお前が好きだった」
はにかみながらも、真っ直ぐに岡嶋の目を見て言った。
対する岡嶋は一瞬固まってから、やがて虚をつかれたように慌てる。
「ええっ!? そ、それって!」
「あー、異性のソレとしてだけど過去形。完全に自己満足で悪いけど、この際だから心の整理はっきりつけておきたくて」
「そ、そうなの……でもそうよね、今思えばそっか!」
岡嶋がパチンと手を合わせて頭を下げてくる。口から出たのは謝罪だった。
「ごめん! そうとも知らず……その、気兼ねなく話せる相手だなって」
「いいよ、別に。勝手に俺がそういった感情抱いてただけだし……つーか、言えずにいたヘタレだしな」
それから、ぷつんと会話が途切れてしまう。
このようなことを告白しても、彼女ならいつもどおりに接してくれると思ったのだが、どうしたものか。考えを巡らせていると、岡嶋が神妙な面持ちで口を開いた。
「ねえ、獅々戸くん。最近彼氏と別れた、って言ったらどうする?」
「えっ……?」
「やっぱりライフスタイルが違うせいか、すれ違いが多くてね。なんだかお互い冷めちゃって……もういいやってなっちゃったのよね」
――考えるまでもない。答えようとした瞬間、岡嶋の笑い声が小さく聞こえてきた。
「ぷっ、くく……」
「岡嶋?」
「やっぱだめっ、私には役者とか向いてない! 試すようなこと言ってごめんね!」
「はああっ? な、なんだそりゃ」
もちろんのこと最初から断るつもりだったのだが、からかわれたのかと思うと、なんとも言えぬ気持ちになった。
がっくしと肩を落とす玲央を見て、岡嶋は苦笑する。
「正直ほっとした。過去形って言っても引きずってるようだったら、どうしようかと思って。私の存在が邪魔になるのは嫌だし」
それに、と岡嶋は真剣な顔になって付け足した。
「『心の整理』なんて言うってことは、他に好きな人ができたのよね?」
「………………」
ああ、と返す。心にあるのは藤沢雅の存在だった。
あんなにも好意を向けられるのは始めてのことで、困惑しつつも二人で過ごす時間が増えて、会って、話して、触れ合って……そのたびに感情が揺れ動いた。
雅は人の胸の内に入り込んでくるや否や、掻き乱して、建前もプライドもズタズタにしていく。でも決して不快ではなくて、むしろ心地の良さを感じてしまっていた。
(ダサい自分を見せてもいいって思えちまうんだから……悔しくてムカついて仕方ない。クソ生意気な後輩だってのに)
最初は恋愛感情に満たなかったが、今ならはっきりと言える。長年の想いを断ち切ってしまうほどの恋に落ちてしまったのだと。
だから、もう一歩踏み出してみたい。今の関係は確かに楽だが、それでは駄目だ。自分も納得できないし、きっと相手も無意識ながらに思っているはずだ。
しかしその一方で、本当にこの関係を進展させていいのかと、疑問に感じるのも確かだった。
「これはさ、後輩から相談されたことなんだけど」
誤魔化しつつも、思い切って切り出してみた。
「好きになったヤツが同性だったら、どうすればいいと……思う? なんつーか告られたみたいで、最初はナイと思ってたんだけど、知らずのうちに~みたいな」
言葉がつかえるのを感じつつも、最後まで言い終える。
察したように岡嶋は一瞬だけ目を瞠るのだが、それ以上は下手に反応しなかった。たおやかな笑顔を浮かべて口を開く。
「性別を越えるまでの何かがあるってことでしょ? 純粋に素敵だと思うけどな」
「いやまあ……偏見とかねえし、人の個性みてーに、いろんな恋愛の形があっていいとは理解してる。けど、さ」
それ以上続かない。
いや、そもそもこれは、他人がどうこう言ってどうにかなる問題ではないのだ。恋愛感情なんてものは、誰にも止められないのだから。ましてや自分にも。
(訊いたところでもうアレか。答えなんて一つに決まってる……あとはヘタレな俺自身の問題だ)
目を伏せて押し黙っていたら、肩をぽんと叩かれた。
「なんにせよ、私は応援するわ」
穏やかに口にし、岡嶋は少し先を歩き始める。その背中に小さく礼を言って、玲央も続いた。
先がわからぬ道を行くのは不安だ。どうやっても足が震えてしまうし、こんな自分がすぐに変われるとは到底思えない。
だとしても、ここから始めたい。将来の夢だけじゃない、想いを寄せる彼に対しても一歩踏み込んで歩み寄りたい――そう思ったのだった。
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