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scene09-03
◇
藤沢雅は幼い頃から傍観者気質で、特に目立つこともなく平凡に生きていた。
思いやりが強く、多少なりとも自分が損をこうむっても構わない性格で、周囲がよければと自分を押し殺すことがほとんどだった。
自己のあり方に不満は感じなかったが、映画の登場人物――例えば男気溢れるヒーローのような――に憧れて、自分も特別な何かになりたいと思ったことはある。
だが、あまりにも平凡でつまらない自分には似合わないと、ずっと諦めていた。
そんな雅の前に現れた“彼”はまさにヒーローだった。
(すごい……)
役者としての玲央を一目見たときから、自信のある堂々とした演技に目を奪われた。
カメラ越しでも彼の熱意が伝わってきて、撮影している自分も興奮したのを覚えている。
「ちょっとカメラ見せてみ」
カットがかかると、玲央は真っ先にこちらへやってくる。
そして映像を確認するなり、ニッと笑って、ぶっきらぼうに頭を撫でてくるのだった。
「ピントも露出もちゃんと合ってるし、上出来!」
「あ、ありがとうございますっ」
「まあでも、ぶっちゃけフツーっちゃフツーだけどな」
内心「ええ~っ」となったが、映像を見返す玲央の横顔を見ていたら、不服な気持ちも薄れていく。自分が撮影した映像を真剣に見てくれるのが嬉しかった。
「藤沢、だったよな?」玲央は確認するように名を呼んでくる。「絵コンテに近しい画を撮るのも大事だけどさ、別にコンテどおりじゃなくてもいーから」
「と、言うと?」
「例えば……そうだな、今のカットだと役者を撮るときのサイズ感。もう少しカメラ寄せて、目線の動きとか息づかい捉えた方が引き込まれると思う」
二人の会話を聞いていたのか、部長の岡嶋由香里が茶々を入れてくる。
「あらま、獅々戸くんってば厳し~い」
「うっせ! コイツがやれそうなタイプだから言ってるだけだっての!」
外野に吠えつつ、玲央は雅の方に向き直った。
「当然だけど、カメラってのは観客の目なんだよ。こっちもどう映ってるかって顔の向きとか立ち位置意識してるから、お前も一番カッコいい画で撮ってほしい」
映画は一人ではなくチームで作りあげるもの――サークル紹介のときに、彼が語っていたことを思い出した。
身の引き締まる思いで返事をすれば満足げな笑みが返ってきて、玲央は再びカメラの前に立つ。
確かに意識してみると、今まで見えなかったものが見えてきた。
きゅっとつりあがった猫目、目元に影を落とす長いまつ毛、整った鼻筋に、しゅっとした輪郭、彼が綺麗に見える角度……ここまで他人の顔をきちんと見たのは初めてだった。
(ヒーローにはなれなくても、それを輝かせることならできる。俺があの人を輝かせたい)
カメラで追うたびに新たな一面に気づいてはますます惹かれ、次第にカメラを構えなくても、つい彼を目で追ってしまう自分に気づいた。
(俺はきっと、この人のことが好きなんだ)
憧れや尊敬以上の何かを感じ、ごく自然に思ったのだった。
◇
その日は兼部している剣道部の活動日で、稽古を終えて片づけをしていると主将が声をかけてきた。
「ずっと太刀筋鈍ってたな」
「……すみません」
「大会近いんだし、ちゃんとしろよな。お前には期待してるんだからさ」
「はい、ありがとうございます」
立ち去る主将の背に礼をしつつ、人知れずため息をつく。
恋愛経験は過去に多少なりともあり、当時も剣道部に所属していたが、相手のことを考えて太刀筋が鈍るなどということはなかった。
(今まで、なんにも執着しなかったのに)
元はといえば、一方的な感情で勝手に切り出した関係だ。
好意を寄せる相手が悲壮な面持ちをしているのが耐えられなかっただけで、気持ちが返ってこなくてもいいと思っていた、というのに――。
玲央が他人と仲良くしているだけで嫉妬してしまう自分がいて、好きになれば好きになるだけ、彼を手に入れたいという気持ちが強くなっていた。
(こんなにも薄汚い感情は初めてだ)
物憂い気怠さを感じつつ武道場をあとにする。
スマートフォンを取り出すと、玲央からメッセージが届いていることに気づいた。
昼休みに『五月四日のデートですが、よかったら前日の夜から会えませんか?』と連絡を入れていたので、その返事だろう。
内容を確認してみれば『三日は養成だけだから、終わってからなら』とあったので、『よかった。じゃあ迎えにいきます』と返事を送る。
(この約束も、俺から取り付けたんだよな。せっかくのオフなのに迷惑だ、なんて思われてたらどうしよう)
デートの約束だけではなく、思えば通話もLINEもいつも自分からだ。
いつか「もういらない」と突っぱねられてしまう日が来るのではないかと考えると、恐ろしく不安になる。
そんなのは嫌だ。相手の懐の深さに甘えている後ろめたさはあるが、なんとか繋ぎ止めて、彼との関係を続けたいと思ってしまう。
(俺、みっともないくらい玲央さんのことが好きなんだ。告白したあの日よりもずっと。もう、どうにかなっちゃうくらい好きになってる……)
この歳になって、やっと恋愛というものを知った気がする。考えなしだった過去の自分を呪いたいくらいだった。
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