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scene10-01 いたいけペットな君にヒロイン役は(6)

 戌井誠らが大学二年生に進級した、春のとある週末。 「大樹って女泣かせだよね」  ダイニングで朝食を終えると、誠は何の脈絡もなく切り出した。  洗い物を済ませた桜木大樹がテーブルに戻ってくる。その顔は困惑顔だった。 「藪から棒になんだよ」 「だってさあ、学科の子がお前に告白して玉砕したって騒いでたから」 「ああ……人文の子だったのか。どおりで見たこともないと思った」 「うへえ、冷てえなあ」  大樹の言い草に引いていたら、彼の口元が微妙に強張った。 「付き合ってる相手がいるのに、下手に優しくしたら変だろ」 「そう?」 「……お前はそういった場合でも優しくするのか?」 「えっ、知らねーよそんなの!」 「仮定の話くらいできるだろ」 「ええ~っ?」  誠が所属している学科、というよりも学部自体が女子の比率が高い。  中高とは打って変わって女子と話すことが増えたし、友人もそれなりにできた。だが、特別な好意を持たれたことはないし、考えられもしなかった。 (仮定の話って……フツーにありえないだろ。俺にモテる要素とかねーじゃん)  大樹の問いに肯定も否定もしかねて口ごもっていると、スマートフォンの通知音が鳴った。逃げるように手を伸ばす。 「おおっと、LINEだ!」  見てみれば、アルバイト先のグループトークだった。  この春から、個人営業の喫茶店でアルバイトを始めている。つい先日、歓迎会が開かれたのだが、ちょうどそのときの写真がアルバムとして投稿されていた。 「見て、バイト先で歓迎会やってもらったときの!」  話題を変えようと明るい調子で声をかけ、スマートフォンの画面をスライドさせていく。 「喫茶店のか」 「そうそう、よかったらそのうち来いよ。コーヒーもスイーツもすっげーうまいし、俺的にはシフォンケーキとか甘さ控えめで超オススメ!」  話題に乗ってくれたことに内心ほっとするも、束の間だった。大樹の指がすっと動いて写真のある人物――束感のあるマッシュヘアの男を指す。 「これ、風間さん?」  風間充。同じ大学に通う三年生で、映画研究会の新部長だ。 「そだよ、バイト先探してたら風間さんが紹介してくれてさ。あ、これとかよく撮れてる」  次に表示されたのは、風間が誠の肩を寄せているツーショット写真だった。 「このとき、風間さん酒飲んでてやたらと……っ、ん!?」  言葉が遮られる。気づいたときには大樹に顎を掴まれ、唇を押し付けられていた。  突然のキスに驚いていると、下唇をきつく食まれて、反射的に肩が飛び跳ねた。  不意にできた隙を見逃すわけもなく、大樹は舌を捻じ込んでくる。貪らんばかりの勢いで口腔を犯され、すぐに息が上がった。 「ん、んんっ、ッ!」  嫌というわけではないが、さすがに戸惑う。息苦しさを感じて舌に歯を立てたら、やっとのことで激しい口づけから解放された。  大樹は無表情でこちらを見つめている。 「こっちの気持ち、確かめてるつもり?」  言っている意味が理解できなくて、目を瞬いた。 「なんのこと?」 「俺が他人に好意を寄せられてると知って、誠は嫉妬しなかった?」 「え? 好きなヤツが、周りにもいいヤツだ~って思われるの嬉しくね?」  大樹は進んで人の輪に入ろうとしないので、彼の良さが周囲に伝わらないと常々感じていた。相手と付き合う、付き合わないは別として――さすがにそれは誠も許さない――、見ている人は見ているのだと少し嬉しくなったのだ。 「お前の頭って、本当に都合よくできていて羨ましい限りだ」 「だって、大樹のこと信じてるし……俺にだけ“好き”って言ってくれるって」  自分でも恥ずかしいことを言っているとは思うが、一番の理由はそこだった。相手の想いを信じているからこそ、こういった余裕があるに違いない。 (付き合う前だったら、確かにモヤモヤしてたかもだけど)  気恥ずかしさでそわついていると、再び顎をクイッと上げられる。視界に映った瞳はどこか不安げに見えた。 「誠の考えもわかるけど、俺は嫉妬するよ」  再び大樹の顔が近づいてきて、咄嗟に手で押し止めた。 「ごめんって! 風間さんはそんなじゃないっての! つか男っ、男だから!」 「………………」  しばし見つめ合ったあと、無言で手のひらをぺろりと舐めあげられる。 「うひゃぁ!?」  情けない声を出して力が抜けたところを、強引にキスされた。  荒っぽい仕草からは、いつもの余裕がまったく感じられない。やり場のない感情が伝わってくるようだった。 「んぅっ……ん、だからぁっ!」  大樹の体を突き飛ばすようにして唇を離す。  これ以上されては理性が飛んで、ずるずるとベッドに……ということになり兼ねない。 「なに?」 「いや、大樹ってホントぉ~に俺のこと大好きだな?」  沸き立つ感情を誤魔化すように言ってみた。大樹はさらりと真顔で返してくる。 「そうだな。世界の中心にお前がいるくらいには好きだよ」  誠は己のことをバカだと自負しているが、実はコイツも同じくらいバカなのではないか――近頃になって思うのだった。     ◇  映画研究会では、定例会が週に一度ある。今日は今年制作する短編映画の企画会議で、昼休みに空き教室を借りることになった。  誠はそわそわと妙に落ち着かない心持ちで、最前列の席に座る。  一年生のときは助監督を担当していたのだが、前監督である岡嶋由香里からの推薦を受けて、監督に就任したのだった。  開始時刻が来たところで、部長の風間が教卓の前に立つ。 「脚本を用意してきた人は、プレゼンの準備をお願いします」  サークル活動は一年生と二年生が主体だが、このサークルでは学年を問わず活動している部員が多い。  岡嶋もその一人で、就職活動の合間を縫って脚本を執筆していたようだった。彼女は部員に設定資料や台本のコピーを配ると、意気揚々と言い放った。 「私は、《LGBT》をテーマとした作品が作りたいです!」

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