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    ◇  それから数日が経ち、炊事に掃除洗濯と肩代わりするかのように、誠が家事を行うことが増えた。 (一体どういうことなんだ?)  今日もそのような調子だった。せめて夕食後の片付けくらいはやると提案したのだが、あっさりと断られてしまい、こうしてダイニングでテレビをぼんやりと見ている。 「つまらないな」  テレビのチャンネルを変えるも、大して興味をそそられる番組がなく物思いにふける。  同棲生活を始める際、金銭問題といった最低限のルールしか取り決めなかった。  家事の分担においては皆無で、当然自分が請け負うものだと思っていたし、話題にも上がらなかったほどだ。  それが今になって何故だろうか。恋人の手料理が食べられるのはもちろん嬉しいが、どうにも勘ぐってしまう。  誠もいい歳になるのだから、家事ができるに越したことはないと思うし、甘やかしたいばかりに、あれこれ世話を焼く自分が成長を妨げているような気もしている。  己の庇護欲のようなものは、前々から気づいてはいた。これでは彼のためにならないということも。ただ、そう理解していても、やはり自分に甘えていてほしいと感じる――やるせない気持ちがあった。 「なあ、誠」  食器を洗い終えたところを見計らって声をかける。隣に行くなり、すっと滑らかな動作で額と額を重ねた。  誠は飛び跳ねるようにして数歩後ずさる。まるでカエルのような動きだった。 「だっ、だから熱なんかねえっての! 俺が家事やるの、そんなにおかしい!?」 「ああ」  じっと目を見て頷くと、誠は言い返すでもなく目を泳がせた。 (やれやれだ)  何か隠しているような様子を見て、冷蔵庫からあるものを取り出す。策は事前に用意していた。 「これ、見かけたから買ってきたんだが。ちゃんと白状すれば食ってもいい」  取り出したのは、誠が最近ハマっているという抹茶味のシュークリームだった。しかもSNSの口コミを通して話題となり、売り切れ続出のトレンドものだ。 「あっ、言う! 言います!」  案の定、いとも簡単に食いついてきた。こんなところは非常に扱いやすくて助かる。 「じゃあ、話したあとでな」 「えっ? わ、やべっ、男に二言はっ」 「あるわけねーだろ」  何か困ったときは、やはりこの手に限るな――考えつつ、ダイニングテーブルに戻った。  誠が向かいの席に着くと、「さあ、話してもらおうか」とばかりに視線を向ける。彼はやがて観念したように口を開いた。 「ゼミで仲良くなった女の子がさ、彼氏の面倒見るのが嫌になって……んで、別れたって話をしてきたんだよね」 「はあ」  いろいろとツッコミを入れたい気分になったが、堪えて相槌を打つ。 「彼氏がいつも甘えてばかりでさ、こっちは母親じゃないんだっての~って冷めたとかなんかで」 「それで?」 「……俺も愛想つかされたら、どうしようかと思って」  二人の間に妙な沈黙が訪れる。  正直拍子抜けしてしまい、思わずため息が零れ落ちた。 「くだらないな。今さらにもほどが――」 「くだらなくなんかねーよ!」誠が噛みつくように声を荒らげた。「だって俺、大樹に嫌われたくない!」  そして、畳み掛けるように言葉を続ける。 「友達と恋人って違うだろ!? 友情は続いても、恋愛って別れたらもう終わりじゃん! 大樹とはこの先もずっと一緒がいいし、嫌われたくねーよ!」  言い終えると、誠は顔を伏せて黙った。「ああ、やってしまった」と己の軽率な発言を後悔した。 「……誠、悪かった」  すぐに席を立って近くに駆けつける。膝を床につけるなり、そっと手を取って相手の顔を見上げた。 「そうだよな、好きなヤツに嫌われたくないのは当然だよな」  誠がコクンと頷く。向けられた瞳はわずかに揺れていて、ひどく胸が痛んだ。 「もしかしたらって思ったら、怖くなって」 「大丈夫だよ。俺がお前に愛想を尽かすなんてあり得ない。何年の付き合いだと思っているんだ」 「でも俺、大樹に対してなんもできてねーし」  何を言っているのだろうか。そんなことない、としっかり首を横に振って否定する。 「誠がいてくれるだけで、俺がどれだけ救われているか……全然わかってないだろ」 「そっ、そりゃあ、俺だって大樹がいてくれるだけでいいんだけどさ」 「だろ?」 「うーん……」 「そもそも、俺は好きで尽くしてるだけだ。お前は何も気にしなくていいんだよ」  といった言葉とともに手の甲に口づける。誠もやっと安心したようで、表情がいくらか和らいだ。 「お前、ホント恋愛映画見すぎっつーか」 「そのうち、一緒に見るのもいいかもしれないな」 「やだ。俺が好きなのはアクションとか特撮だし、そーゆーシーン出てくるの苦手だもん」 「ったく、昔から変わらないな」  だからこそ、どうしようもなく嬉しい。  恋愛にはまったくと言っていいほど無関心で、どこまでも疎かった誠だ。  それが、いつからこのような――恋人に嫌われたくないなんて――ことを考えられるようになったのだろう。  付き合い始めた頃はまだ淡い感情だったはずだ。その感情をここまで育んでくれたことに、この上ない喜びを覚えた。 「好きだよ、誠」  愛おしい小さな手に唇を這わせる。ちゅっと甘い音を立ててキスをし、舌先で指をやんわり舐めると、誠は小さく身を震わせた。

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