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scene09-04

    ◇  約束の日がやってきて、雅は養成所として使用されているスタジオビルへ赴いた。  早く会いたいとビルの前でそわそわと待っていると、聞きたくもない声が耳に届く。 「あれっ、後輩君じゃーん」宮下が軽い足取りで近づいてきた。「しーちゃん待ってんの? アイツ、先生と話してるから少し遅くなるよ?」 「そう、ですか」  普段なら、どのような相手でも穏やかに接することができるのだが、この男の前ではつい素っ気ない態度をとってしまう。  何かしら察したのか、宮下が口の端を吊りあげた。 「健気なのもいいけど、度が過ぎると重いだけだよ? それが見返り求めるのだったら、もう最悪っつーか……面倒だし、疲れるだけじゃない?」 「どうしてあなたは、そんなに噛みついてくるんですか」 「ヒドいなあ。可愛い後輩君にアドバイスしてあげてるだけじゃん。しーちゃんもどうかと思うけど、大人しい顔して、君も結構自分勝手だよねえ」  ナイフにでも刺されたかのように、ズキリと鋭い痛みが胸に走る。醜く浅ましい感情を持ってしまったことに対する、自己嫌悪といってもいいだろう。  顔を伏せて、宮下のことが視界に入らないようにする。手が震えていることに気づけば、誤魔化すように握り拳を作った。 (駄目だ。自分が本当に嫌になる)  ククッと宮下が笑って、沈黙を破る気配がする。そのときだった。 「あーのーさあー、勝手に俺の後輩イジメないでくんね?」  顔を上げると、そこには玲央がいた。  宮下には目もくれずに歩いてきて、雅の前に立つと一言。 「ボサっとしてんじゃねーよ」  言って、玲央は手を掴んできた。 「えっ、あの?」  彼がこのような行為を、しかも人前で行うだなんて考えられない。手を引かれるがままに歩き出すも、突然の事態によろけてしまう。 「獅々戸さん、待ってください! み、見られちゃいますよっ」 「ああッ!? こーゆーことしたかったんじゃねーのかよ!」 「それはそうなんですけど」  人の目を避けて――例えば、映画館では上映中によく手を重ねていた。彼の言うとおりではある。 (けど……これは手を繋ぐというより、強引に手を引かれているというのでは?)  苦笑しつつも、何も言わずに隣に並ぶ。  手の震えはいつの間にか止まっていて、少し位置をずらして握り返すと、やっとそれらしくなった。 「待たせて悪かったな、藤沢」 「いえ、全然待ってないです」 「そうじゃなくってさ。宮下のヤツほんと軽薄っつーか、大して仲良くもねえのに、やたらと絡んでくるヤツだろ? 気ィ悪くさせたならごめん」  思いもよらず恥ずかしいところを見せてしまい、やや気まずくなる。  それでも気遣ってくれるのが嬉しくて、「大丈夫ですよ」と繋いだ手にぎゅっと力を込めた。 「それより、今日はどうしますか? どこか行きたいところありますか?」  無駄な心配をかけまいと、話の方向を変えることにしたのだが、 「とりあえず飯食おうぜ。んで……お前の家とか」  返ってきたのは予想外の提案だった。  自宅に着くと、真っ先に玲央はベッドに腰かけた。  座れ、とばかりに手振りで示されたので、雅もその隣に並ぶ。 「なあ、最近どうしたんだよ?」  少しの沈黙のあと、玲央が静かに言った。  訊かれる予感はしていたが、素直に答える気にはなれない。 「言ったら、きっと獅々戸さんは幻滅します」 「しねえよ」 「俺のこと嫌いになっちゃいます」 「ならねーっての。ガキかテメェは」 「どうせガキですよ」  自分に嫌気がさして、拗ねたように呟く。玲央は困ったように頭を掻いた。 「言い方が悪かった。藤沢、遠慮しないでいいから」 「……本当に嫌いになりませんか?」 「ああ。だから話せよ」  玲央は催促するでもなく、黙ってこちらの言葉を待つ姿勢を見せる。表情は落ち着き払っていて、年上らしい頼もしさを感じた。 (敵わないな)  こうまでされては言わざるを得ないだろう。  覚悟を決めると、内に秘めた想いをありのままに告白した。 「俺、あなたのことをどうしようもなく求めてる。獅々戸さんが欲しい――体だけじゃなくて心も繋がりたい。そう思うようになってしまいました」  恐る恐る反応を待っていたら、飛んできたのは額への軽い衝撃で、俗にいう《デコピン》だった。  玲央は小さく鼻で笑ってから、口を開く。 「バーカ、重く受け止めすぎだろ。ったく、何を言いだすかと思ったら」 「バカって……」 「俺はそうなると思ってたし、今の関係が続くとも思ってなかったよ」 「そうじゃなくて、他にあるでしょう? お前とはもう付き合ってられないみたいな……嫌いにはならないまでも、困るに決まってます。わかってるんで、その」 「コラ、勝手に決めつけんな。俺、お前と一緒にいるのが一番楽しいんだけど」 「え? あ、はい、ありがとうございます……?」  あまりにもさり気なく言われたので、言葉の意味を考えずに返事をしてしまった。再び額を指先で弾かれる。 「『ありがとうございます』じゃねーだろ! もういい、この際ちゃんと言うから耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ!」  玲央の顔がじわじわと紅潮していく。  いや、そんなまさかとは思ったのだが、そのまさかだった。 「俺は、藤沢と正式に付き合いたんだ。――恋人として」

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